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佐々木朗希の恋人・松川虎生は、ロッテ先輩の名捕手にどこまで迫れるか

楊順行スポーツライター
かつてロッテの本拠地だった東京球場(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

 千葉ロッテの高卒新人捕手・松川虎生の評価がうなぎ登りだ。市和歌山高から入団すると3月25日、楽天との開幕戦は八番・捕手で先発出場。高卒新人捕手開幕スタメンは1955年の谷本稔(大映)、2006年の炭谷銀仁朗(西武)に次いで、日本プロ野球史上3人目の快挙だ。

 4月10日には、佐々木朗希の完全試合達成を捕手としてアシスト。完全試合捕手としては史上最年少で、プロ通算の出場が7試合目というのも史上最少、かつ新人選手というのも史上初だ。さらに24日には、マウンドでの態度が腹に据えかねたのか、佐々木投手に詰め寄る白井一行球審を途中で止め、佐々木を守った行為が称賛された。

 高卒野手の開幕スタメンは、球団としても55年の榎本喜八、65年の山崎裕之、2019年の藤原恭大以来史上4人目のことだが、捕手としてはむろん初めてのことだ。スキルはともかく、場数や駆け引き、知略が必要で、もっとも育成がむずかしいとされるポジション。ただ、歴代名捕手の一人に数えられる谷繁元信あたりなら、江の川高(現石見智翠館)から大洋(現DeNA)に入団した1年目(1989年)、開幕一軍入りを果たすと、シーズンで80試合に出場している。

 だが実はロッテには、開幕スタメンこそ逃したが、高卒すぐのシーズン、谷繁を大きくしのぐ113試合に出場した捕手がいる。57年、醍醐猛夫がその人だ。

 東京・早稲田実高時代の56年夏、2学年下の王貞治らと甲子園に出場すると、翌57年に毎日オリオンズ(現ロッテ)入り。74年まで18年の現役を終えたあとも、長くコーチなどを務めた。画数の多い名字だったものだから、当時の本拠地・東京スタジアムのスコアボードにカタカナで表記されていたのを思い出す。

 残念ながら19年に逝去されたが、存命中に新人時代の話を聞いたことがある。

高卒1年目の捕手が、113試合に出場

 野球を始めたころから、生涯ずっと捕手だった。

「小学2年生の終わりかな、茨城県に疎開していたころ。地元の青年団とアメリカ人との野球の試合を見に行くと、そのときのアメリカ人のキャッチャーがやけにカッコよくてね。やるならキャッチャー、と子ども心に思ったものです。実際に始めてみても、キャッチャーはおもしろかったですよ。なにしろ、しょっちゅうボールにさわれるでしょう。子どもの野球だから、ヘタしたら1試合に1回も打球がこないのに、ボールに数多くさわれるところにまず面白みを感じました」

 56年夏の甲子園は、新宮(和歌山)との初戦を突破したが、先発した王とバッテリーを組んだ岐阜商戦で敗れる。帰京した醍醐さんは、毎日のように後楽園に巨人戦を見に行った。とくに川上哲治、与那嶺要がお気に入りで、一塁側のスタンドから「川上ィ〜、与那嶺ェ〜!」と叫んでいたという。

「その6カ月後、ジャイアンツとオリオンズのオープン戦があって、なんと僕が先発マスク。川上さんが打席に入ってきたときには、ふるえたですよ(笑)」

 前年の秋、毎日の秋季キャンプに招集された。高校3年なのに、である。ドラフト会議創設以前のプロ野球なんて、そんなものだ。そして、先輩投手のタマを受ける。まずは、55年の防御率1位・中川隆。

「この人はコントロールがよくて、気持ちよく捕れたんですが、次が速球派で知られた小野正一さんですよ。体の近くにくればなんとか捕れるんですけど、ちょっと高かったりするともうついていけず、後ろにそらしてばかりなんです。雨上がりでグラウンドに水たまりができていましたから、ニューボールを5つくらい水浸しにしたんですよ。それくらい速くて、ああ、プロというのはやっぱりすごいなぁ……と。

 でもこれは、とてもいい経験でした。いきなり春のキャンプで壁にぶつかったら、自信をなくしちゃう。だから1年目の春は、ブルペンに入りっぱなしでしたね。1日5、6人のタマを受けました。一人平均100球としても、500から600球。スクワットをそれだけやるようなものですから、これはきついですよ。

 でも、速さや変化球のキレに慣れるには、とにかくブルペンにいて数をこなすしかない。とくに初めて受けるピッチャーは、変化球がどれくらい切れるのかわかりません。最初は戸惑いながら、ミットで追いかけるように捕っていたんですが、慣れるにつれて球道が見えてきて、なんとかパシッと捕れるようになりました。前の年の秋、小野さんのタマを見ていたことがいいクスリになったんじゃないかな」

 おそらく……佐々木朗希のストレートの威力も、フォークの落ち方も、醍醐さんの当時からすれば異次元だろう。そう考えるといま、捕手・松川への評価が高いことにも納得だ。松川の出場は現在、チーム全試合の半分強。醍醐さんの数字に、どこまで迫れるか。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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