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「観客が減り続けた29年だった」。名古屋のプロレス団体・JWA東海。復活を期しての秘策とは?

大竹敏之名古屋ネタライター
3月31日に開催された定期大会の最終戦。中央がJWA東海代表・脇海道弘一さん

最終戦の観客はコロナ禍以降最多の38人!

名古屋のアマチュアプロレス団体、JWA東海が1996年から29年間続けてきた日本ガイシスポーツプラザ(名古屋市南区)での定期大会に幕を閉じました。

同会場での最終戦は2024年3月31日。筆者カウントで38人の観客が集まりました。初めて会場の様子を見る人は「えっ、たったこれだけ?」と思うかもしれませんが、これでもコロナ禍以降では最多の動員。最終戦と聞きつけて、往年のファンたちが久しぶりに駆けつけたようでした。足繁く通っている常連からは「今日はお客さんが多くていつもと雰囲気が違う」という声も聞かれました。

ガラーンとしたように感じる会場の様子だが、これでもここ4年間の中では最多の入り
ガラーンとしたように感じる会場の様子だが、これでもここ4年間の中では最多の入り

熱狂とは真逆の静寂に包まれたシュールな空気

初見の人が驚くのは観客の少なさだけではありません。プロレスの試合のはずなのに緒戦は剣道家同士の対戦。しかも、熱い声援の中激しい攻防がくり広げられるかと思いきや、ゴングが鳴っても会場はシーンと静まりかえったまま。そして対戦者同士もにらみ合ったまま。美術館のような静寂さに包まれて時間が過ぎていくのです。

コロナ禍以降は定番になった剣道家同士の対戦
コロナ禍以降は定番になった剣道家同士の対戦

それでも後半はマスクマンが乱入し、観客も巻き込んでの乱闘に突入するプロレスらしい展開に。そして団体の代表、脇海道弘一さんが登場。最後に胸熱なマイクパフォーマンス・・・との期待に肩すかしを食らわせるように、お気に入りの曲を一曲歌い上げて静かに退場。あっけないほど淡々とした幕引きとなったのでした。

乱入したマスクマンらが入り乱れてのプロレスらしい乱闘に観客もようやく盛り上がるも、「無茶苦茶にされた!」と代表の脇海道さんは憤る
乱入したマスクマンらが入り乱れてのプロレスらしい乱闘に観客もようやく盛り上がるも、「無茶苦茶にされた!」と代表の脇海道さんは憤る

■関連記事:「旗揚げ戦の観客たった4人。名古屋のプロレス団体の剣道興行がシュールすぎた!」(2022年9月17日)

「観客最大500人→4人に激減し大会も終了。名古屋のプロレス団体・JWA東海は終わってしまうのか?」(2024年3月18日)

「これもプロレス!」と受け入れるファンたち

前回の記事でも書いた通りですが、JWA東海の近年の苦境はコロナ禍によってもたらされたものでした。濃厚接触が禁じられたご時世にあって、従来のプロレスを行うことは事実上不可能に。選手が集まらないため、人手が必要なリング設営をできなくなりました。本来のパフォーマンスを披露できず、観客も離れていく悪循環。そこで、苦肉の策として剣道などを交えた異種格闘技路線に舵を切り、マニアックなファンをつなぎとめてきました。しかし、会場が改修工事で1年以上にわたって使えなくなり、これを潮時と定期大会を終了することになったのです。

筆者は何度か足を運んでいますが、その度にシュールな展開にあっけにとられます。しかし、同時に感心させられるのがファンの懐の深さです。

「10年ぶりくらいに観に来ました。どんな格好でやってもプロレスはプロレスなので面白かった。この団体はいつも一生懸命で芯が通っている。だから一見変わったことをやっているようでもプロレスとして成立しているんです」とは50代のご夫婦。「観戦は数年ぶり。今はリングなしでやってるんですね。世界観があって、以前観た時よりも最終的には引き込まれました」(30代男性)、「(一昨年の)Yahoo!ニュースの剣道の記事を読んでから毎回のように足を運ぶようになりました。あの記事で予習できたおかげで最初からシュールさも楽しめました。大会を再開したらまた観に来たいです」(40代男性)と、誰もがこの不思議な光景を「プロレスだからこれもあり!」という広い心で受け止めているのです。

試合終了後は選手との記念撮影ができ、ファンがむらがる
試合終了後は選手との記念撮影ができ、ファンがむらがる

脇海道さんインタビュー。「38人の観客に胸がいっぱい!」

そんな温かいファンに支えられてきたJWA東海。代表の脇海道弘一(わきかいどうこういち)さんに、定期大会最終戦を終えた後の思いをお聞きしました。

最後の定期大会を終えて会場から去る脇海道弘一さん
最後の定期大会を終えて会場から去る脇海道弘一さん

――長年続けてきた定期大会を終えた今の率直な思いは?

