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「誤報の危機管理」に失敗した朝日新聞 挽回へのビジョンを示せるか

楊井人文弁護士
朝日新聞2014年8月5日付朝刊16面、17面

【訂正】「朝日デジタル英語版ページには、検証記事の英訳ページの見出しリンクが貼られていない」と記載しましたが、「朝日デジタル」英語版とは別の「The Asahi Shimbun AJW」という英語サイトのトップページに「Thinking about the comfort women issue」というバナーが設置されていました。このバナーをクリックすると「朝日デジタル」の「慰安婦問題を考える」英訳ページが開くようになっていました。お詫びして訂正します。(2014/8/26 01:30追記)

メディアの最大の危機は「誤報」です。企業や職種によって、危機のあり方はさまざまですが、新聞社という企業にとって致命的な危機が訪れるのは、「誤報」をした時、つまり記事の内容が間違っていた場合です。危機管理の最大の要諦は何かと聞かれたら、「逃げたらあかん」ということです。何かトラブルが起きた時には、まず、事実を把握することです。また、そのトラブルによって誰かに迷惑をかけたり、被害を与えていたらきちんと謝罪し、原因は何なのかを究明して明らかにすることが必要です。また、再発防止のためにどんな手を打つのかということも考えなくてはなりません。

出典:鳥越俊太郎「危機管理のあり方」2005年7月19日講演

朝日新聞の慰安婦報道をめぐる波紋が止まらない。同紙は8月5日付朝刊で、慰安婦問題の報道検証記事を掲載し、済州島から朝鮮人女性を強制連行したという吉田清治氏(故人)の証言が虚偽だったと認定。1980年代から90年代にかけて繰り返し報じた吉田証言に関する記事の取り消しを発表した。女子挺身隊と慰安婦と混同した報道も「誤用」と認め、翌日も検証記事への識者のコメントなどを掲載した。

当初は、四半世紀ほど前の報道について2日連続、見開き2面に検証記事を掲載したことへの意外感もあってか、同紙の姿勢を評価する声も聞かれた。しかし、検証記事の中身が詳しく知られるにつれ、批判が席巻しはじめた。同紙へ向けられた暴風雨がやがておさまったとしても、このまま手を打たなければ、このさき何年も大なり小なりの雨が降り続くのではないか。その湿気で報道機関としての体力が消耗していくのではないか。そのことを私は強く憂慮する。「誤報の危機管理」に失敗したことを認め、読者の信頼回復に向けた更なるアクションが必要だと思う。

朝日新聞2014年8月5日付朝刊16面
朝日新聞2014年8月5日付朝刊16面

一部の行き過ぎた批判

とはいえ、検証記事を契機に噴出した批判の中には、「解体」や「制裁」を求めるなど行き過ぎたものもある。たとえば、朝日批判の急先鋒である産経新聞は8月6日付社説で「訂正に当たる『証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します』との表現は特集記事中にあるが、1面記事にもどの面の見出しにもない。削除対象の記事ぐらいは明記すべきだ」と非難した。だが、朝日の検証記事をみれば「『済州島で連行』証言 裏付け得られず虚偽と判断」という大きな見出しが目に入る。見出しに「取り消す」という表現はないが、「証言は虚偽と判断」という趣旨は十分伝わる。「読者のみなさまへ」という結論部分で「証言は虚偽と判断し、記事を取り消します」と明記されている。削除対象の記事を全て列挙しておらず、当時の報道経緯を詳らかにしていない点はその通りだが、吉田証言について16回報じたことを認め、そのうち初掲載の記事は特定して引用しており、全く明記していないわけではない。検証記事全文を朝日新聞デジタルで無料公開し、誰でも見られるようにしたことも、もっと評価されてよいと思う。

さらに、社説の「取材などで事実が判明すれば、その都度、記事化して正し、必要があれば訂正を行うのが当然の報道姿勢ではないのか」という批判も、全くその通りだが、それを実践できていないのは朝日新聞に限ったことではない。誤りを進んで訂正しようとしないのは、我が国の新聞業界全体を覆う根深い体質といえるものである。その中で日本報道検証機構がここ数年、調査してきた限り、訂正記事の本数でみると朝日新聞は最も多い方で、産経新聞は他紙と比べて圧倒的に少ないことが分かっている(例えば、2013年の1年間で捕捉確認できた訂正記事数は、朝日が133本、他の主要紙も100本前後だが、産経だけが28本)。果たして産経が格別、記事の誤りが少ないからだろうか。

