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脱サラから7年。真のトップリーグでプレーする機会を手にした俊野達彦

青木崇Basketball Writer
新天地ではいきなりキャプテンを任された俊野 (C)Takashi Aoki

 2012年の夏、群馬クレインサンダーズが創設されて始動したばかりのころ、メンバーの一人に俊野達彦の姿があった。身体能力の高い選手だと聞いていたが、初めて練習を見学させてもらった時に本当だと実感。試合前のウォームアップでは、ダンクを軽々と決めていたシーンを今も鮮明に覚えている。

 群馬で過ごした2年間、俊野がエネルギッシュなプレーでチームに貢献するシーンは何度も目にしてきた。しかし、プレー全般は荒削りという表現がピッタリ。3年目に信州ブレイブウォリアーズへ移籍したものの、出場時間は約11分と2年目よりも増えたといえ、ルーキーシーズンよりも少なくなっていた。

 俊野は大阪商大を卒業した後、一度菓子メーカーの営業マンとして就職しながらも、「モヤモヤしていたのはありましたけど、その当時の仕事も好きでやりがいは感じていました。それ以上にバスケットボールを忘れられなかった」と話したように、プロ選手になりたいという強い思いもあって1年半で退職。3年間で思うような成果が出ない状況で迎えた2015年夏、弟の佳彦とともに大分・愛媛ヒートデビルズでプレーすることを決断する。

 新天地で15試合目となる2015年11月28日、バンビシャス奈良との一戦は、俊野の運命を変えた試合と言っていいかもしれない。40分間のフル出場で10本の3Pシュートを含む41点という大爆発に加え、アシストも6本記録。仮にこのアシストがすべて2Pシュートだったとしても、俊野はチーム総得点の91点中52点に絡んだことになる。また、リバウンドでも外国籍の2選手に次ぐ7本を奪うなど、攻防両面でチームを勝利に導くすばらしいプレーを見せた。

 大分・愛媛ヒートデビルズから愛媛オレンジバイキングスとなったチームでの3年間で、俊野はオールラウンドな能力を持つガードとして成長。3年連続で平均得点が2ケタを記録しただけでなく、昨季の5.2アシスト(B2で4位)、2Pのシュート成功率50%、3P成功率35%はいずれも自己最多を更新するもの。B2で実績を作ってきたことからすれば、B1でプレーしたいという欲が出てくるのも当然だ。

「今まで以上に自分がバスケットをできることにありがたみを感じましたし、スポンサーやブースターも地元な分、身近に感じやすかったところもありました。そういうところを再認識する時間にもなりましたし、自覚を持ってバスケットに取り組んでいかないといけないと、特に考えさせられた3年間でした」

 愛媛での3年間こう振り返る俊野は、5月にB1でプレーするという夢を実現するために退団を決意。6月に秋田ノーザンハピネッツへの入団が決まり、チームの顔であった田口成浩(現千葉ジェッツ)の抜けた穴を埋める戦力としても注目されている。「B1でプレーしたいという理由で愛媛を出たので、B1のチームしか基本的に考えていませんでしたが、その中で話をもらえて素直にうれしかったです。向上心を持っての移籍でした。もっともっとうまくなるため、さらにレベルの高いところで新しい挑戦をしたいと思って移籍だったので、そういうシーズンとなるようにしっかりやっていきたいですね」と語る俊野が、新戦力ながらもキャプテンに任命されたのは、秋田が大きな期待を寄せている証と言えよう。

 脱サラから約7年が経過する10月6日の琉球ゴールデンキングス戦は、「自分が求め続けてきた場所に立てるので、楽しみが多いですね」と言う俊野にとってのB1デビュー戦。ピンク色に染まるCNAアリーナ☆あきたで躍動する姿を見せることは、今までのハードワークが報われたことを示すもの。と同時に、「チームとしてはチャンピオンシップに進出して、そこからさらに上を目指していく」という目標に向かって、俊野は長い道のりの第一歩を踏み出すことになる。

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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