“アメリカの次代”に対峙するリオーネル・ルエケが提示した“世界の音楽としてのジャズ”に想いを寄せた夜
小さいギターを抱えて登場したリオーネル・ルエケ。
そう言えば、つい最近観たケヴィン・ユーバンクスのギターも小さかったけれど、これが現在の流行なのかなぁ…、とぼんやり考えながら彼がチューニングしているようすを眺めていると、なんだか違和感が…。
あれ? 弦が多いんじゃないの!?
ヘッドを凝視すると、6本ではなく、7本張ってある!
速弾きロック系ギタリストには7弦ギター使いも多いと聞くけれど、リオーネル・ルエケのサウンドからはあまり連想できなかっただけに、ちょっとビックリ。
演奏が始まり、そのギターから繰り出されたのは、タップリとディレイがかかった、浮遊感のあるイントロダクション。
そして、リズムが感じられるようになると、照明が青から赤に変わり、テーマが見えてくる。
「Molika」そして「Vivi」、彼の最新作、『The Journey』からのセレクションだ。
平和を願って息子さんの名を付けた曲も感動的。
♪ リオーネル・ルエケってどんな人かな?
西アフリカにあるベナン共和国の出身で、ハービー・ハンコックに見出されたという、いわゆる“ハンコック・チルドレン”のひとり、というのがジャズ界の認識かな。
2005年の東京JAZZに21世紀版ヘッドハンターズの一員として来日、強烈な印象を残していったことから、日本でも彼の伝説が始まったと言っていいだろう。
ただ、ブルーノートからリリースされていたアルバムは、彼に“次代のジャズ”を背負わせすぎていたんじゃなかろうか。
というのも、彼の近作はガラリと方向転換が成されたと感じているからで、それがアフリカ出身であることにも深く関係する音楽観を表現しようとしているようなのだ。
このステージでも、それが伝わっていた。
ハンコックは「ウオーターメロン・マン」を引き合いに出すまでもなく、自身に欠けているルーツ的な要素への興味をもち続けているアーティストなので、リオーネル・ルエケのような才能を見逃さないのは当然なのかもしれない。
また、ロバート・グラスパーらの掲げる“次代を継ぐべきジャズ”に対するパッチ、つまりこれもまたかけている要素をあてがったようにも思える。
そうした“ジャズの対位法的な要素”を持ち合わせているのが、リオーネル・ルエケではないだろうか。
♪ で、このライヴはどうなの?
そんな俯瞰的な要素も感じながら、実際にはステージ上の3人が息もピッタリで“漂っている”ようすを眺めているのが楽しかった──というのがメインの感想。
「私たちはバークレー音楽大学時代からの仲間なんだ」とMCでも紹介していたけれど、イタリアとスウェーデンの血を受け継いでいるベースのマッシモ・ビオルカティと、ハンガリーからやってきたドラムスのフェレンス・ネメスとのあいだには、レギュラー・ユニットを名乗るだけの濃密な意思の疎通が感じられた。
もちろん、意思の疎通があっても枠から飛び出すことのない、いわゆる“予定調和”なサウンド(ジャズ方面の人が最も嫌うヤツね)じゃないことは、彼らが時折ニコッとしたりハッとした表情を浮かべた瞬間から、その曲の場面が変わっていくことで、リスナーたちもなんとか彼らの軌跡を追いかけられたことから想像できたことなんだけど。
この距離感がジャズなんだなぁ……、って思ったけれど、実はなかなかジャズでも実現できなかったりしているんだよね、という思いがよぎった夜です。