息子の戦死は誤報だった。怒れる父親の行動が悲劇を予感させるヴェネチア審査員グランプリ『運命は踊る』
その映画が面白いかどうかは、始まって数分でわかると言われます。昨年のヴェネチア国際映画祭で審査員グランプリを受賞した『運命は踊る』(原題:Foxtrot)は、まさにその好例。
1本道を進む車の運転席からの荒涼とした風景に続いて、ドアベルを押す指が映る。扉を開けた女性の顔には動揺が広がり、気を失う。このオープニングだけで、これは面白い映画だと確信させずにいないのですから。
ある夫婦が、息子が戦死したという連絡を受けるものの、やがて、それが誤報だったことがわかる。息子の無事を知り安堵する母とは対照的に、父親はこのあるまじきミスに激怒し、息子を即刻帰還させるように要求する…。
劇場へ足を運んだ観客の多くは、観るべき作品選びのためにチェックするチラシなどの情報から、こうしたあらすじは知っていることでしょう。
とはいえ、一言のセリフもないまま、母親ダフナ(サラ・アドラー)が、スクリーンにはまだ映し出されない来訪者の姿を見ただけですべてを察したことを見せる緊張が溢れるオープニング。タイトルを挟んで続くシーンでは、リビングで椅子に座る父親ミハエル(リオール・アシュケナージー)を真上から捉え、立ち上がって移動する彼を追うカメラの旋回が、床の幾何学的な模様によって強調され、ミハエルの不安定な心理を観客に体感させる。その視覚的な興奮がたまりません。
『運命は踊る』という邦題。しかも原題は「Foxtrot」。運命は、元の場所に戻ってくるフォックストロットのステップを踏むと言っているのです。タイトルからして、ミハエルが息子を連れ戻せと言い出したことが災いを招くような不安を掻き立てずにいない作品は、重苦しさに満ちた世界を想像させずにいないでしょう。けれども、前述のオープニングはそんな先入観を吹き飛ばし、一気に映像の緊張と興奮を味わわせてくれる世界に引き込むのです。
とにかく画ヂカラがすごい。構図やカメラワークといったビジュアル的な緊張感に加え、ミハエル役のリオール・アシュケナージーは、息子を失った絶望や悲しみ、気持ちの整理をする時間もないままに進められる葬儀の準備や軍への不信感など、さまざまな感情に身を引き裂かれそうになる父親の内面を、多用される表情のアップとともに体現。
しかも、サミュエル・マオズ監督は、絶望のあとにミハエルに訪れた安堵を、彼の顔に射す陽で見せたかと思うと、彼が見上げる空を飛ぶ鳥の群れに不穏な未来を予感させる。
その頃、ヨナタンは補給路の検問所で、仲間とともに戦闘とは無縁の日々を送っていたのですが、検問所には一瞬にして事態が暗転する危険はつきもの…。通り過ぎる駱駝のためにゲートを開閉するような安穏とした空気が、かえって、いつ訪れるともしれない悲劇の予感を高めれば、ヨナタンが見上げる空にも、ミハエルが目にしたような鳥の群れが現れるのもさらに不安を掻き立てる…。
怒りにかられたミハエルの行動は、はたしてどんな事態を招くのか。緊張の糸が張り詰めた物語において、それぞれ異なるトーンで描かれる父と息子の物語を繋ぐのが、「父親からの最後のベッドタイム・ストーリー」。ヨナタンが戦友たちに語る、入隊前夜にミハエルがヨナタンに聞かせたという昔話と、それをもとにヨナタンが描き綴っているイラストが、家族の歴史と、成功を手に入れたミハエルという人間の弱さを明らかにして、お見事。さらに、スケッチブックの最後の1枚をめぐる会話も、人生の皮肉を映し出すかのよう。
監督・脚本のサミュエル・マオズは、自身の従軍体験を基にした長編デビュー作『レバノン』(’09年)を、カメラが戦車の中から出ないという斬新な構成で描き、ヴェネチア国際映画祭グランプリ(金獅子賞)を受賞。8年ぶりの長編となる本作でも、徴兵制度のあるイスラエルという国の緊張状態を背景に、終盤、戦争の非情さを浮かびあがらせつつも、息子を思う父と母、夫と妻という、国籍も人種も問わない普遍的なテーマを見つめさせる。何を語るかもさることながら、どう語るかの面白さで堪能させてくれるのです。
ミハエル役のアシュケナージーは、リチャード・ギア主演作『嘘はフィクサーのはじまり』(10月27日公開)では、イスラエル首相となるカリスマ政治家を演じて、役柄によってまったく違う色のオーラを感じさせる、まさに名優。
一人の役者のまったく異なる芝居を同時期に見られるのもお楽しみです。
(c)Pola Pandora- Spiro Films- A.S.A.P. Films- Knm- Arte France Cinema- 2017
『運命は踊る』
9月29日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにて公開中。全国順次公開