なぜ感覚は説明しづらいのか?
新入社員や部署異動、転職などで、新しい人が加わる時期です。そういった人たちは、専門的知識やスキルをこれから増やしていく初心者の立場とも言え、職場の熟練者である上司や先輩は、色々な質問を受けます。
教えるべきことや、こたえられることにはこたえ、自分で考えたり調べたりして欲しいことにはあえて明確にこたえないこともあると思います。そうした質問の中には、聞かれてはじめて、熟練者側が「どうやってるんだっけ?」とか「どうだっけ?」と思い、回答に困るものがあります。
回答に困る理由の一つとして、「熟練に伴う自動化」の影響が考えられます。
一般的に、やり方に関する記憶は「手続き記憶」と呼ばれます。普段何気なく使っている箸や、ペンの持ち方などのような小さな動きから、車の運転のように頭と身体を組合せて行うもの、専門分野の技能のように多様で複雑なものまで、様々なことが、経験と訓練を経て手続き記憶となります。手続き記憶となった知識やスキルは、意識せずに自然と、つまり自動的に行うことができます。
熟練に伴う自動化
「自動的に行う(自動化)」は、どういうプロセスで進むのでしょうか。
FittsとPoserによれば、自動化は、3段階で進むとされます(参考文献[1])。1960年代に提唱された歴史のあるモデルですが、直感的にわかりやすいので、このモデルを使って説明します(参考文献[2]P109〜112、参考文献[3]P219-220を参考にしています)。
第一段階は、認知です。認知の段階では、新しい知識やスキルを取り入れ、それをどんな場面でどう使えばいいかを学ぶ段階です。学び始めたばかりの知識やスキルは、意識しないと必要な場面で使えません。またその効率は低く、ゆっくりで間違いが多いとされます。思い通りに出来なかったり、必要なタイミングで出てこなかったりします。
第二段階は、連合です。連合の段階では、知識やスキルの習得が進み、色々なやり方を試しながら、その中で効果的なものがわかってくる段階です。認知の段階と比べて、知識やスキルを早く使うことができ、失敗も減ります。意識しなくても、必要な場面で自然と出来ることが増えます。
第三段階は、自動です。自動の段階は、知識やスキルが自動化し、潜在的に行われるようになります。必要な場面で、意識しなくても知識やスキルが自然と出てきます。その使い方は効率的で、早くて間違いが少なくなります。
また、意識しなくても行えるので、意識を別のものに割り当てられます。例えば運転しながらの会話などです。いわゆる、マルチタスクをこなせる人は、一つのタスクが自動化に近い状態にあるといえます。この状態が、「熟練に伴う自動化」です。
自動化すると言葉にしづらくなる
自動化には、マルチタスクを行えるなどのメリット(と判断するかは場合によりますが)がありますが、同時にデメリットもあります。
例えば、自動化すると、その知識やスキルを「どうやっているか」について観察する「モニタリング」が行われなくなるので、自分が何をどういうふうにやっているのかを意識することが、自分でも難しくなります。
この意識できないという点が、質問にこたえる難しさの一因と考えられます。
実践者として優れた力を発揮した人が、必ずしも指導者として優れた力を発揮するわけではない背景には、もちろん求められるスキルセットの違いなども影響するでしょうが、自分が行っていたスキルや利用していた知識が自動化しており、いざ意識して言葉にしようと思っても、どう表現すればよいかわからないことも関連するのではないでしょうか。
また、自動化に達した知識やスキルは、上達しにくくなると言われています。自動化すると、今やっている方法をより精密にしたり、多様にしたりといった工夫を意識して行わなくなることなどがその理由のようです。
高度に熟練する人はどうしているか
高度に熟練する人は、そうした事態を回避するために、知識やスキルが完全に自動化しないように、絶えず意識化したり、手持ちの知識やスキルでは達成が難しい目標を設定して、あえて自動化を避けたりする傾向にあるとも言われています。
文献[2]には、「熟達者は、高水準の専門化のために複雑な心的表象を形成することから自動化は妨げられ、認知的・連合状態にとどまる。熟達者の中には、キャリアの途中で向上することをあきらめ、自動化していくために必要な探求トレーニングを中止していく人たちもいる」(P111)と書かれています。
つまり、熟練者は知識やスキルを磨くために、自動化では対処出来ないほど難しい課題や目標に取り組み、その結果、知識やスキルが常に自動化しない状態を保っているということです。
私は、初心者の質問に回答する場面を、自動化した知識やスキルを改めて意識化し点検する機会と考えています。感覚的にやっていることを言葉にするのは大変ですし、もちろん面倒と感じる場合もあります。全ての質問に明確にこたえることは不可能ですし、そうする必要もないですが、言葉にすることで、新しい発見を得ることもあるので、悪くないものです。
参考文献
文献[1]Fitts, P. M., & Posner, M. I. (1967). Human performance.
文献[2]T・P・アロウェイ,R・G・アロウェイ編著. 湯澤正通・湯澤美紀監訳. (2015).ワーキングメモリと日常. 北大路書房, 京都.
文献[3]樋口貴広, & 森岡周著. (2008). 身体運動学. 三輪書店, 東京.