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世田谷区が待機児童ワーストから「ゼロ」達成 算定法と保育園激増の秘訣、そして終わらぬ挑戦

前屋毅フリージャーナリスト
駒沢わこう保育園でエプロンをつけて身支度の子どもたち(撮影:筆者)

待機児童の多さでワースト1位だった世田谷区が、2020年4月1日時点で「ゼロ」を達成した。保育園の数を大幅に増やした結果だが、ただ数だけを増やしたわけではなく、質をともなった保育園を増やしてきている。とはいえ、ゼロになるには「算定のマジック」もあり、完全なゼロが実現しているわけでもない。「必要なところに必要な保育園」を目指す世田谷区の挑戦は現在進行形でもある。

数年前から行動開始、予約にお金を払って… たいへんだった保活事情

「世田谷区の待機児童がゼロになったのは、いま聞いて、知りました。私が『保活』していたときは、たいへんだったんですけどね。そういえば最近、『たいへんだ』って声が周辺から聞こえてきませんけど、そのせいですかね」と言ったのは、世田谷区在住で3歳になる男の子を区内の認可保育園にかよわせているAさんだった。「保活」とは、子どもを保育園にいれるために保育園事情を調べるなど保護者が行う活動のことである。

「うちの子は2018年4月に0歳児クラスに入園しましたが、妊娠がわかった2016年秋から保活を始めました。世田谷区は待機児童が多くて激戦区で、早くから動くのが常識になっていました」と、Aさん。いろいろな保育園の体験入園などにも積極的に参加したが、「名前と顔を覚えてもらうため」(Aさん)だった。認可保育園では対応していない「入園予約」を受け付けている無認可の保育園を見つけて予約し、予約金まで払った。1日でも早く職場復帰しなければならないAさんは、必死だった。

「17年の11月ごろに認可保育園の募集が始まって、世田谷区は30希望までだせるんですが、私は17希望までだしました。申し込みには嘆願書まで付けてだしました。それでも、『はいれないだろうな』という気持ちのほうが強かった。それが、第2希望にはいれたんです。連絡を受けたときは呆然としたし、そのあとは大泣きでした」と、Aさん。

 実は、Aさんが保活を始めた2016年度(平成28年度)は世田谷区の待機児童数は1109人と最悪の時期だったのだ。その年をはさむ2013~

世田谷区の待機児童と私立保育園の数の推移 (世田谷区保育部の資料から作成 画像制作:Yahoo!JAPAN)
世田谷区の待機児童と私立保育園の数の推移 (世田谷区保育部の資料から作成 画像制作:Yahoo!JAPAN)

17年度(平成25~29年度)まで世田谷区は、全国市区町村のなかで待機児童数のワースト1位を続けている。そして2014年度~16年度(平成26~28年度)の3年間は、待機児童数は1000人を超えていたのだ。

 そこから徐々に減らして2019年度(令和元年度)には470人になっているが、これは再び全国最多となる数でもあった。つまり世田谷区は、1年間で全国最悪から「ゼロ」を達成してしまったことになるのだ。

「短期間でできたものではありません」世田谷が起こした奇跡の内実

その「秘策」を、世田谷区保育部保育計画・整備支援担当課長の中西明子さんに訊ねてみたところ、次の答が戻ってきた。

「短期間で『ゼロ』を達成した秘訣みたいなことに興味をもっていらっしゃるのかもしれませんが、決して短期間でできたものではありません。世田谷区が『ゼロ』になれたのは、保育園の新設など整備に、かなり力をいれてきたからです」

 それが、簡単なことではない。そもそも保育園を運営する団体を探さなければならないし、土地や建物も手当しなければならない。そうなると、「1つの保育園をつくるのに2年はかかる」(中西さん)ということになる。それでも世田谷区は、保育園を急激に増やしていった。それには、「私立」の果たした役割が大きい。行財政改革の一環で全国的に公立保育園は減少傾向にある一方で、国は私立に手厚い補助金をだしている。この状況が後押しとなって、世田谷区では認可の私立保育園を一気に増やすことができたのだ。

 待機児童数がピークだった2015年度の私立の認可保育園は、既存の保育園が別の場所に新たに設けた分園も含めると80でしかない。これがゼロを達成した20年4月1日時点では179と、99施設も増えている。

 前年比でも22の私立保育園が新たに誕生している。つまり19年4月1日から20年4月1日までの1年間で、認可の私立保育園が22も増えたということだ。これが待機児童ゼロに果たした役割は小さくない。

 念のためにふれておきたい。19年度は19年4月1日から20年3月31日までであり、この年度の私立保育園数は157で、その翌日の20年4月1日には179と、数字的には1日で22も保育園が増えたことになる。そこには理由がある。保育園の入園日は4月1日で、新設の保育園のオープンもそこに合わせることになる。だから4月1日時点での保育園数が、その年度の数になるのだ。

特色あるそれぞれの保育園、キーワードは「保育の質」

 ともかく、1年間で22も新しい保育園が生まれるほど、世田谷区では保育園の整備に力をいれてきた。もちろん、黙っていて増えたわけではない。世田谷区保育部の中西さんが説明する。

世田谷代田仁慈保幼園 多目的ホールのガラス窓はオープンすれば人がはいってきやすい設計で、イベントで地域交流の場としても使える。左側は公道である (撮影:筆者)
世田谷代田仁慈保幼園 多目的ホールのガラス窓はオープンすれば人がはいってきやすい設計で、イベントで地域交流の場としても使える。左側は公道である (撮影:筆者)

