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JRの一斉運休に見る日本のお寒いBCP事情

鳥塚亮大井川鐵道代表取締役社長。前えちごトキめき鉄道社長
東京駅を発着する中央線の電車(筆者撮影 参考:本文とは関連していません。)

台風24号が接近する9月30日夕刻、首都圏のJR線が全線で運休すると発表がありました。

台風の暴風雨で安全に列車の運行ができなくなる可能性が高いので、今夜は全部の区間で列車を止めるというたいへん大きな決断です。

ネットで瞬く間にこのニュースが拡散しましたが、百貨店やスーパーマーケットも早めに店じまいをし、人々は早めに家路を急ぐ様子がニュースで繰り返し放映されていました。

筆者はこの光景を見て日本もついにこういう判断ができるようになったのかと感慨を深めました。というのも海外では今から15年以上前から「BCP」という考え方が一般化していましたので、今回のように台風などの自然災害や、あるいはテロなどが発生した状況下でどのようにしたら商品供給を継続すること(交通機関が運行を継続すること)ができるかということを、事前にきちんとマニュアル化して対応することが常識となっていますので、そのBCPを連想したからです。

・BCP(Business Continuity Plan)とは

企業が自然災害、大火災、テロ攻撃などの緊急事態に遭遇した場合において、事業資産の損害を最小限にとどめつつ、中核となる事業の継続あるいは早期復旧を可能とするために、平常時に行うべき活動や緊急時における事業継続のための方法、手段などを取り決めておく計画のこと。(中小企業庁のHPより)

筆者は航空会社勤務時代にこのBCPを長年担当していました。

航空会社のBCPは自然災害やテロなどを想定していて、例えば大地震が発生した場合、その大地震の状況、空港までの高速道路が寸断される、鉄道が寸断されるなどの状況によって各部署がどのように対処するかなどが定められていますし、あるいは空港のターミナルビルが火災になる、テロリストによって貯水池に毒薬が投げ込まれるなどいろいろな状況を想定して、事前にそれらに対する対応策を協議し、あとになってから「想定外だった」などということの無いように事前対策を講じることが求められているのがBCPであり、その目的は、商品を供給し続けること。つまり航空会社の場合はそのような状況下にあって如何に飛行機を飛ばすことを継続できるかというのがBCPの大きな目的になります。

具体的な例として、もしターミナルビルが火災になったらどうするか。

例えば成田空港の場合はターミナルがいくつかありますから、自社が運航しているターミナルとは別のターミナルを使用する航空会社と緊急時の業務提携をしておくことはもちろん、お客様の搭乗手続きをするために必要な搭乗券、荷物タグ、機内座席表、フライトプラン計算表などの業務用品一式を、自社ターミナルの事務所以外の場所(貨物会社の事務所など)に非常用としてあらかじめ保管しておくことなどが計画され、その計画がいつでも実行できるように数か月に一度それらを点検して点検記録を取っておくことなどが一つの業務になっています。

同じようなものでEP(Emergency Planning)というのがありますが、これは火災等が発生した場合などのために避難路を確保してどう脱出するかという人命最優先の考え方であるのに対し、BCPは業務の継続、回復、復旧計画になるのがその特徴です。

さて、今までの日本は迫りくる災害に対して、あらかじめ公的機関が対策を取るということはあまりありませんでした。筆者の知る限りでは、沖縄などの南の地方では、今回のように台風が来る危険性が迫っている場合、以前から交通機関が事前運休し、百貨店が閉店し、学校が休校になるような措置が取られてきましたが、東京や大阪などの大都市では台風ばかりでなく大雪の場合などでもそのような事前措置が取られることはほとんどありませんでした。会社などは「這ってでも来い」と言わんばかりで、サラリーマンが自分が会社に忠誠を誓っていることを必死で示すかのように、嵐や大雪の中を通勤するのがあたかも美徳のように考えられていましたから、今回のように「鉄道が一斉運休」というような情報はある程度共通の判断基準になると評価する人たちの意見もネット上では見られました。

「安全運行が確約できないことが予想される場合は今回のように事前運休は有効だ。」

「利用者が不要な混乱を招くことがない重要な判断だ。」

「今回の運休はJRの英断だ。」

といった称賛する意見がネット上でも飛び交っていました。

そしてJRが一斉運休に入った午後9時過ぎごろから徐々に風雨が強まり始め、深夜には「予定通り」運行規程を超える暴風が関東地方を襲いました。

と、ここまではよかったのです。

ところが台風が去って一夜明けると始発から電車が動きません。どうしてかというと、運転再開のための線路の点検が間に合わないのです。台風は予報通り接近し午後9時過ぎから悪天候になり、その台風は未明には関東地方を通過して行ったのも予報通りでした。こういった場合には鉄道会社としては風雨が弱まるのを待って運転再開の手順に入ります。通常は保守用車を出して線路の点検を行い、飛来物等で線路が支障されていないかなどを確認する。あるいは営業列車は走らさないまでも始発列車の前に回送列車を走らせて線路状況を確認するなどが運転再開のための必須の手順なのですが、それができていない。あるいは朝になって障害物等が発見されて列車の運転ができない状況が続きました。

