日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞について②
○被団協と核兵器問題
被団協の活動の重要な柱に、被爆の実相を社会に伝え、その体験談を次世代に伝える、というものがある。この二つは日本の軍縮政策の重要な柱でもあり、一般的に「軍縮教育」や「平和教育」と呼ばれる(以下「軍縮教育」と呼ぶ)。
この「軍縮教育」の重要性は、日本がNPTなどの場で強調してきた内容であり、過去核兵器国などからは、それを強調する日本の意図が疑われたこともある。つまり、核兵器の残虐性を訴える行為そのものが、日本の外交・安全保障戦略の手段の一部なのではないか、というものである。それは完全に正しい疑いなのであるが、被団協などが伝える広島・長崎などの被爆の実相は、日本の主張に疑義を挟むこと自体不適切であると考えざるを得ない重みがあるため、政策の一部として極めて大きな役割を果たしてきた。
ただし、核兵器をめぐる日本の政策は、核兵器廃絶だけではない。日米安保体制のもとで米国の拡大核抑止に依存すること、そして拡大核抑止が信頼できるものである限り、日本自体が核兵器保有国に囲まれた戦略環境において、核兵器の不保有の方針を維持すること、さらには核不拡散や原子力の平和利用なども、核兵器をめぐる政策の一部を構成する。残念なことに、これら政策は相互に矛盾があり、被団協等にすると、この政策に大いに不満を持つのは当然である。
ノーベル財団は被団協の活動を評価し、その活動が導く先に出現する世界を、一つの理想の形と考えているのは間違いないだろう。しかし、今回のノーベル平和賞受賞は最終的な「形」に対してではなく、そこに向かう世界の潮流を生み出す「原動力」を評価したものであり、彼らも理想の実現が簡単ではないことは理解している。そして日本政府も、「軍縮教育」の実施に関わる部分は応援するが、「軍縮教育」を通じて核廃絶のみが先行する世界を求めているわけではなく、被団協の主張により、他の核兵器政策に影響が及ぶことを歓迎するものではないだろう。
被爆者の高齢化が進み、実相を正確に語れる「生き証人」が少なくなっていることは、核廃絶を求める被爆者にとっても、また被爆者の主張を外交・安全保障政策の手段として活用したい日本政府にとっても重大な事態となっている。被爆者は、自分及び家族を苦しめた兵器の廃絶が実現しないまま世代交代を迎えることに危機感を持っていることは間違いなく、一見核廃絶の実現につながるように見える核兵器禁止条約に希望を見出すのは自然なことである。同時に日本政府も、被爆者の焦燥感を十分理解する分、現実の政策を追求せざるを得ない事態を残念に思っていることだろう。
○世代交代と「軍縮教育」
ノーベル平和賞は平和を希求する人類の叡智の象徴である。したがって、受賞者は賞賛され、尊敬される。それは当然なのだが、このような地位・立場はある種の権威へと転化し、その権威をアイコンとして利用しようとする動きも生まれる。特に核兵器に関わる問題には政治性が付きまとうため、今後被団協の主張内容を平和賞受賞者の主張という形で権威化して利用する動きが必ず発生する。
被団協は、被爆者の声を国際社会に届ける活動が評価されたのであり、その主張内容が「絶対的正しさ」を持つわけではない。もちろん被爆者の声は真剣で切実であり、国際社会の目指す方向性とも一致している。しかし被団協の主張は、短期的な政策課題における唯一無二の解決策を提示するものでもない。
このことは、被団協の担い手の問題と絡み、複雑な課題をもたらすだろう。先に被爆者が伝える原爆の実相は、貴重な「一次資料」と述べた。それは、原爆の直接的な体験者であるがゆえに持つ言説の重み、と理解してほしい。直接の体験者の言葉や、そこから生まれる主張の影響は極めて大きいものがある。しかし、その言説が世代を超えて伝承されたとき、現在の被団協に協力する被爆者の語る内容と同じ重みは持ち得ない。言説は小説になるか、あるいは歴史に変化してゆく。もしかしたら、「民話」へと変化することもあるだろう。
これは被爆の実相が、現実感を持って語られなくなる事態を意味する。もちろん被団協はこれを十分に理解しているし、危機感を持つために、核兵器禁止条約のような成果に期待を持つのだろう。しかし今回被団協はノーベル平和賞受賞者という権威を手に入れてしまった。誤解を恐れずに言うとすれば、広島長崎の被爆者が全て鬼籍に入った後、被爆の実相は別の誰かが引き継いで語り続けることになる。その活動に関わる「誰か」は、被団協の手にした賞賛や権威を、どのように活用するのだろうか。
その権威が政治的に利用されるとき、そこには潜在的に大きな嫌悪感も生まれる。その嫌悪感自体が、「軍縮教育」の大きな危機になると感じる。被団協の被爆者の年配者が、心の底からの笑顔で受賞を喜ぶ姿には感動を覚える。しかしそこに潜む問題も、同時に感じるのである。
以上