「地方で保育園を運営している法人にも声をかけていきますし、区内に土地を持っている方に提供してもらうためにチラシなど、さまざまな方法で呼びかけてきています。法人と地主さんとのマッチングも、区として積極的にやってきました」

 そうした努力を長年にわたって区として続けてきたからこそ、待機児童ゼロにつながる保育園数の急増が実現できたのだ。しかも、ただ数を増やしただけではない。

「保育のキーワードとして『保育の質』を掲げ、2015年には質のガイドラインをもうけています。運営事業者の選定にあたっては、書類審査、運営している園の視察、ヒアリングを学識経験者などにも加わってもらって厳しく行っています」と、中西さん。

 それだけに、世田谷区の保育園はそれぞれが特色をもっている。たとえば2020年4月に開園した「世田谷代田仁慈保幼園」は、小田急線の地下化にともなって線路跡地につくられ、おしゃれなカフェなどが並ぶ「下北線路街」の一画にある。保育園といえば高い柵などで囲われているイメージが強いが、ここはオープンなイメージの園舎となっている。一般歩道との距離が近く、そこを歩く人が園児の遊ぶ姿を間近にする。街の人と交流するためのスペースも設けられている。もちろん人の出入りが自由なわけではなく、セキュリティ面はじゅうぶんに確保されている。

 仁慈保幼園は1927年に鳥取県米子市で開園し、同市での活動はいまも続いている。「子どもは教室の中だけでは育てられない」と語るのは、世田谷代田仁慈保幼園の妹尾正教園長。さらに、説明は続く。

「学びのフィールドをいろいろやっているけど、園のなかだけでは解決つかないことがたくさんある。たとえば外で遊んでいて草とか花の汁に色があることに気づき、子どもたちが興味をもつ、もっと詳しく学びたいけど園だけでは対応できない。しかし、地域に目を向ければ染物屋さんとか詳しい人がいる。その人たちのところへ出かけていって学ぶ。学びのフィールドを地域にも求めていき、地域との交流が強まる。それが当園の姿勢でもあるわけです」

 そうしたところが、ここの地主であり線路跡地での街づくりをすすめている小田急にも認められたのだろう。「子どもたちが地域に出ていくだけではなく、地域からも積極的にきてもらう。それが、この園の大事にしているところです」とも妹尾園長は言った。

「駒沢わこう保育園」と20年4月に開園したばかりの「三軒茶屋わこう保育園」を運営する社会福祉法人「和光会」の本拠は静岡県浜松市で、同市でもこども園の活動を行っている。三軒茶屋わこう保育園が大事にしているのは、「多様性への対応」である。和光会の志賀口大輔理事長が説明する。

「多様性のひとつが登園時間です。保護者の仕事の都合で、7時に登園する子もいれば、8時や9時に登園する子もいます。そうすると、子どもたちの朝食の時間も違っているはずですよね。それなのに、同じ時間に昼食というのは、おかしい。だから当園では、子どもたちの朝食時間に合わせて昼食の時間をずらしています」

三軒茶屋わこう保育園 それぞれの生活時間に合わせて昼食時間を変えるため、遊びのスペースとは区切られた食事スペースが設けられている (撮影:筆者)
三軒茶屋わこう保育園 それぞれの生活時間に合わせて昼食時間を変えるため、遊びのスペースとは区切られた食事スペースが設けられている (撮影:筆者)

 こうした例からも、世田谷区で増えている保育園が高い質をともなっていることがわかる。

「必要なところに必要な保育園がある」という状態はまだ遠い 世田谷区の挑戦は道半ば

 待機児童数ゼロを達成した世田谷区で、待機児童の問題が完全に解決されたわけではない。ゼロも、実は待機児童の解釈が変わったことの影響が大きい。先の世田谷区保育部の中西明子さんが次のように言う。

「待機児童を算定する国の基準が変わって、それを適用したら結果的にゼロにむすびついたところもあります」

 入園申し込みをしても、育児休業の延長を希望していてすぐに復職する意思がない人もいる。そういうケースも、入園が決まらなければ待機児童にカウントされていた。それを今年から育児休業を延長する意思があるかどうかを確認し、延長希望者は待機児童から除くことになった。そういうケースが、328人いるという。

 さらに、自宅から2キロ圏内に空きのある認可外施設などがあるにもかかわらず、預けていないケースも474人いる。「認可施設でなければダメ」とか「あの保育園でなければダメ」といったケースが想定される。「特色のある保育園が増えて、選べるようになったからかもしれません」と中西さんは言うが、詳しくは分析できていないという。これも、待機児童のカウントからはずされることになった。

「そうした国の基準で算出していくと、引ける数字が大きくなった。それがゼロにつながったとも言えるわけです」と、中西さん。

 それでもゼロになったのだから問題解決、とは世田谷区は考えていない。中西さんが続ける。

「特定の保育園に預けたいという要望もふくめて、まだ、『必要なところに必要な保育園がある』という状態ではありません。その状態に近づけていくために、世田谷区としては今後も保育園の整備に努めていきます」

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。2021年5月24日発売『教師をやめる』(学事出版)。ほかに『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『全証言 東芝クレーマー事件』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン)

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