朝日新聞デジタルで無料で一般公開された検証特集ページ
朝日新聞デジタルで無料で一般公開された検証特集ページ

なぜ「誤報の危機管理」に失敗したのか

では、なぜ朝日の慰安婦報道の検証記事は、火に油を注ぐ結果を招き、失敗したのだろうか。訂正が遅きに失したことだけとは思えない。検証記事自体に疑問符をつけられても仕方のない点がいくつもあったし、この誤報を教訓としてどう生かすのかというビジョンも示さなかったからではないか。既に各方面から様々な問題が指摘されているが、ここでは「誤報の危機管理」という視点から、特に問題があったと考える点を挙げたい。

朝日新聞2014年8月5日付朝刊1面
朝日新聞2014年8月5日付朝刊1面

第一に、読者に向けて誠実な言葉がなかったことである。5日付朝刊1面の["http://www.asahi.com/articles/ASG7X6753G7XUTIL053.html 杉浦信之編集担当の冒頭記事]には「問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します」との弁はある。が、すぐさま「似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました」と続けている。ここでなぜ、わざわざ他のメディアの誤りを持ち出したのだろう。しかも、多くの記事の誤りを認めながら、これ以外に反省や謝罪の言葉が見当たらない。

朝日新聞2012年4月12日付大阪本社版夕刊10面。おわびの言葉が3回繰り返された。
朝日新聞2012年4月12日付大阪本社版夕刊10面。おわびの言葉が3回繰り返された。

これは、重大な誤りは「おわび」を出すという従来の報道慣行に照らしても、非常に異例のことである。たとえば、最近、朝日新聞は、作曲家とされていた佐村河内守氏の報道について、別人作曲問題が発覚した直後に真っ先に、事実と異なる内容を報じたとおわびを出した(→>朝日 佐村河内氏に関する事実と異なる報道でおわび)。今回と同様に誤報取り消しを発表した際、見出しと本文と編集局長コメントの3か所でおわびを表明したケースもあった(→「火力発電、点検怠る」 誤報認め全面削除)。やはり情報源に騙されたケースだったiPS臨床実験誤報では、読売新聞は編集局長と編集局次長兼科学部長それぞれがおわび文を掲載している(→読売、森口氏の「研究」報道5本を誤報と認定)。こうした事例と比較して、今回の誤報の重大性は優るとも劣らないが、それに見合った読者向けの言葉がみられなかったのである。

第二に、他紙の報道を引き合いに自らの過誤の相対化を図ったと受け取られかねない記述があったことである。先ほど引用した杉浦信之編集担当の記事もそうだが、「他紙の報道は」と題する別建ての記事もそうである。当時の他紙の報道と比較検証すること自体は悪いことではない。問題は、誤報の量や扱いの大きさは朝日新聞が他紙を圧倒していたのに、検証記事ではその違いがほとんど分からないようになっていたことである。実際、2日目の検証記事には「特集紙面を読むと、当時は他の新聞もあまり変わらない文脈で報道していたことがわかる」との小熊英二慶應義塾大学教授の談話を掲載。韓国紙中央日報も「朝日新聞は堂々とした反省と共に90年代初めに保守指向の産経新聞と読売新聞もまた、吉田氏の証言を重点的に報道した事実も指摘した」と伝えていた。

当機構がデータベースなどで調べたところ、吉田証言を取り上げたのは産経が1本、読売が1本、毎日が2本だった。産経の1本は「信ぴょう性に疑問をとなえる声」も伝えていたし、何度も吉田証言の信憑性に否定的な報道を繰り返してきた。読売の1本も「慰安婦問題がテーマ 『戦争犠牲者』考える集会 大阪」という見出し2段のベタ記事。同紙は2007年3月に特集「基礎からわかる『慰安婦問題』」で吉田証言の信憑性が否定されていると指摘していたが、朝日の「他紙の報道は」では触れていなかった。

朝日新聞1982年9月2日付大阪版朝刊22面
朝日新聞1982年9月2日付大阪版朝刊22面

他方、朝日新聞はどうだったか。検証記事では、吉田証言を16本の記事で報じたと触れるのみで、初報以外の記事は明らかにしなかった。当機構の調べで13本特定できたが、いずれも大きな見出しで吉田証言を報じ、単独インタビュー記事などを繰り返し掲載していた(→慰安婦「強制連行」証言 朝日新聞、虚偽と認め撤回)。「挺身隊と慰安婦の混同」の誤りがあった記事数も朝日新聞が突出していたが、検証記事では2本だけ引用されていた(→「挺身隊の名で連行」も誤り 朝日、慰安婦報道検証)。つまり、朝日自身の報道の詳細は明らかにせず、他紙の報道のごくわずかな誤りを殊更に取り上げることで、「当時は、朝日新聞に限らず他紙も同様の報道をしていた」と錯覚させるように書かれていたのである。

