韓国でのマンション騒音殺人事件は典型的なケース、他国の話とスル―できない訳
先月27日の深夜、韓国の麗水(ヨス)市で、マンション騒音を原因とした殺人事件が発生した。30代の容疑者が上階に住む6人家族の住戸にナイフを持って押しかけ、口論となって娘夫婦2人を殺害し、その両親の2人にも重傷を負わせた。娘夫婦には2人の子どももいたが、寝ていた部屋に鍵をかけて難を逃れたという。報道によれば、容疑者は5年前から上階の住人と騒音を巡ってトラブルになっており、事件の10日前にも上階からの騒音について警察に通報していたとのことである。他国での事件であるが、これは騒音殺人事件の典型的な事例であり、その発生過程を理解しておくことは事件防止の意味合いから重要であり、マンション生活での必要知識であるといえる。
騒音を原因とした事件は、突然発生するものではなく、事件に至るまでに様々な過程がある。それを人間心理の面から整理したのが「攻撃性のAHA」である。ここでは広義の「攻撃性」を次の3つの要素から捉えている。すなわち、怒り(Anger)、敵意(Hostility)、攻撃性(Aggressiveness)である。怒りは相手に対する腹立ちや憤りなどの情動的側面を、敵意は悪意などを感じる認知的側面を、そして攻撃性は実際に危害を加えるような行動的側面を総称するものである。それぞれの要素は騒音事件発生の段階的メカニズムに極めて良く符合する。
実際に起こった騒音事件の経過を詳しく眺めてくると、騒音事件発生までの一つの心理的な流れが浮かび上がってくる。下図が、それを整理して騒音発生から事件発生までの心理過程を段階的に示したフロー図である。実際の事件の多くは、このAHAの各要素の心理段階をステップアップしながら事件発生へと至るのである。このフロー図をもとに、騒音事件の代表的事例である上階音を例として、事件発生までの過程を具体的に辿ってみる。
騒音の発生
今回の事件の場合、どちらが先に入居していたかは報道されていないが、仮に容疑者の住む上階に後から6人家族が入居してきたとする。入居後すぐに、上階から子どもの足音や走り回る音などが下階に響きはじめるが、この集合住宅がかなり古い建物で、建物の遮音性能がもともと不足していると住民が皆な理解している場合には、「こんな建物だから仕方がない」と諦めるかも知れない。また、「子どもはいくら静かにするように言ってもなかなか聞かないからしょうがない」と考えるかも知れない。これらが図の中に示す騒音の発生に関する「妥当な理由」であり、このような場合には概ねトラブルにはならない。人間が社会生活を営む以上、程度の差はあれ近隣騒音の発生は不可避であり、そのような状況を音を聞かされる側の人間が認識しており、生活音が聞こえるのはお互い様であるということで収まっていればトラブル発生の可能性は小さくなる。
怒りの発生
しかし、夜の9時、10時を過ぎてもまだ子どもの足音が響くということだと、なぜ夜遅くまで子どもが騒いでいるのか、しっかり躾をしていないのではないか、あるいは、昼に外で遊ばせないから夜いつまでも寝ないで騒いでいるのではないか、などと考えるようになり、これは「妥当な理由」にはあたらず非常識だということになる。当然、何らかの対処を要求することになり、「夜、10時過ぎたら静かにするようにして下さい」、「子どもが走り回らないようしっかり躾けてください」などと申し込む。この段階では、こんなことを言ってゆくのは、同じマンションの住民なのにうるさい奴だと思われないだろうかとか、お互い様でこちらも知らずに迷惑をかけている所があるのではないかとか、こじれてトラブルになると厭だな、などとかなり控えめな気持ちが働く場合が多い。この申し込みが相手に受け入れられ、状況の改善が見られたり、配慮が行き届かなかったことを詫びるような言葉があれば、問題は大きくならずにそのまま(一旦は)収束することになる。これが図に示す「適切な対処」である。しかし、一般的にはこれは稀である。通常は自分の出す騒音を注意されるとたいていの人間は面白くなく、それに反発する気持ちが強くなるためである。
相手に対してこちらの状況や要望をきちんと伝えたにも拘らず、いっこうにやめる気配や改善の様子が見られない場合、すなわち「適切な対処」が欠如していると思える場合には、文句を言った方にも控えめな気持ちはだんだん消えうせ、相手の誠意のなさに怒り(Anger)を覚えるようになる。これで騒音事件へのステップを1段登ったことになり、こうなると、人間関係についてもなかなか後戻りは困難となる。
