卒業式マジックに気をつけよう
きょう、もしくは今週、卒業式を迎えた小中学校等は多いのではないだろうか。卒業生の表情はどうだろうか。新型コロナで翻弄された3年間で、入学当初から休校で不安なスタートとなり、修学旅行に行けなかった学校もあるなど、ガマンも続いた。とはいえ、いいことも多かったと笑顔も、ちらほら見られるのではないだろうか。
卒業式と言えば、学校行事の中で一番の節目、感動的な1日かもしれない。
そんななかに水を差すような話をするようだが、卒業式に関連して、ちょっと“もったいないな”と思うことがある。
■“卒業式マジック”!?
これは、ある中学校の先生が教えてくれた言葉だ。1年間いろいろな苦労をして、さまざまな課題や改善点が見えてきても、感動的な卒業式を迎えて、「先生、1年間ありがとうございました」と言われると、「教師をやってきて本当によかったな」と思える。教師冥利に尽きる日と言える。
そのあと新学年、新学期が始まる、人事異動がある人もいる。バタバタするうちに卒業式(あるいは終業式)以前に感じていたことの大方が、魔法がかかったかのように、「まあよかったかな」と思え、リセットされてしまう。
どこかで一度リセットできて、多少リフレッシュすることは、疲れやストレスを引きずらないという意味ではプラスだ。とりわけ、先生たちの仕事は本当にたいへんなのだし。
だが、学校の活動、取組として、年度ごとにかなりのものがリセットされ、組織的な学習があまり蓄積されないとすれば、それは、実にもったいないことだ。結局、個々人としては「これはなんとかならないかな」などと疑問を感じていても、組織としては例年通りに事の多くは進んでしまう。
たとえば、運動会、体育祭について、もっとこうしたらよかったなという反省点はあっても、年度が明けたら担当者が代わり、十分に引き継がれない。忙しいし、とりあえず前年度の計画に年・日付を変えて案を作るというケースもあると聞く(もちろん、こういう場合ばかりだと言いたいわけではない、学校や人によっても差はある)。
教育委員会などからかなりジャマくさい調査依頼や事務作業の依頼が来る。もっと効率的にやれる方法はあるのに、と感じても、締め切りは近いし、文句を言うよりも処理してしまう。不満やストレスは業務改善の種、ヒントになるのだが、その気持ちはだれにも届かないまま、また翌年同じような書類作成が来る。
■忙しいから見直せないのか、見直さないから忙しいままなのか
学校に限った問題ではなく、多くの行政組織などでも、前例踏襲という批判はよく耳にする。だが、なぜそうなりやすいのかを診断しないと、前例踏襲はちょっとやそっとでは変わらない。
学校の場合は、卒業と入学で大きく子どもが入れ替わること、それと同時に校長や教職員もかなりの数が異動してしまうことの影響が大きいのではないか。つまり、この3月、4月の切り替えと引き継ぎが問題だ。
もちろん、目の前のことが忙しいことも影響していることは、間違いない。ある小学校の副校長から聞いた言葉だが、学校は「ベルトコンベア」みたいだ。ある行事を終えると、またすぐに次の行事の準備をやらないといけない。子どもたちを相手にしている以上、毎日なんらかのトラブルや困ったことは次々と起こる。「〇〇くんが教室を飛び出しました。教頭先生、クールダウンに付き添ってください」とか「休み時間中に児童が小さな怪我をした。大事ではないけれど、保護者にちゃんと説明しておかないと」とか。
とっても忙しいので、見直しや改善をしようという気になりにくい、という気持ちはよく分かる。だが、因果関係は逆かもしれない、とも思う。根本的な見直しができていないから、忙しい日々のまま、という部分も大きいのではないか。
ベルトコンベアを少しでも止めて「もっとこうしたほうがよいかも」「そもそも、これってなんのためだっけ?」「子どもたちも先生たちも、もっと楽しくできる方法はないかな」などと考えていく。特に春休み(ならびに夏休みなど)がそうした対話と議論をするチャンスだ。忙しくてそんなヒマはない、と言いたくなる気持ちは分かるが、忙しいとばかり言うのも、思考停止を招く。
■学校評価も機能しているか
学校の先生のなかには「リフレクション(省察)」という言葉が大好きな人はけっこういる。たとえば、授業研究会で授業の反省点等を考えるときや、児童生徒が振り返りコメント等を記入するときに、リフレクションという言葉はよく使われる。
授業づくりや児童生徒の成長についてはリフレクションが好きなわりには、学校の組織としての学習、振り返りという意味では、かなりの先生たちの関心は薄いように、わたしには見える。
一例をあげよう。学校評価が学校教育法と施行規則に位置付けられて、かれこれ15年以上になるが、各学校での様子はどうだろうか。当初、学校運営の改善等を図るというお題目で始まった制度であるが、そのように役立っているだろうか?
約15年前からも見られたことで、こんにちまであまり変わっていないのは、教職員向けや保護者向けのアンケートをとって、お茶を濁すかのような評価が少なくないことだ。アンケートを眺めた教職員の反応としては「昨年よりわずかに肯定的な回答割合が増えて、まあよかったかな」、「こっちについては少し肯定的な回答が下がったけれど、大きな変化じゃないしね」といった感じで、あまり反省に活かせているようには見えない。
もしくは、アンケート集計・分析や資料作成はたいてい副校長・教頭の仕事で、教頭先生らは忙しい中、苦労しているのだが、ほかの教職員の関心は薄く、あまり活かされる感がしない。そんな学校も多いのではないだろうか。
別に、アンケートを取るのが悪いと言いたいのではない。せっかくその手間暇をかけているのに、十分に活用できていないのはどうなのか、という話。本来なら、アンケート結果やほかの情報、とりわけ児童生徒の日常的な様子や各種データをもとに、来年度はもっとこうしてはどうかといったアイデアをしっかり練ることが、学校評価では大切なはずだ。つまり、アンケートを取ることやグラフにすることに価値があるのではなく、そのあとの企画立案や議論をすることのほうが大事だ。
学校評価も、あるいは教育課程の編成や学校経営計画の作成等も、例年通り、無難にこなすことが目的化していて、あまり内容をつっこんで検討できていないのかもしれない。これらが単にわたしの思い違いや杞憂であればよいのだが、読者のみなさんの学校ではいかがだろうか。リフレクションしてほしい。
わたしが働き方改革や業務改善の研修などをしていると、「学校評価をやめてほしい」、「〇〇計画などの書類は負担感があるから、なくしてほしい」という意見がよく出る。書類としてどこまで必要かなどは要検討であろう。だが、より本質的には、そうした活動や書類作成をやっているわりには、効果が出ないのはなぜなのか、形骸化しているのはなぜなのか、本当にこのままでよいのかなどを、問い直すことだ。
年度替わり、リフレッシュはしっかりしていただきたいが、卒業式マジックにかかったままで、リセットされたままにならないようにしたい。
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