退路を断て! 崖っぷちで拡大リニューアルした水族館で働くために愛する故郷を捨てた飼育員の物語
「名古屋港水族館に勝てることがひとつも見つからなかった」水族館が起こした奇跡
デュアルライフやノマドライフといった言葉は、地方に引っ越して地域に根を下ろす努力をしている身には空虚に響く。別荘族やホテル暮らしの人たちとの違いがよくわからないからだと思う。
逃げ道を確保したオシャレな暮らし方では得られないものがある。自分が暮らす町を魅力的で持続可能な場所にするための本気の努力であり、それによって生じる熱い人間関係だ。
筆者が2012年から住んでいる蒲郡市には「全国で二番目に建物が古い。小さい。予算もない」ことを自虐ネタにしていた水族館がある。蒲郡駅から徒歩15分ほどの海辺に位置する竹島水族館だ。2009年度の年間入館者数は過去最低の12万5千人となり、廃館も検討されたという。
そんな中で奮闘したのが、蒲郡出身で主任飼育員だった小林龍二さん(現館長。2013年に取材した際の記事はこちら)だ。「魚マニアではない一般のお客さんが楽しめる水族館」を念頭に、なりふり構わぬ改善策を実施。市内外のファンを増やしていった。
「名古屋港水族館に勝てることがひとつも見つからなかった。でも、地元の水族館だからやっぱりよくしたい。『なにくそ!』という劣等感がパワーになりました」
2013年の取材当時は32歳だった小林さんが淡々と語っていたのを思い出す。その結果、2018年度の入館者数は47万人に達した。V字回復どころか竹島水族館史上最高の数字である。狭い敷地面積はそのままだったので、週末になると入館待ちの大行列ができていた。
水族館で地元を盛り上げたい。故郷の青森で夢を実現するつもりだったが……
そして本日(2024年10月12日)、竹島水族館が「新館」と「新エリア」を加えて拡大リニューアルオープンした。深海魚漁が盛んな蒲郡という土地柄を全面に出し、深海生物の展示数では全国有数の水族館となった。今後は、「こんなにしょぼい水族館だけど頑張っている」という言い訳はできない。億単位のお金を使ってリニューアルをしたのに入館者数が減ったら目も当てられないだろう。竹島水族館は現状に甘んじず、あえて背水の陣で再出発をしたと言える。
リニューアルに向けた準備が進んでいた昨年9月、青森県から竹島水族館にやってきた中途採用の飼育員がいる。実家のある青森県外で住んだことはなかったという桃井駿介さん(32歳)だ。蒲郡に向けて出発する日、母親は涙を流して寂しがった。長男である桃井さん自身、やりたいことを地元で実現するつもりだったと振り返る。
「進学先も実家から車で15分ほどで通える弘前大学です。教育学部で地域生活を専攻していました。その頃から僕が一貫して興味があるのは地域の活性化です。子どもの頃から好きな生き物にも関わりながら地域に貢献できるのが水族館という職場だと思い至りました」
お客さんのための水族館、地元に愛される水族館を目指して暗中模索した日々
狭き門をくぐって青森県内の水族館に就職した桃井さん。しかし、顧客満足を高めるための新しい施策は古参のスタッフに受け入れられず、桃井さんは実家で仕事の愚痴ばかり言う日々が続いた。
「青森県は三方が海で囲まれていて、環境的にはすごく恵まれています。その水族館は生かし切れていませんでした。お客さんに何を見せたいのかもよくわかりません。でも、新しいことはやるな、という雰囲気の中で自分が凝り固まっていく気がしました」
もやもやが募った桃井さんは活路を探すようになる。東京で開かれる水族館関連の定期イベント「中村元の超水族館ナイト」には自費で通い、登壇者の一人だった小林さんに憧れていたと明かす。