怒りから敵意への変化
怒りが次の段階の敵意(Hostility)に変わるには、相手に悪意の存在を感じることが大きな要素となる。子どもの足音を注意したにも拘らず、いっこうに改善の様子が見られないどころか、11時、12時近くまで物音が響くようになり、時には子どもの足音とは思えない床を踏みつけるような音までもが聞こえるようになる。これは、注意されたことが面白くなくわざとやっているのではないか、嫌がらせでやっているのではないかと思うようになることが敵意への変化の兆しである。これはその通りの場合もあるし、全くの思い過ごしの場合もある。しかし、一般的には、再三注意をしたにも拘らず何の改善もない場合には、相手がこちらに対して快く思っていないことは間違いなく、時間の経過とともにそれを確信してくると、今までの単なる怒りではない敵意の感情が沸いてくる。
そのように感じはじめると、表の道路ですれ違った時の相手の視線もこちらを睨んでいるように思えるし、他の人と話しているときにチラッと振り返ってこちらを見ただけで、自分の悪口を話しているように思えてくる。「あいつは自分のことを棚に上げ、人の悪口を言いふらしていやがる。ほんとになんて奴だ」ということになる。また、直接文句を言いにゆき、「うるさくなんかしていない。建物が悪いんだから仕方がないだろう。気に入らないなら警察でも裁判所でもどこにでも行ったらいいだろう」(実際のトラブルでの発言)などと言われようものなら、もう敵意の感情は決定的なものとなる。
こうなると、いままで気にならなかった足音以外の音も気になり始める。窓サッシの開閉の音やスチール扉のガシャンという音、あるいは、ほんの微かにしか聞こえない給排水の音までもがうるさく感じられ、聞こえるたびにチラッと振り返った時の相手の厭な表情が目に浮かぶ。
足音に関してはうるささの度合いは益々強くなり、夜、音が聞こえると、「どこにでも行ったらいいだろう」と怒鳴られた時の腹立たしさが思いだされ夜も眠れなくなる。朝早くに微かな音が聞こえてきただけでも、いままでは何も気がつかずに寝ていたものが、すぐに気がついて目が覚め、睡眠を邪魔された苛立ちと腹立たしさで胸が焼けるように熱くなり、心の中で思い切り相手を罵倒することになる。
イライラは徐々に蓄積し、遂には、音もしていないのに腹立たしさで夜も眠れなくなり、相手を殴り倒して分からせてやれれば、どんなに気が晴れるだろうと考えるようになる。そして、いつしかそんな想像をしないと眠れなくなってゆき、心の底に唯一つの解決策への欲求が、爆発の時を待ちながら静かに沈殿してゆくことになる。
攻撃性へのステップアップと「恨み」
以上に示したように、怒りから敵意に変わるまでにはある程度の時間的な経過が存在するが、敵意と攻撃性(Aggressiveness)の境は明確ではない。敵意と同時に攻撃性が表れる場合もあり、敵意の積み重ねが攻撃性に変化してくる場合もあるであろう。また逆に考えれば、事件を起こした人間だけが攻撃性を持っていたと証明されるという後付けの心理状態であるともいえる。ともあれ、攻撃性を持つかどうかはあくまで個人の問題、すなわちパーソナリティ特性によるということだけは間違いない。同じような敵意の感情がどれだけ蓄積しても、罪を犯さない人は犯さない。人を殺したいとどれだけ強く思っても、それを実行するか否かの境界には、他のどのような状況よりも遥かに越えがたい高い山があるのである。すなわち、敵意は誰にでも生じるが、攻撃性はごく限られた一部の人にしか表れない。
では、どんな人に攻撃性が表れるか。攻撃性の有無は、日常の粗暴な言動や振る舞いから推測するより仕方ないが、それが事件を引き起こす性質のものかどうかまでは分からない。一時期、犯罪を行うのは遺伝的な要素が強いのではないかということから「犯罪染色体」に関する研究が行われたり、DNAレベルで攻撃性の因子を調べた研究によって、攻撃性のある犬種とそうでない犬種にはDNAのある部分に差があるとの報告もなされたが、もちろん遺伝子やDNAだけで全てが決まるなどということがないことは言うまでもない。結局は、その人の性格、育ってきた環境、境遇、今おかれている状況など多くの要因が関わり、決して明確な答えなどは得られないというのが現実であろう。