これはどうしたことでしょうか。台風が未明に通過した場合、その後の線路点検を考えると午前5時過ぎに始発電車を運転することは可能だったのでしょうか。始発列車から混乱が続き運転再開に手間取ったということは、首都圏全域の路線を運休させた場合の運転再開の手順が計画されていなかったということだと筆者はみています。首都圏全線の列車を止めた場合、深夜から早朝にかけて台風が通過した後、始発から平常通り運転再開することなどほとんど無理な話であったにもかかわらず、前日の運休を始める時点でのアナウンスは「明日は始発より平常運転の予定」でした。ところがそれができていないわけです。

10月1日、正午時点の首都圏の運転状況。お昼すぎの段階でもかなりの混乱が続いている様子がわかります。(YAHOO情報より)
10月1日、正午時点の首都圏の運転状況。お昼すぎの段階でもかなりの混乱が続いている様子がわかります。(YAHOO情報より)

BCPとは、万一事業を中断した場合、いかにして再開するか、その時間的目標や手順を定めていること、そして完全復旧までの計画がきちんとできていることが求められますから、運転再開の手順が定められていない状況で列車を止めるということは、今回の運休はBCPに従ったものではないということになるのです。

BCPというのは災害時でもどのように業務を継続するかということが第一定義ですから、最初から「安全のために運転しません。」ということはそもそもBCPではないことになります。また、BCPは「万一事業活動が中断した場合でも、目標復旧時間内に重要な機能を再開させ、業務中断に伴うリスクを最低限にするために、平時から事業継続について戦略的に準備しておく計画。」でありますから、一部の路線ならまだしも、運転再開に手間取って多くの区間で正常に戻るまでほぼ半日以上を要するような状況は、BCPとしては実にお寒いと言わざるを得ません。

「明日は始発から平常運転」の情報を得た利用者たちは、いつも通り月曜日の朝の通勤行動をします。ところが駅へ行ったら列車が来ない。列車が来ないばかりでなく改札口は閉鎖されて構内にすら入れてもらえない通勤客が駅前広場にあふれかえるという光景が首都圏全域でみられる事態は、鉄道会社のBCPが全く機能していない、あるいはBCPそのものがこの会社には存在していないことを示していたのです。

では、今回のような場合、筆者はどのようなBCPを考えるか。

まず、運休する場合は当然運転再開の目安として、「明日の午前中は走らない。」「明日は午前10時ごろから順次運転再開予定」等のインフォメーションを同時に出すことが必要でしょう。BCPの中の業務再開計画がきちんとできていれば、天候回復後、通常通りに列車が走るようになるためにどれだけの時間を要するか。また、限られた設備や人的資源でできるだけ早く回復させるためには路線ごと、区間ごとの優先順位の設定も当然必要です。そして、それに基づいたインフォメーションが事前に出されていれば、前日同様翌日も会社や学校はお休みということになりますから朝の出勤時間帯に無用な混乱をお客様にさせるようなことはなかったと思います。

また、列車の運行を止めるということは、自宅へ帰ることができなくなったお客様が出ることが前提です。そのようなお客様をどうレスキューするのか。例えば風雨の影響が少ないような駅構内に列車を停泊させ、帰れなくなったお客様にホテル代わりに滞在していただく。あるいは地下の駅構内を開放して一晩難を逃れる場所を提供するなどということも公的サービスを提供する会社としては当然BCPに入っているべきことですが、今回も鉄道会社は多くの駅で改札口を閉鎖して自社の駅構内へお客様を入れることはしませんでした。改札口というものを境に、中へ入ったらお客様だけど、外にいる人はお客様ではないと言わんばかりの対応ですが、こういう接客対応もBCPというものができていないことを示すものでしょう。

このような状況を考えると、日本においてのBCPという考え方が、大手の公共交通機関をはじめ、ほとんど認識されていないという実にお寒い状況下にあったと言えるのではないかと筆者は考えるのであります。

(つづく)

大井川鐵道代表取締役社長。前えちごトキめき鉄道社長

1960年生まれ東京都出身。元ブリティッシュエアウエイズ旅客運航部長。2009年に公募で千葉県のいすみ鉄道代表取締役社長に就任。ムーミン列車、昭和の国鉄形ディーゼルカー、訓練費用自己負担による自社養成乗務員運転士の募集、レストラン列車などをプロデュースし、いすみ鉄道を一躍全国区にし、地方創生に貢献。2019年9月、新潟県の第3セクターえちごトキめき鉄道社長、2024年6月、大井川鐵道社長。NPO法人「おいしいローカル線をつくる会」顧問。地元の鉄道を上手に使って観光客を呼び込むなど、地域の皆様方とともに地域全体が浮上する取り組みを進めています。

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