「竹島水族館は飼育員の自主性を重んじていて、外の人脈をどんどん作って新しいことを取り入れることを推奨しているんです。地元企業とコラボして、地魚イベントを催したり面白いお土産品を開発してヒットさせたりしています」
水族館をベースにした町おこし――。桃井さんが学生の頃から抱いていた夢を体現している水族館が遠く愛知県の蒲郡市にあったのだ。
職場結婚した妻との約束。「行きたい水族館への転職をお互いに認め合う。別居婚でも仕方ない」
桃井さんは勤務先の水族館で職場結婚をしていたが、同じぐらい仕事熱心な妻とは「行きたい水族館への転職が決まったらお互いに認め合う。別居婚になっても仕方ない」と約束を交わしていたと明かす。
「2023年3月に竹島水族館でスタッフ採用の募集があり、即応募しました。住み慣れた土地を離れることには抵抗がありましたが、30歳の節目を超えていたこともあって挑戦しようと思ったんです。親は寂しがってはいますけど、『自分のやりたいことをやりなさい』と僕を育ててくれたので、応援してくれていると思っています」
前の勤務先で7年間も孤軍奮闘していた桃井さんの実力を、館長の小林さんと副館長の戸舘真人さんは高く評価。深海生物を含む海水魚全般のチーフに抜擢し、お土産品の開発など飼育や展示以外の業務もどんどん任せている。そして、妻の綾子さんも運良く竹島水族館に転職できた。
「青森から来た桃井夫妻はどちらも能力が高くて、水族館のレベルがグッと上がりました。これからやれることも増えていくと思います」
自分は地元を捨てられなかったので桃井さんに決意で負けている、と蒲郡で生まれ育った小林さんは笑う。実際、桃井さんは「故郷を捨てて来た。帰るところがないので何があっても辞めません」と宣言している。
何もやれないというストレス。何でもやれて期待してもらえるプレッシャー。大違いです
「前の職場は新しいことは何もやらせてもらえないことが苦しくて、僕も妻も潰れかけていました。でも、今は違うプレッシャーがあります。やりたいことを何でもガンガンやってくれと期待されていますが、結果を出さなければいけません。売店の商品開発も一部関わらせてもらったので、お客さんがどれを手に取って買ってくれるのかを検証していきます。イカやタコを使って目玉となるような商品も作りたいですね」
新たな職場でイカの飼育と展示をしてわかったことがある。竹島水族館が面する海域は三河湾中でも最奥部に位置し、「潮の周りが悪くて海水の塩分濃度が低くなりがち」だということ。イカが弱りやすい環境なのだ。
「青森の水族館では良質な海水をかけ流しで使えました。『イカなんて展示しなくていい』と上司から言われていましたけれど、イカの飼育環境としてはものすごく良かったのです。青森の恵まれたフィールドがときどき恋しくなります」
大志を掲げるならば故郷は捨てるもの。そして、錦を飾るもの
故郷の「ヒト」ではなく「フィールド」が恋しいと言うのが水族館員らしい。その気持ちは妻の綾子さんも共通している。彼女は愛知県名古屋市出身だが、北海道大学の大学院でキタオットセイを研究していた人物だ。北海道や青森県とは違い、愛知県には野生のオットセイはいない。
「青森は恋しいです。でも、前の勤め先を訪れるのは10年後ぐらいかな、と妻とは話しています。竹島水族館で実績を上げて蒲郡という町に貢献しなければ僕たちに先はありません。勉強の毎日です」
故郷を捨てる覚悟で竹島水族館にやってきた桃井さん。故郷のほうではいつでも彼の帰りを待っているはずだが、そこでは桃井さんの夢は実現できない。現場で成長し、小林さんたちから経営も学び、青森の水族館の改革と運営を任されるぐらいの立場になるしかないのだ。
退路を断ち、スタッフの力を限界まで引き出して前に進んでいる竹島水族館。そこで夢中で働いていれば道は拓けるだろう。桃井さんが故郷に錦を飾る日がいつか来る気がする。