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レバノン:肉どころかパンもなくなるかも!

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 ベイルート港での大爆発事件は、連日日本でも報じられるなど世界的に高い関心を集めている。この事件については、レバノン国内で政府の怠慢に抗議するデモやデモ隊と治安部隊の衝突が発生するなどの反響が広がっているが、今後より深刻な影響が出ると思われるのは、レバノンの食糧事情であろう。爆発により、レバノン国内で唯一とも言われる大規模穀物サイロが壊滅したことは、既に多くの報道機関が報じている。さらに悪いことに、レバノンには国・民間のいずれにも小麦の戦略備蓄がほとんど行われていなかったようだ。ベイルート港の代替を探そうにも、レバノン北部のトリポリでは港の拡張が計画されており、その中には大規模なサイロの建設も含まれていたが、資金不足により頓挫していた。ちなみに、レバノン国内で生産される小麦は硬質で麺類への加工にむいているため、レバノンは必要とする小麦の90~95%を黒海沿岸地域からの輸入に頼っているそうで、ベイルート港が大きな被害を受けたことの損失は極めて大きい。

 レバノンでは、2019年秋からの政治・経済危機により人民の生活水準が急速に低下し、国際機関が近い将来飢餓が発生すると警告するに至っていた。今般の爆発事件は、こうした窮状に拍車をかけるものである。経済危機により軍の食事で肉が提供されなくなった件犠牲祭の供犠に用いる肉の価格が急騰し、多くの者がこれを購入できなかった件は既に紹介した。なお、爆発事件後レバノン・ポンド(LP)の相場はさらに下落し、9日時点での闇相場は1ドル7400~7600LPらしい。これが長期化するならば、LPの価値は爆発事件前からさらに半減することになる。

 フランスやアラブ諸国のようなレバノンとの関係が深い諸国をはじめ、各国から緊急援助が寄せられている。援助の中には食料の提供も含まれている。また、8月9日に開催された支援国による緊急会合では、およそ2億9800万ドルの拠出表明があった。また、9日にはレバノン南部のサイダ港に1万トンを超える小麦が到着したそうだ。ただし、このような動きが今般の爆発事件の応急処置や復旧はともかく、長期的にレバノンの社会や経済の再建につながるかと言えば、悲観的にならざるを得ない。事件直後の6日にレバノンを訪問したフランスのマクロン大統領は、レバノンの政治体制や政界の陣容を問題視し、本格的な支援には抜本的な政治改革が必要だと表明した。アラビア半島の産油国についても、事件の前からこれらの諸国が「テロリスト」とみなすヒズブッラーが与党の一角を占めているレバノンに大規模な経済援助や投資をする機運はなかった。欧米諸国も、ヒズブッラーとは険悪な関係のため、こちらからも長期的な観点からの援助や投資は期待しにくいだろう。

 レバノンの政治・経済危機は、2019年に突如発生したものではなく、宗教・宗派集団を政治的権益の分配の単位として利権集団としてしまう同国の政治体制の下、長年積み重なってきたものである。公的債務の累積も深刻で、2020年3月にはその一部が不履行となっている。上述のトリポリ港でのサイロ建設事業の頓挫にしても、いろいろな段階での意思決定がしにくいというレバノンの政治体制と無関係ではないだろう。つまり、現下の危機に責任を問われるべきなのは、現在の政府や与党だけでなく、レバノンの政治・社会・経済の指導層全般である。また、一般のレバノン人にしても、彼らの多くは地域や共同体の有力者に従属し、彼らから権益の配分を受ける一方、その対価か有力者への忠誠の表明としての投票行動をとっている場合が少なくない。レバノンの政治の刷新には、政治エリートへのダメ出しだけでなく、政治体制そのものの刷新とレバノン人民の政治的・社会的な行動様式の変化という、まさに「革命的」変革が必要だろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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