Yahoo!ニュース

南シナ海 仲裁裁判所裁定の本当の勝者

富坂聰拓殖大学海外事情研究所教授

オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所(PCA)は7月12日、中国が南シナ海を支配する根拠としてきた「九段線」の歴史的権利を否定。国連海洋法条約(以下、条約)をもとに提訴したフィリピンの主張をほぼ全面的に認める裁定を下した。裁定から一週間が過ぎたが、中国の激しい反発は続いている。

裁定に対し中国は当初予想された通り「(裁定は)無効」であり、「従わない」としているが、その根拠は、条約第298条に基づく「領土や海の境界、歴史的な権限、軍事活動などを紛争解決手続きから除外する」宣言である。これはフィリピンが中国を提訴する前(2006年)に行われていて、同様の宣言を行っている国は中国以外にも多い。国連常任理事国では中国を含め4ヵ国。条約そのものを批准していないアメリカを含めれば5ヵ国すべてが同様の立場をとっている。

一方で中国は、フィリピンのPCAへの提訴は「(紛争を)2ヵ国間の話し合いで解決する」とした2011年の中国とフィリピンの共同声明に違反し、また南シナ海問題の解決を当事者間の話し合いで行うとした「ASEAN行動宣言」にも反すると主張している。

中国は端から裁定を無視する姿勢を示してきたが、はたしてそれが戦術上正しかったのか、ネット上でも多くの疑問符が投げかけられている。

本来、国家間の紛争は大別して外交的な解決と裁判による解決に分けられるが、主流は外交による解決だ。当事国間での話し合いが行き詰まった場合には裁判に委ねられることもあり、その場合、裁判は司法裁判と仲裁裁判に分かれる。

一般的に仲裁裁判は司法裁判に比べて、秘密の保持が可能であることと、また比較的衡平な判断が期待できるという利点があるとされてきた。裁定を公開するか否かは当事国が選択でき、かつ裁判ではそれぞれが同数の裁判官を選び、選ばれた裁判官の合意により上級裁判官一人が指名されるという手続きが採られるため、双方の意見が反映されやすいと考えられてきた。

だが、今回のように一方の国が提訴にかかわろうとしなければ、公開非公開の選択から裁判官を選定する過程まで、そのすべてに一方の国の意向が反映されることはない。中国が「衡平な裁定を求める前提は崩れていた」と不満を述べているのはこのためだ。

こうした経緯を含め中国はPCAの裁定を「紙くず」と断じたのだが、中国への風当たりが強まることはなく、現状では国際社会に理解されているとは言い難いようだ。

ただ、だからといって中国を直ちに「法律を守らない国」とレッテル貼りすることには慎重さ――かつて日本自身もミナミマグロの調査漁獲をめぐる裁判ではPCAに対し今回の中国と同じように「仲裁裁判所にはこの件を審理する管轄権がない」と主張したこともあれば、南極海での調査捕鯨をめぐり国際司法裁判所(ICJ)が違法との判断を下したのに従っていない――が必要だ。

今回の提訴は、そもそも中国とフィリピンとの話し合いが進められてきた最中にも、中国が強引な開発の手を緩めなかったことが直接の原因であった。中国には「条約を無視して先に開発を進めていたのは中国以外の国」――事実、空港建設は中国が4番目であり石油の試掘も遅れていた――との不満があるのだろうが、やはりそこには大国としての自覚が足りなかったといわざるを得ない。

膨張する中国が国際社会のルールを尊重するのかに対する地域の警戒心は中国が予想する以上に強く、それを軽視した中国外交の拙劣さがあったからだ。

では、なぜ中国は国際社会の非難が高まるなかでも強引な開発を進め、PCAの判断を無視し続けるのだろうか。

この疑問に対する解の一つに「中国国内には政権に対する強い圧力が存在し軟弱な姿勢を見せれば政権が持たない」というものがある。もちろん中国にも政治家が領土問題で譲歩するリスクは存在している。しかしそれは、どの国にもある平均的な圧力に過ぎず、とくに国民的な人気を誇る習近平指導部にとって致命的な意味は持たない。事実、中国は国内世論に背中を押されて南シナ海での開発を進めてきたわけではない。

