発がん性物質のPFAS、欧米で追放進むも日本は規制強化見送りの可能性 謎の判断、専門家も首傾げる
国際機関や多くの専門家が発がん性や胎児への影響などを認めている有機フッ素化合物(PFAS)。欧米では全面使用禁止を含めた大幅な規制強化が進み始めているが、日本では当面、規制強化は見送られる可能性が出てきた。全国各地の汚染地域の住民から懸念の声が上がっているほか、化学物質の毒性に詳しい専門家も首を傾げている。
半導体の製造にも使用
PFASは1万種類以上あるとされる有機フッ素化合物の総称。フライパンなどの調理器具や食品の保存容器、衣類、化粧品など様々な日用品に使用されているほか、半導体や泡消火剤、農薬の製造にも使われるなど、非常に幅広い用途がある。
だが、工場から排出されたり食品容器などから溶出したりしたPFASが飲み水や食品などを通じて人の体内に入ると、発がんや免疫機能の低下、脂質異常、胎児の発育不全など様々な影響をもたらす恐れがある。
世界保健機関(WHO)傘下の国際がん研究機関(IARC)は昨年12月、PFASの中でも特に毒性の強いPFOAについて「発がん性がある」とし、PFOSについては「発がん性がある可能性がある」と発表した。
欧米で追放の動き
毒性がより明らかになるにつれ、欧米では規制強化の動きが急速に進み始めている。
米政府は昨年3月、飲料水に関し、摂取し続けても健康に問題ないと考えられるPFASの濃度の上限値を、従来のPFOAとPFOSを合わせた1リットルあたり70ナノグラム(ナノは10億分の1)から、各4ナノグラムへと大幅に引き下げる方針を発表した。また、PFASを原材料に使用した製品を原則禁止する州法がミネソタ州やメーン州で相次いで成立するなど、日常生活から追放する動きも活発化している。
ドイツも昨年、飲料水に含まれるPFASの許容濃度を見直した。従来はPFOA、PFOS各1リットルあたり100ナノグラムだったが、それをPFOA、PFOSを含む4種類のPFASの合計が20ナノグラムを超えてはならないと変更。2028年から適用する。デンマークやスウェーデン、ベルギーなどさらに厳しい上限値を設定した国もある。また、欧州連合(EU)は現在、すべてのPFASを原則禁止する方向で議論を進めている。
食品安全委員会の評価案に懸念の声
こうした欧米の趨勢とは対照的に、日本では今のところ規制強化に向けた具体的な動きは見られない。
農薬や化学物質などのリスク評価を行う内閣府の食品安全委員会は1月26日、PFASに関する「健康影響評価案」をまとめた。健康影響評価は国が当該物質を規制する際の科学的根拠となる。例えば、健康に重大な影響を及ぼす恐れがあると評価されればその物質は禁止されたり使用が厳しく制限されたりする。逆に、健康への影響は軽微との評価なら、規制は緩くなり使用や利用の促進につながる。
それだけに、初めてとなるPFASの健康影響評価に関係者の注目が集まっていた。ところがふたを開けてみると、評価案が「現状維持」を示唆する内容となったことから、委員会に属していない専門家や汚染地域に住む住民の間から疑問や懸念の声が相次ぐ事態となっている。
「最新の科学的知見に基づく評価」
評価作業を担った食品安全委員会のPFAS作業部会は約1年間、発がん性や遺伝毒性、生殖、免疫機能への影響など様々な観点から健康への影響を検討。その結果、ヒトが生涯、毎日摂取し続けても健康への悪影響がないと推定される「耐容一日摂取量(TDI)」をPFOA、PFOSともに体重1キロ当たり20ナノグラムと設定した。
この20ナノグラムという評価は、実は、2020年に政府が水道水や地下水に含まれるPFASの上限をPFOAとPFOS合わせて1リットルあたり50ナノグラムにするという暫定目標値を設定した際に参考にしたのと同じ研究論文に依拠している。このため、環境省が新たに設定する規制値は現在の暫定目標値から大きく変わらないのではとの見方が強まっている。
実際、伊藤信太郎環境相は1月30日の記者会見で、食品安全委員会の評価案に関し「専門家による現時点での最新の科学的知見に基づく評価と受け止めている」と述べ、規制値を設定する際に重視する考えを示した。
日米で670倍の開き
今回の評価案には謎が多い。最大の謎は、なぜ海外の評価とかけ離れているかという点だ。
例えば米環境保護庁(EPA)は昨年まとめた評価案の中で、参照用量(TDIとほぼ同義)をPFOAは最大0.03ナノグラム、PFOSは同0.1ナノグラムまで引き下げた。従来はPFOA、PFASともに今回の食品安全委員会の評価案と同じ20ナノグラムで、一気に最大約670倍も評価を厳しくしたことになる。これは同時に、食品安全委員会の評価案に比べて670倍も厳しいということにもなる。
欧州連合(EU)も同様だ。欧州食品安全機関(EFSA)は、2018年にPFOAは0.8ナノグラム、PFOSは1.8ナノグラムという参照用量を設定したが、2年後の2020年には0.63ナノグラムに引き下げた。しかもこれは4種類のPFASの合算値。やはり日本の60倍以上も厳しい。こうした厳しい評価が大幅な規制強化につながっている。
「強い意図を感じる」「それなりの覚悟」
食品安全委員会事務局の紀平哲也・評価第一課長は、1月26日の作業部会後に開いた報道機関向け説明会で、「科学的議論を突き詰めた結果が20ナノグラムという数値になった」と強調し、政治的な配慮があったのではないかとの見方を否定した。
しかし、PFASに詳しい小泉昭夫・京都大学名誉教授は「強い意図を感じる」と述べる。例えば、欧米でPFASの評価が厳しくなったのは最新の疫学研究の成果を取り入れた結果でもあるが、食品安全委員会の評価案では、結果的に動物実験のデータが重視され、疫学研究の成果は「結果に一貫性がない」「証拠不十分」などとしてほとんど採用されなかった。
小泉氏は「作業部会にもPFASの疫学研究を続けてきた専門家が入っていたが、あれだけ疫学は一貫性がない、信用ならんと言われたら、研究者としてはガクッときて会議で何も言えなくなる。疫学の専門家の意見をもっと聞いていたら、評価結果は違っていたのではないか」と話した。
報道機関向け説明会では、評価を決めるにあたり純粋な科学的議論では解決できない問題があったことをうかがわせる発言もあった。部会の座長を務めた姫野誠一郎・昭和大学客員教授は「(欧米並みの厳しい評価を下すには)我々もそれなりの覚悟がいる」「20ナノグラム以外の数字も内々に議論したが、無理だった」などと述べた。
牽強付会の印象
環境脳神経科学情報センター副代表で医学博士の木村―黒田純子氏は「評価内容は牽強付会のような印象だ」とやはり疑問を呈する。その上で、「評価書には多様な毒性や発がん性が科学的に明らかになっていないと何度も書いてあるが、科学的立証を待っていたら取り返しのつかないことになる」と述べ、実際に健康被害が起きる前に、EUのように予防原則の立場から先手を打って規制強化すべきと提言する。
先進各国で規制強化が進むなか日本だけが取り残されるような形となる可能性に、汚染地域の住民らは一段と不安を募らせている。東京都多摩地域の住民らでつくる「多摩地域の有機フッ素化合物(PFAS)汚染を明らかにする会」は、評価案の見直しを求め、食品安全委員会が3月7日まで募集しているパブリックコメントに積極的に意見を出すよう呼び掛けている。