ベイルの支配と欲望。レアル・マドリーを牽引するエースの重荷と、「BBC」の解体。
「状況が変わった。いまは、彼を構想に含めている」
ジネディーヌ・ジダン監督は、リーガエスパニョーラ開幕節セルタ戦(3-1)後に、そう語った。「彼」とは、この夏に移籍が噂されていたガレス・ベイルである。
プレシーズンに行われたインターナショナル・チャンピオンズカップのバイエルン・ミュンヘン戦で、出場を拒んだベイル。それは移籍を容易にするためだった。「24時間から48時間のうちに決着する」と、ジダン監督はベイルの移籍を認めていた。
だがマルコ・アセンシオとエデン・アザールの負傷、そしてポール・ポグバ獲得の失敗で、ベイルに対する風向きが変わっている。
■絶対的な存在
ベイルは2013年夏にトッテナムからレアル・マドリーに移籍。移籍金1億ユーロ(約120億円)は当時の史上最高額で、その4年前に移籍金9400万ユーロ(約112億円)でマドリーに加入したクリスティアーノ・ロナウドへの配慮から公表が控えられるほどのインパクトだった。加えて、年俸1000万ユーロ(約12億円)の6年契約という、破格の契約だった。
フロレンティーノ・ペレス会長は、C・ロナウドの後継者に据えるためにベイルを獲得した。カリム・ベンゼマ、ベイル、C・ロナウドの3トップは「BBC」と称され、如何なる指揮官が就任したとしても、絶対的な存在であり続けた。
陰りが見え始めたのは、ジダン監督の就任後だ。ジダン監督はイスコをトップ下に置く4-4-2と、「BBC」を起用した4-3-3との狭間で揺れた。また、度重なる負傷がベイルを苦しめた。
2013-14シーズン(公式戦44試合出場/出場時間3329分)、2014-15シーズン(48試合/4038分)、2015-16シーズン(31試合/2381分)、2016-17シーズン(27試合/1934分)、2017-18シーズン(39試合/2361分)、2018-19シーズン(41試合/2612分)と、ベイルがシーズンを通じてフルコミットできたのは14-15シーズンのみだ。
プレミアリーグで爆発していたトッテナム時代のベイルは、左サイドバックの選手として萌芽の時を迎えた。圧倒的なスピードと左足のキャノン砲で結果を残しながら、徐々に攻撃的なポジションと自由を手にする。トッテナムでのラストシーズンでは、トップ下で輝きを放っていた。
だがマドリーでは、C・ロナウドがエースとして君臨していた。左ウィングに入るのはC・ロナウドで、ベイルには右ウィングの役割が求められた。不慣れなポジションで、カルロ・アンチェロッティ監督の下、2013-14シーズンにマドリーのチャンピオンズリーグ優勝に貢献する。あのタイトルで、ベイルの右WG起用に目処が立った。それは、後から考えれば不幸なことだったかもしれない。
■セカンドチャンス
ラファエル・ベニテス監督が指揮した14-15シーズン、ベイルはトップ下に据えられた。ベンゼマとC・ロナウドの2トップを操るという役割に喜びを見いだしたのも束の間、就任から半年あまりでベニテス監督が解任される。そして、就任したのがジダン監督だった。
前述のように、ジダン・マドリーでは、イスコとの定位置争いと繰り返される負傷離脱で指揮官の信頼を完全に勝ち取るには至らなかった。それでも、昨年夏にジダン監督の辞任とクリスティアーノ・ロナウドの退団があり、2018-19シーズンは「ベイルのシーズン」になると思われた。
C・ロナウドの代わりにエースになるという、またとない機会が訪れたシーズンで、ベイルは公式戦42試合に出場して14得点を記録した。ただ、マドリーで年間40得点から50得点を量産していたC・ロナウドの穴を埋めたとは言い難い。まさに真価の発揮が問われるところで、ベイルは敗れたのだ。
一方で、彼は「決勝の男」だった。2013-14シーズン、コパ・デル・レイ決勝のバルセロナ戦。左サイドを疾走してマルク・バルトラを振り切り、圧巻の決勝ゴールでマドリーにタイトルをもたらした。2017-18シーズン、チャンピオンズリーグ決勝のリヴァプール戦。時が止まるようなバイシクルシュートを沈め、ビッグイヤー獲得に貢献した。
ベイルがいなければ、マドリーのチャンピオンズリーグ3連覇は実現しなかっただろう。だがC・ロナウドの代役、あるいはマドリーのエースという肩書きは重荷となり、ジダン監督との間に軋轢が生じた。昨季終了時にジダン監督が辞任した際、23選手のうち別れのメッセージを発しなかったのはベイルだけだった。
最後に残されていたのは、別々の道だけに見えた。C・ロナウドが去り、「BBC」の時代は幕を閉じた。しかしながら、ベイルにはセカンドチャンスが訪れた。この機会を、ベイルは生かさなければいけない。