では、何が理由なのだろうか。そこにあるのは、中国がいま「世界は海の境界画定の競争の時代を迎えている」と位置付けていることだ。

今年1月、習近平指導部は大規模な軍事改革を公表―実際はその前から進行していた―したが、その目玉の一つは海軍の強化であった。この陸から海へのシフトを、党の立場を代弁する立場の専門家たちは口をそろえて「陸地の脅威はなくなった。今後の脅威は海からくる」、「海の境界はまだ未確定で不安定」と解説してきた。

これは大げさに言えば、第二次世界大戦までは世界は陸地の境界を巡って戦いであり、いまは海の境界を確定するための競争と中国が受け止めていることを意味する。中国は当然、今回のPCAの裁定もこの視点から見ていたことになる。つまり中国にとってこの裁定は単に提訴国フィリピンとの争いという枠では語ることのできない問題であったのだ。

いま、海の境界画定競争という視点で改めてPCAの裁定を見てみると興味深いのは、今回の裁定のなかで中国が最も気にしているのは日本のメディアが注目した「『九段線』の法的な判断」や「人工島の埋め立ての合法性」ではなく、「南沙諸島に『島』はない」とした部分ではないかと思われる点だ。

裁定の通りであれば南沙のある海域に「中国はEEZを設定することはできない」のだが、それは同時に中国以外の5ヵ国地域(南沙に領有権を主張している)も「EEZは設定できない」ことになる。つまり乱暴な表現をすれば南沙の海域に突如「巨大な空き地」が出現したことになるのだ。

これにより最も利益を得たのはだれか。それは間違いなくアメリカである。実は、中国は早くから「フィリピンの裏側にいる域外国の企み」という表現でこれを警戒してきた。そして「空き地」の出現は中国にとって最悪の結果であり、それが中国の予想以上に激しい反発を引き出したとみられるのだ。

裁定後、国内メディアは対外的に激しい主張を繰り出し続けているが、その矛先は意外にもフィリピンだけに向けられているわけではない。

中国は当初からPCAへの提訴は「フィリピンの選択」ではなく「アキノ政権の選択」と位置付け、ドゥテルテ政権が誕生した現在、過去の問題とする見方を強めている。またアキノ政権の裏側には「域外国の意図」が働いていて、その「域外国」が暗にアメリカを指す言葉であることも隠していない。

問題はこの「域外国」の手先となって南シナ海問題に介入した国として日本へも攻撃を強めていることだ。

国内メディアの表現を借りれば、日本は「アメリカの手先となって茶番劇を演出した国」ということになる。この世論形成がなされれば、今後、日本が中国からの有形無形のプレッシャーにさらされることは避けられない。

日本にとって南シナ海問題で中国と本格的に対峙することがやっかいなのは、対アメリカ、対フィリピンと違い南シナ海に明確な利害を持たないという特徴があることだ。利害が存在すれば歩み寄りの道は描きやすい。しかし利害が不在であれば残るのは感情的なしこりだけということになる。これは外交的には最悪な状況と言わざるを得ない。しかもフィリピンでは新政権がすでに動き出し、アメリカでも11月には新大統領が誕生するというタイミングを考えれば、関係改善のタイミングが最も難しいのは日本ということになりかねないのである。

新政権の誕生に合わせ、それまでの対立関係を嘘のように切り替えてくるのが、中国がこれまで繰り返してきた関係改善のパターンである。

日本として警戒しなければならないのは、PCAをめぐる対立のなかで、いつのまにか日本だけが突出した中国の攻撃対象となってしまうことであり、それが自ら抱える東シナ海問題をさらに複雑化させてしまうことである。

拓殖大学海外事情研究所教授

1964年愛知県生まれ。北京大学中文系中退後、『週刊ポスト』記者、『週刊文春』記者を経て独立。ジャーナリストとして紙誌への寄稿、著作を発表。2014年より拓殖大学教授。

富坂聰の最近の記事