バルサにペドリが現れた必然。大胆不敵で「掴ませないプレー」と、広がる戦術のバリエーション。
今季、彼は彗星の如くバルセロナに現れた。
ここまでの活躍を、誰が予想できただろうか。ペドロ・ゴンサレス・ロペス。「ペドリ」の愛称で親しまれる若者は瞬く間にロナルド・クーマン監督の信頼を勝ち取り、バルセロナの中心選手になった。
「ペドリは常に頭を使ってプレーしている。トップアスリートのような身体能力は持ち合わせていない。だけど、ほかの選手よりも思考のスピードが速い。だからメッシと理解し合えているんだ」とはクレメント・ラングレの言葉だ。
そう、リオネル・メッシは探していた。この数年、パートナーを。2018年夏と2019年夏には、ネイマールの復帰報道が熱を帯びた。
メッシ自身、2019年10月にスペインのラジオ局『RAC1』で「クラブの補強担当に何かを言うつもりではなかった。僕が交渉していたわけではないから、本当のところは知らないんだ。ネイマールは突破力があり、違いをつくれる選手だ。世界最高峰のプレーヤーなので、スポーツ的側面から見れば、彼がいることでタイトル獲得の可能性は高まると思っていた」と認めている。
「MSN」が解体されたのは2017年夏だ。契約解除金2億2200万ユーロ(約267億円)が支払われ、ネイマールがパリ・サンジェルマンに移籍。そして、2020年夏には、ルイス・スアレスがアトレティコ・マドリーに移籍した。
アルトゥーロ・ビダル、イバン・ラキティッチ、パウリーニョ、メッシのために働く選手たちは次々に去っていった。他ならぬメッシが、今季開幕前にバルセロナからの退団を検討していた。近年、真の意味でメッシの「相棒」と呼べるのは、ジョルディ・アルバのみだった。
■メッシの新たな相棒
だがバルセロナは手を拱(こまね)いていたわけではない。
2019年夏に、補強担当のラモン・プラネスに一本の電話が入る。着信元はロッコ・マイオリーノ、ラス・パルマスのスポーツディレクターだった。
興味深い選手がいると聞いたプラネスは、カナリア諸島に飛んだ。ペドリのプレーを実際に見たのち、育成部門のホセ・マリア・バケーロに連絡した。バケーロも加わって、プレシーズンマッチのベティス対ラス・パルマスの試合を視察した。そこで、ペドリの獲得が決定的となった。
誤解されがちだが、彼はラ・マシア(バルセロナの育成寮)出身選手ではない。
ペドリはテネリフェ島のテゲステで生まれ育った。「生まれる前からバルサファンだった」というペドリの言葉は決して大袈裟ではない。彼の祖父は1994年に地元テゲステにバルセロナのペーニャ(ファンクラブ)を設立している。その際には、当時の副会長ニコラウ・カサウスがペーニャ設立時に激励に訪問したといわれている。
2歳年上の兄フェルナンドの影響で、4歳でサッカーを始めた。街クラブのラグーナでプレーしていたジュニアユース時代から頭角を現し始める。ユース世代やシニア世代(プレフェレンテ/スペイン実質5部)で試合に出るようになった。14歳~15歳の選手が、シニアのカテゴリーでプレーする。その中で、彼の判断力は磨かれていった。
両親はBAR(バール)を経営していた。その影響か、兄フェルナンドは後に料理の勉強をスタートさせ、ペドリと一緒にバルセロナに移住して現在では弟の食事を管理している。
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■大胆不敵な選手
謙虚で、物静かで、働き者。そんな風にパーソナリティーを評されるペドリだが、ピッチ上では大胆不敵に振る舞っている。
ーーindefinibleーー
ペドリの特徴を、一言で表すなら、これだ。「インデフィニブレ」。「掴めない」というニュアンスを含蓄するスペイン語である。
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