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ダービージョッキーとなった横山典弘に武豊がかけた言葉と、ある男とのその後の物語

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
2009年の日本ダービー(GⅠ)を勝ったロジユニヴァースと横山典弘騎手

「今年もダメか……」と考えたダービー

 2009年の日本ダービー(GⅠ)。横山典弘はロジユニヴァース(美浦・萩原清厩舎)とこの大一番に臨んだ。

 その時点で数々のGⅠを制し、一流ジョッキーとして誰もが認める横山だったが、日本ダービーはまだ登り詰めた事のない頂。1990年にメジロライアンで2着すると、2003年にはゼンノロブロイ、翌04年にはハーツクライでいずれも2着と善戦したが、先頭でゴールを切る事はなかったのだ。

 そんな時、出合ったのがロジユニヴァースだった。デビューから弥生賞(GⅡ)まで4連勝。

弥生賞(GⅡ)を勝った際のロジユニヴァースと横山典弘騎手
弥生賞(GⅡ)を勝った際のロジユニヴァースと横山典弘騎手

 「今年こそはダービーを勝てるか?!」と期待を抱かせる馬だったが、皐月賞(GⅠ)は単勝1.7倍の圧倒的1番人気を裏切って14着に大敗。一冠目でこれだけ負けた馬が、ダービーで巻き返したケースは過去に皆無だったため、当時、横山は「正直『今年もダメか……』と考えた日もある」と嘆くように語り、更に続けた。

 「ダービーの一週前追い切りの動きが、伸び切って走っている感じでした。皐月賞であれだけ負けて、短期間で良い状態に戻すのはやはり難しいと思いました」

思わぬ大敗を喫した皐月賞(GⅠ)でのロジユニヴァース
思わぬ大敗を喫した皐月賞(GⅠ)でのロジユニヴァース

突然の豪雨

 しかし、決戦当日、それまで真摯に競馬に向き合ってきた横山に、競馬の神様が微笑んだ。昼休みのダービー騎乗騎手紹介の時には曇天だったが、午後一時過ぎに雨粒が落ち始めると、その僅か30分後にはバケツをひっくり返したような土砂降りとなり、芝はアッという間に不良馬場となった。

昼休みのダービー騎乗騎手紹介の時点では曇り空だったが、この後、豪雨となる
昼休みのダービー騎乗騎手紹介の時点では曇り空だったが、この後、豪雨となる

 「良馬場なら後方から行って、直線勝負の一発に懸けるつもりだったけど、とてもじゃないけど後ろからではどうにも出来ない馬場になったので、シンプルに乗ろうと、作戦を変えました。コース取りに関してもあそこまで悪くなると、内外は関係ない。ならば、ロスのないようにインを回ろうと考えました」

 名手のそんな思惑がズバリとハマった。三番手でレースを進めると、最後の直線ではグイグイ加速。終わってみれば2着のリーチザクラウンに4馬身もの差をつけて先頭でゴールインをしてみせた。

 「興奮し過ぎて何が何だか分からなくなるなんて事はなかったけど、とにかく直線が長く感じたので、必死に追いました。ゴール後はロジに対し、信じてあげられなかった事を申し訳なく感じました」

武豊の言葉

 そんな事を思っていた横山に、ゴール後、真っ先に声をかけてきたのが2着のリーチザクラウンに騎乗していた武豊だった。

 「『おめでとう!ダービージョッキー!!』って言われました。ユタカが勝って自分が2着というケースは多いけど、ダービーという大舞台で逆になれた。勿論、嬉しかったです」

リーチザクラウンと武豊騎手
リーチザクラウンと武豊騎手

一人の男との物語

 こうして脱鞍所に戻った横山は、後に「思わず恥ずかしくなった」という行動を取ってしまう。満面の笑みで上がってきた横山の目に、微笑んで見守る男の姿が映った。そこで、真っ先にその男に手を差し出して握手を求めると、手を握り返された。しかし、彼はロジユニヴァースの関係者ではなかった。

 橋口弘次郎。

 既に引退されたが、当時は調教師。過去にダンスインザダークとハーツクライでいずれもダービー2着。そればかりか、この年に送り込んだリーチザクラウンも2着に敗れていた。

脱鞍所に戻って来たロジユニヴァースと微笑んで見つめる橋口弘次郎元調教師(左端)
脱鞍所に戻って来たロジユニヴァースと微笑んで見つめる橋口弘次郎元調教師(左端)

 ダービーで2着に敗れる事の悔しさを嫌というほど知る横山は、自分の行動を恥ずかしく思ったと言い、述べた。

 「しかもハーツクライの時の2着は自分が乗っていたものですからね。自分が橋口先生の立場だったら、笑顔で手を握り返せる自信はありません。先生の懐の深さを感じました」

 ところがこれで終わらないのが騎手・横山のプロフェッショナルなところである。それから5年後の2014年、彼はワンアンドオンリーを駆って自身2度目のダービー制覇を果たすのだが、同馬を管理していたのが橋口だった。翌15年に70歳の定年を迎える橋口にとって、残された僅かなチャンスを横山が活かしてくれたのだ。

14年、横山典弘にとって2度目のダービー制覇は橋口弘次郎にとっての初制覇でもあった
14年、横山典弘にとって2度目のダービー制覇は橋口弘次郎にとっての初制覇でもあった

新たなる物語へ

 ちなみにその時のダービーを観戦しに来ていたのが、当時、競馬学校の生徒だった横山武史だ。

ワンアンドオンリーでダービーを勝った直後の横山典弘と当時、競馬学校の生徒だった横山武史現騎手
ワンアンドオンリーでダービーを勝った直後の横山典弘と当時、競馬学校の生徒だった横山武史現騎手

 父がダービーを勝つ姿を見て「格好良いと、憧れました」と語った武史は、自らもダービージョッキーを目指し、21年には皐月賞馬エフフォーリアで臨んだが惜しくも2着。悔し涙を呑んだが、今年もまた皐月賞を勝ったソールオリエンス(美浦・手塚貴久厩舎)と共に挑む。これで3年連続GⅠ馬とタッグを組んでのダービー挑戦となる武史だが、果たしてどんな結果になるだろう。トップナイフ(栗東・昆貢厩舎)の手綱を取る父が「まだ早い」とばかりに立ちはだかるシーンもあるのだろうか。ロジユニヴァースと横山典弘のように、後世に語り継がれるようなドラマが待っている事を期待したい。

皐月賞(GⅠ)を勝ち、ダービーに挑むソールオリエンスと横山武史騎手
皐月賞(GⅠ)を勝ち、ダービーに挑むソールオリエンスと横山武史騎手

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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