第三に、誤りの原因を「当時の研究の乏しさ」に求め、検証が不徹底であることを露呈したことである。女子挺身隊と慰安婦の混同についての検証記事の釈明は言い訳がましいとの印象を与えただけでなく、検証結果自体に誤りがあることも判明した。「誤用」から約2ケ月後の1992年3月7日付朝刊に、ソウル特派員記者が「挺身隊と慰安婦の混同に見られるように、歴史の掘り起こしによる事実関係の正確な把握と、それについての情報交換の欠如が今日の事態を招いた一因になっている」と指摘した記事が掲載されていたからである(→「挺身隊の名で連行」も誤り 朝日、慰安婦報道検証)。

ほかにも、朝日新聞は、誤報が海外にも影響したことから検証記事の英訳も出すべきだという声におされるようにして、8月22日になって英訳全文(識者コメントを除く)を電子版に掲載したことも、危機管理として失敗といえる。最初からやるのと言われてやるのとでは全く印象が異なるからである。【訂正・削除】しかも、朝日デジタル英語版ページには、検証記事の英訳ページの見出しリンクが貼られていない(新着ページにも見当たらない。8月23日現在)。私が調べた限り、日本版の特集ページを開くと小さく表示される「英語版へ」というリンクを見つけるしかなかった。この特集ページの見出しは、当初掲載されていたトップページから削除されている。これで、海外の人が英訳全文にたどり着くであろうか。(訂正内容は冒頭参照)

信頼を取り戻すために

朝日新聞が検証記事の掲載に踏み切ったのは、杉浦編集担当が述べたように「読者への説明責任を果たすこと」により、読者の信頼を回復することにあったはずである。

一般に、不祥事を起こして信頼を失った当事者が自ら単独で検証したところで、社会の理解を得て信頼回復への道筋をつけることは非常に難しい。そのため、社会的に信頼が確立している第三者に徹底した事実究明を委ね、その結果とともに改革ビジョンも示すことが、危機管理の常道になっている。

朝日新聞2014年8月6日付朝刊。前日の検証記事への識者の厳しい言葉が並んだ
朝日新聞2014年8月6日付朝刊。前日の検証記事への識者の厳しい言葉が並んだ

ふだんは他人の不祥事に厳しい報道機関だが、その最大の不祥事である「誤報」の危機管理は非常に立ち遅れている。朝日の報道検証も、既に指摘した点のほかにも、第三者を入れずに単独で行い、検証の手法や結果に疑問を指摘する複数の有識者コメントを大きく載せるなど、所期の目的に逆効果となることをやっている。「誤報の危機管理」ができていないのである。

このままでは何のための検証だったのか、やらない方がましだったのではないか、ということになる。社員の士気にも影響しかねない。朝日の上層部はこれで区切りをつけたつもりにならず、第三者委員会でも立ち上げてより徹底した検証を行い、周りをあっと言わせるような改革ビジョンを示すしかない。新しい新聞社のあり方を率先して示すのである。まだ挽回の機会はある。

先日、軍事アナリストで国際変動研究所理事長の小川和久氏が、朝日新聞に次のような提言を出している。私も全面的に賛同するので引用したい。この提言を、朝日新聞に限らず、すべての報道機関が適用する日が来ることを願う。

  1. 誤報だったことを明記した訂正記事を、紙面の目立つ部分に掲載し、誤報をもとに国会質問が行われたり、研究者の論文に引用されたりしないよう、「歴史の記録者」(新聞倫理綱領)としての責任をとること。
  2. 既に行われた誤報をもとにした国会質問については、質問者と国会の議事録作成当局に通告し、議事録にも訂正が行われるようにすること。
  3. 誤報が出た場合の社内ルールを定め、筋の通らない言い訳がまかり通ったり、後輩や部下を庇おうとする社内政治が訂正記事の掲載を阻むことがないようにし、日本新聞協会に「朝日新聞モデル」として提案する。
  4. 社内ルールを定めるにあたっては、第一線の記者の萎縮や自主規制を防ぐうえでも、誤報した記者の処罰は行わないものとし、あくまでも「歴史の記録者」としての責任を果たし、読者の信頼を勝ち取るために訂正記事を掲載することを明記する。

『NEWSを疑え!』第327号(2014年8月21日号)所収「編集後記:誤報検証サイト「Gohoo」が出した注意報」より一部抜粋。太字は引用者が特に重要と思う部分)

弁護士

慶應義塾大学卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHoo運営(2019年解散)。2017年からファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年『ファクトチェックとは何か』出版(共著、尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー受賞)。2022年、衆議院憲法審査会に参考人として出席。2023年、Yahoo!ニュース個人10周年オーサースピリット賞受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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