ただ、騒音事件に限らず多くの近隣事件を眺めていて、攻撃性に関して一つ気がついたことがある。それは、「恨み」という言葉である。殺人事件や傷害事件を起こした加害者が、相手に対する怒りや敵意を「恨み」という言葉を用いて表現していることが多いのである。昭和49年に発生した有名なピアノ殺人事件では、犯行後に被害者の部屋から出てきたところを近所の主婦に見られ、「これは恨みだ。警察には言うな」と怒鳴っている。また、平成21年に川崎市でアパートの生活音がうるさいとして大家とその弟夫婦の3人を刺殺した事件でも、動機について「俺が刺した。大家に長年の恨みがあった」と供述している。更には、平成16年に兵庫県加古川市で発生した「加古川7人刺殺事件」の犯人も、「20年以上前から恨みを持っていた」、「一言では言えない積年の恨みがあった」と、しきりに「恨み」という言葉を使っている。その他の近隣の事件でも、この「恨み」という言葉が加害者の口から発せられる事例は多い。
「相手がどうしても許せない」とか、「殴りつけてやりたいほど憎い」というような表現も攻撃性の発露を感じさせるが、まだ危害を加えるという確定的な意思の表れとまでは云えないように思える。しかし、「あいつには恨みがある」という言葉には、自分の中に鬱積した強い被害感があり、それを何らかの形で相手に対して思い知らせてやりたいという抑えがたい攻撃性を感じさせる。「恨み」という言葉は、そのような心の奥の暴力性が無意識に表出してきた表現ではないかと思える。「恨み」という言葉が出たら危ない、殺傷事件に結びつく可能性が高くなっていると判断し、周囲の人間が十分に注意をすることも必要なのではないだろうか。
誘発要因行動
このようにパーソナリティ特性に問題があり攻撃性が表れてきた状態で、事件を引き起こす誘発要因行動があれば、それを引き金として一気に事件は発生する。誘発要因行動の最も代表的なものが口論である。攻撃性がすでに芽生えた状態で激しい口論が発生すると、多くの場合に重大事件に発展する。実際の事件でも、口論中に興奮して事件を引き起こした事例は極めて多い。その他、壁や床を叩いたり、天井を棒でつついたり、ドアを蹴ったりという直接的な示威行動が誘発要因になる例も多く見られる。また、直接的な要因ではないが、多くの事件で間接的に事件発生に関わっている要因として飲酒がある。「事件当時、加害者は酒を飲んでいた」、という記事は大変に多く、飲酒が攻撃の抑制力を低下させること、あるいは過度の攻撃性を引き出す触媒になることは間違いないところである。
突発的な犯行はなかなか防止が難しいが、犯行に繋がる攻撃性の兆候を見逃さずに必要な対処を行うことは事件防止のために重要である。そのための留意点として、「粗暴な性質」、「飲酒癖」、「恨みの言葉」の3つが挙げられるのではないだろうか。
これまで示した事件発生のフローチャートを見てくると、騒音事件発生に関わる大部分のところが、騒音の問題というより人間心理、すなわち心の問題であることがわかる。心の問題なら何らかの対処が可能なはずであるが、渦中のトラブル当事者に理屈通りの自己コントロールを求めても詮無いことであり、それゆえ周囲の的確な判断と適切な対応が不可欠である。
当事者の意識のずれ
騒音トラブルは以上のような過程を経て事件へと繋がってゆくが、騒音の発生から事件の発生までは数か月から数年の時間を要するのが通常である。その過程の中で、当事者同士の意識のずれが、騒音事件が発生する大きな要素となっている。音を聞かされている側は、長い時間をかけて図に示した心理ステップを1段1段上がってゆく。片や苦情を言われる側は、時間の経過とともに相手からの苦情に慣れてゆくのである。苦情を言われることが辛くてたまらない人は引越しという手段でトラブルから飛び立ってゆくが、それ以外の場合には「また苦情を言ってきている」と反応が徐々に鈍ってゆくのである。苦情者は攻撃性の階段を一歩一歩上がっているのに、苦情を言われる側はトラブル意識の階段をだんだん下ってゆくのである。その差の大きさが、ますます事件発生の可能性を高めてゆく。苦情を言われている側は、相手が攻撃性の階段を登っていることをしっかりと理解して状況を的確に判断することが、事件防止の基本的な要点である。
騒音トラブルに代表される近隣トラブルとは、消火設備のない火災である。発生した時に素早く消火することが一番大事なのだが、消火設備がないためにどんどん火の手が広がり、最悪は巻き込まれて死亡する人も出てくる。火災が発生しても消火設備がない状態、残念ながら、これが近隣トラブルの現状である。一旦発生してしまったら、苦情やトラブルを出来るだけエスカレートさせないで、ひたすら自然鎮火を待つことしか方策はないのである。