プロレス界最大のヒールユニット「BULLET CLUB」は、いかにして大きくなったのか?
新日本プロレスのヒールユニット「BULLET CLUB」が勢力を拡大し続けている。プロレスにおけるヒール(悪玉)とは観客の憎悪を買う存在で、強烈なヒールがいてベビーフェイス(善玉)が輝くわけだが、現在、ベビーフェイスを圧倒する輝きを見せているのが彼らである。そこで、活動期間10年目を迎える「プロレス界最大のヒールユニット」の歴史についてリーダーの変遷を中心に紹介したい。
第1期 プリンス・デヴィット時代(2013年-2014年)
BULLET CLUBが結成されたのは、2013年5月。ベビーフェイスだったプリンス・デヴィットがバッドラック・ファレと2人で結成したのが始まりである。新日本プロレスの道場で留学生として育った彼らは、同じく元留学生のタマ・トンガ、ロス道場出身のカール・アンダーソンも仲間に引き入れ、過去に例のない「外国人によるヒールユニット」を始動させたのだった。メンバーはドク・ギャローズやヤングバックスらも加わり、7人へと膨れあがる。BEST OF THE SUPER Jr.の優勝決定戦で彼らを乱入させて勝利をさらったデヴィットは、ファンの反感を買ってヒールとしての地位を確立、ギャング的なユニットのイメージを作り上げたものの、2014年4月に新日本プロレスを退団してWWEへ移籍してしまう。
第2期 AJスタイルズ時代(2014年-2016年)
デヴィットと入れ替わるようにリーダーの座に就いたのは、元TNA王者のAJスタイルズであった。AJは、いきなりオカダ・カズチカを破ってIWGP王座を獲得し、BULLET CLUBに最高権威をもたらすことに成功する。しかも、この試合ではオカダと同じユニットCHAOSにいたはずの高橋裕二郎が乱入してAJに加勢、外国人ばかりのBULLET CLUBに初めて日本人メンバーが誕生したのである。AJの知名度や米国大会の開催、さらにインターネットで新日本プロレスワールドのサービスが開始したことによって、この時期は英語圏でBULLET CLUBのファンが急増。メンバーが着用する黒いTシャツの人気が高まっていく。
第3期 ケニー・オメガ時代(2016年-2019年)
2016年1月にBULLET CLUBは大きな節目を迎える。リーダーのAJ、さらにアンダーソンとギャローズの3人が離脱してWWEへ移籍してしまったからだ。しかし、3代目リーダーとなったケニー・オメガは才能を開花させ、G1 CLIMAXで優勝、WRESTLE KINGDOMのメインイベントまで登り詰めるなど、歴代リーダーができなかった偉業を達成する。また、チェーズ・オーエンズやマーティー・スカル、タンガ・ロア、石森太二、ジェイ・ホワイト、邪道と外道も加入して勢力は拡大する反面、ユニット内では派閥争いも生また。ケニーがヤングバックスやCodyらとユニット内で作った別グループ「ELITE」は、のちに新団体AEW旗揚げへと繋がる。
第4期 ジェイ・ホワイト時代(2019年-2022年)
2019年にケニーとヤングバックスが離脱後、リーダーとなったのは26歳のジェイ・ホワイトだった。ジェイは就任早々にIWGP王者として、マディソン・スクエア・ガーデンでメインイベントを務めるなど、驚くほど急速に成長を遂げる。また、KENTAやエル・ファンタズモらが新戦力として加入。コロナ禍で日米間の往来が途絶えた時期にはEVILがディック東郷を伴って合流、新派閥「House of Torture」を結成したことも記憶に新しい。2022年になって海外との往来が復活した途端、ジェイは邪道、タマ・トンガ、タンガ・ロアの3人を追放してジュース・ロビンソン、ヒクレオ、エース・オースティンで補強するなど、メンバー編成においてもリーダーシップを発揮している。
以上が、結成からここまでのBULLET CLUBの流れである。4人のリーダーがカリスマ性を発揮してきたことがお判りだろう。また、メンバーになることによって、レスラーとして再生するケースも目立つ。度重なる乱入や反則に不満を抱えるファンも多いとは思うが、彼らがリングで残した実績は決して無視できない。事実、IWGP世界王座はジェイが保持しており、開催中の「G1 CLIMAX 32」に出場する28人中8人をBULLET CLUBのメンバーが占めている現状は、彼らがリングで主流派になったことの表れだ。しかし、プロレスはベビーフェースの反撃にこそ、最大のカタルシスがある。かつてないほど強大化したヒールの存在をさらに上回るベビーフェースが現れるときこそ、新日本プロレスはさらに観客を魅了すると筆者は予想している。
※文中敬称略