精神科医が教えない「つい他人の顔色をうかがってしまう理由」と解決法
つい他人の顔色をうかがってしまうことに悩んでいる人に対して、ある精神科医は「主体的に相手を思いやることで他人の顔色をうかがわない人になれます」と言います。私はいつも思うのですが「それができれば苦労しない」ことを、なぜわざわざ書くのか理解に苦しみます。それができないから、あなたはこの記事のタイトルをクリックして、今まさに読んでおられるのですよね?
というわけで今回は、つい他人の顔色をうかがってしまう理由とその解決法について、哲学の方面から一緒に見ていきたいと思います。
恐れる気持ちと見下す気持ち
私たちは例えば、自分に自信がない時、つい他人の顔色をうかがってしまいます。自分がどう見られているのか? がすごく気になるからですよね?
それは、別の言い方をするなら、他者を恐れているということです。「ママ友に貧乏だと思われたらどうしよう」「上司に仕事ができない無能な部下だと思われたらどうしよう」。
他者を恐れるというのはじつは、他者を見下しているということです。
ママ友を恐れるというのは、そのママ友のことを例えば「金カネ言いやがって。そんなに金が好きならドバイの大富豪と寝て来いよ」と、心のどこかで思っているということです。上司のことを「ただの『会社のイエスマン』の哀れなおっさん」と、心のどこかで思っているということです。要するに見下している。同様に、毒親の顔色をうかがう人というのは、毒親のことを恐れつつも同時に、例えば「自分の夢を子に託しまくるバカ親」と思っているということです。
同じ人
どのような人も「自分ではどうすることもできない事情」を抱えています。バカな会社の上司はあなたにバカ呼ばわりされるだけの理由を持っています。それは生い立ちに起因することであり、同時に生まれもった身体能力の限界かもしれません。身体って意識とはまったく独立になんらか「意志のようなもの」を持っているというのは、メルロー=ポンティの慧眼です。要するにご本人にもどうすることもできない「生きざまのクセ」を持っているのです。
どのような人もあなたと「同じ人」だと思えた時、精神とか魂と呼ばれている心の領域が開きます。その時、他人の顔色をうかがわない人になります。