「伝説のGK」バート・トラウトマンをご存じですか? サッカーファン必見の『キーパー ある兵士の奇跡』
■なぜ地味なGKの物語が映画化されたのか?
今回は趣向を変えて、来月に公開されるフットボール映画を紹介することにしたい。2018年製作『キーパー ある兵士の奇跡』(以下『キーパー』)。マンチェスター・シティ(以下、マンC)の伝説的GK、バート・トラウトマン(1923−2013)の生涯を描いた作品である。トラウトマンの映画と聞いたとき、まず抱いた感想は「渋いチョイスだなあ」というものであった。
プレミアリーグやマンCのファンでも、トラウトマンの名前を知っている人はわずかだろう。この人がマンCでプレーしていたのは、1949−50シーズンから63−64シーズンまで。代表歴もないので、ワールドカップにも出場していない。あくまでマンC限定のヒーローという位置づけである。加えて、ポジションはGK。この時代のGKは、今以上に地味な存在であった。
そんなトラウトマンの生涯が、なぜ映画化されたのか? それは彼が、第二次世界大戦の敵国だったドイツ軍の捕虜であったからだ。彼がマンCに加入した49年といえば、ナチス・ドイツとの戦いが終わって、まだ4年。国民の間には、戦争の生々しい記憶が残っていた時代だ。彼がチームに、そしてサポーターに受け入れられるのに、どれほどの艱難辛苦があったか、容易に想像できよう。
この作品は、戦争とフットボール、そしてトラウトマンのドラマティックかつ数奇な人生を緻密かつリアルに描ききっている。もちろん映画だから、多少は脚色された部分もある。しかし、作品としてのクオリティは総じて高く、とりわけサッカーファンにお勧めできる作品である。以下、物語のポイントを3つ挙げながら『キーパー』の世界観と作品の魅力について語っていきたい。
■サッカーが許されていた捕虜収容所生活
トラウトマンは、1923年にドイツのブレーメンにて出生。幼少から地元のサッカーチームに入団していた。やがて牧歌の幼年時代は、台頭するナチス・ドイツに絡め取られてゆく。トラウトマンは10歳でヒトラー・ユーゲントに入団。さらに17歳となった40年、ドイツ軍に入隊する。空挺兵として東部戦線で活躍し、鉄十字勲章を含む5つの勲章を授与された。
トラウトマンが連合国軍の捕虜となったのは、祖国が敗色濃厚となっていた44年、フランスとドイツの国境でのことであった。映画は、そこから始まる。連合国軍の捕虜の扱いは、東部戦線での過酷な捕虜の状況を知っていたトラウトマンにとり、驚きの連続だったという。英国での捕虜収容所では、温かい食事が与えられ、休憩時間には喫煙もサッカーをプレーすることも許されていた。
物語の第1のポイントは、捕虜収容所でサッカーがプレーできたことである。「PKを止めたらタバコをもらう」という捕虜仲間との賭けで、ファインセーブを連発するトラウトマン。その才能に、収容所に出入りしている食料品店主が着目する。彼は地元のアマチュアクラブ、セントヘレンズタウンACの監督でもあった。
このセントヘレンズタウン、おりしも降格ギリギリの状況にあった。そこで監督は収容所長に掛け合い、試合日にトラウトマンを貸し出してもらう約束を取り付ける。いくら「フットボールの母国」だからといって、ここまで捕虜に甘くていいのだろうか? 実際のところ、トラウトマンがセントヘレンズタウンでプレーするのは、捕虜収容所から釈放されて以降だったようだ。
■敵国の人間として、民族の憎悪の対象として
セントヘレンズタウンの選手たちは当初、ドイツ人とプレーすることに猛烈な拒否反応を示した。無理もない。戦地に赴いた者もいれば、ドイツ軍の空襲で家族や友人を亡くした者もいただろう。しかしトラウトマンは、類まれな身体能力とクレバーな判断力、そして勇気あるプレーと誠実な人柄で、次第にチームメイトの信頼を獲得。押しも押されもせぬ守護神へと成長する。
やがてトラウトマンは、英国に残ることを選択。そして監督の娘、マーガレットと結婚して家庭を持つ。ここが物語の第2のポイント。なぜ彼は、祖国を捨てる決断をしたのだろうか? 映画の中では「チームのために」とされていたが、いささか説得力に欠けると言わざるを得ない。これは憶測だが、当時のトラウトマンは、祖国の将来を絶望視していたのではないか。ちなみに東西2つのドイツが誕生したのは、彼がマンCに移籍した49年のことである。
そのマンC、今でこそグローバルなビッグクラブとして知られるが、トラウトマン加入の時点では、3つのタイトルしか持っていなかった。すなわち、リーグ優勝1回(1936-37)、FAカップ優勝2回(1903-04、33-34)。当時のジョック・トンプソン監督が、戦後初のタイトル獲得の切り札として白羽の矢を立てたのが、元ドイツ軍捕虜のトラウトマンだったわけである。
ところが地元のマンチェスターには、巨大なユダヤ系コミュニティがあった。ゆえにトラウトマンは、単なる敵国の人間というだけでなく、ユダヤ系市民の民族的な憎悪にも晒されることとなる。彼自身は、ホロコーストには一切関与していなかったが、それがエクスキューズとなる時代ではなかった。この逆風に、どう立ち向かったのか。それが、この作品の第3のポイント。ここで、トラウトマンの大きな支えとなったのが家族、とりわけ妻のマーガレットの存在であった。
■注目すべき時代の再現性と現代とのシンクロ感
トラウトマンのフットボール人生で、最大のクライマックスとなったのが、55−56シーズンのFAカップ決勝である。バーミンガム・シティFCとのファイナルで、彼は首に重症を負いながらも(のちに骨折していたことが判明)最後までゴールを守りきり、戦後初のタイトルをマンCにもたらした。元戦争捕虜が、伝説的な英雄となった瞬間である。
ハリウッド映画であれば、ここでエンディングとなっていただろう。しかし、ドイツ人監督のマルクス・H・ローゼンミュラーは、その後のエピソードも淡々と描いている。それまでのドラマティックな演出から一転、心の痛みを伴う描写が続くのだが、それもまた映画の重要な要素となっている。ネタバレ防止であえて触れないが、ぜひともご自身で確認していただきたいと思う。
最後に、この作品を強くお勧めできる理由を2点、指摘しておきたい。まず、時代の再現性。サッカーファンは、このジャンルの映画に概して厳しい。「当時のユニフォームはこんなんじゃない」とか「プレーが素人っぽい」とか「スタジアムの雰囲気がイマイチ」とか。この『キーパー』に関しては、コアなサッカーファンでも十分に満足できるレベルに達していると感じた。とりわけFAカップ決勝の会場となった、旧ウェンブリー・スタジアムの再現性は圧巻の一言に尽きる。
そしてもうひとつが、現代とのシンクロ感。世界中で自国民ファーストの機運が高まったところに、おりからのコロナ禍が人種間や民族間の断絶や格差を露呈させた。かつてトラウトマンが感じていた孤独と絶望を、戦争捕虜ではない普通の人々が日常的に感じている。それが今、われわれが置かれた状況である。今から70年前の人々は、かつて敵として戦った人間とどう向き合い、受け入れていったのか。この作品から、われわれが学ぶべきシーンは少なくない。
サッカーファンならずとも、ぜひともご覧いただきたい『キーパー』。10月23日より、新宿ピカデリーほかで全国公開の予定だ。
<この稿、了>
※写真はすべて(C)2018 Lieblingsfilm & Zephyr Films Trautmann