脇海道「コロナ禍以降、動員数が落ち込んでたった4人の時も。その後もずっと20人を超えることがなかったんです。今日は38人ですか?これはもう夢のような数字で、胸がいっぱいです

――この会場で始めた1996年当時は500人もの観客を集めたこともあるのに?

脇海道「もしも今、500人も来てくれたら、自分のキャパをオーバーしてブッ倒れてしまうでしょう」

選手も観客も離れていくばかりだった

――X(旧Twitter)では「一度もブレイクしたことがない」とポストしていましたが、この会場を満員にしていた当時はブレイクしたとはいえないのでしょうか?

脇海道500人の次は1000人、さらにメインアリーナで1万人、が夢だった。選手もお客さんもどんどん増えていくと夢見ていたので、ブレイクどころか苦しいばかりでした」

――思い通りに観客数が伸びなかった理由は?

脇海道「1998年にアントニオ猪木さんが引退し、翌99年にはジャイアント馬場さんが亡くなって、以後プロレス人気がどんどん落ちていった。うちの団体もその流れにあらがうことができませんでした。選手は離れていき、お客さんも減っていくばかり。コロナ禍以前は50~100人程度で推移していました」

――しかし、まだブレイクはあきらめていない?

脇海道「もちろんです! 僕ももうすぐ55歳。猪木さんが引退した年齢になります。そのままでは気力も体力も落ちていく一方で、だからこそ心の奥の方からやりたい!と思えることを引っ張り上げて夢を追いかけ続けないと年老いていくばかりです。一レスラー・脇海道弘一としてまだやりたいことはある。それは大仁田厚さんとの電流爆破デスマッチです! この夢に向けて“やるなら今しかねぇ!”の精神でこれからもまだまだ挑戦していきます!!」

最終戦には最盛期に活躍したレスラーたちも集まった。4月には愛知県津島市、5月には名古屋市中川区での興行も決まっている。JWA東海の灯はまだ消えていない(!?)
最終戦には最盛期に活躍したレスラーたちも集まった。4月には愛知県津島市、5月には名古屋市中川区での興行も決まっている。JWA東海の灯はまだ消えていない(!?)

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定期大会の終了で、団体も解散?脇海道さんも引退?と心配していたのですが、今後も活動は継続していくとのこと。4月には愛知県津島市のJWA東海プロレス道場での脇海道弘一55歳記念試合が組まれるなど、今後のいくつかの興行も既に決まっているようです(今後のスケジュールはJWA東海HPで確認)。

コロナ禍以降のシュールな興行内容は、熱心なプロレスファン以外にはなかなか理解するのが難しいものだったことは確か。しかし、なりふりかまわず生き残りを模索する姿には、鬼気迫る執念を感じました。そのしぶとい生き様からは、プロレスに関心のない人でも何かしら感じるところがあるかもしれません。コロナ禍で失ったものをまだ取り戻せていない人、人生の岐路に立っている人は、日本最古のアマチュアプロレス団体、そしてなおブレイクを夢見る孤高のレスラーの動向にちょっとだけ注目してみてはいかがでしょうか。

(写真撮影/筆者)

名古屋ネタライター

名古屋在住のフリーライター。名古屋メシと中日ドラゴンズをこよなく愛する。最新刊は『間違いだらけの名古屋めし』。2017年発行の『なごやじまん』は、当サイトに寄稿した「なぜ週刊ポスト『名古屋ぎらい』特集は組まれたのか?」をきっかけに書籍化したもの。著書は他に『サンデージャーナルのデータで解析!名古屋・愛知』『名古屋の酒場』『名古屋の喫茶店 完全版』『名古屋めし』『名古屋メン』『名古屋の商店街』『東海の和菓子名店』等がある。コンクリート造型師、浅野祥雲の研究をライフワークとし、“日本唯一の浅野祥雲研究家”を自称。作品の修復活動も主宰する。『コンクリート魂 浅野祥雲大全』はその研究の集大成的1冊。

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