社会問題化する「固定残業代100時間」 自販機ベンダー業界からの告発
あなたの給料には100時間分の残業代があらかじめ含まれているため、月に100時間を超えて残業しない限り残業代は一切支払われません。
このようなことを勤め先から言われたら、あなたはどう思うだろうか?
こうした長時間労働を前提とする固定残業代を告発する動きが自販機ベンダー業界に広がりつつある。
先月20日にも、個人加盟の労働組合・ブラック企業ユニオンが96時間分の残業を含むとする固定残業代の違法性を主張して、複数の自販機ベンダー企業と団体交渉を始めたというのだ。
96時間分の固定残業代とその労働実態
ブラック企業ユニオンが新たに団体交渉を申し入れた企業は、飲料自販機業界で中堅規模の大蔵屋商事株式会社である。
同ユニオンは以前から飲料自販機業界の違法労働を問題化してきた。昨年はサントリーグループのジャパンビバレッジ東京の数々の労働問題を是正させている。
参考:相次ぐ自販機ベンダー業界の労働問題 背景にある業界再編とストライキ
昨年末まで同ユニオンには自販機ベンダー業界からの告発が次々と寄せられており、今年も自販機業界の労働問題の告発が続いていく状況だという。
では、自販機ベンダー業界ではどのような労働問題が広がっているのだろうか。それは、冒頭でも示したように、月給に100時間近くもの残業代を含みこむというもの(これは違法・無効である)だ。
大蔵屋商事では、初任給約28万円のうち、基本給に当たる部分が16万5千円で、残りの11万5千円が96時間分の残業に相当する固定残業代として運用されている。この契約内容では、過労死ラインとされる80時間の残業をしても、実質的に残業代は支払われない。
ここで大蔵屋商事のルートセールス職(トラックで飲料自販機の巡回・補充をする)の労働実態を紹介しておこう。
繁忙期の夏場には、従業員の多くは朝5時頃に出勤する。1日に30台前後の自動販売機を巡回するため、トラックで1日当たり約60~80キロメートルを走行する。
その間、休憩と呼べるような休憩はなく、信号待ちの時におにぎりやパンをかじる余裕があればよいほうだ。すべての巡回が終わり、営業所に戻るのが夜5~7時頃である。そこから営業所内で入金作業や翌日分の飲料の積み込み作業などがあり、退勤時間は夜8時~9時頃になる。
このように、同社の自販機補充労働の一日当たりの労働時間は約15時間、残業時間は約7時間にもなっている。休日出勤分を除外しても、月間労働時間は約330時間、月間残業時間は154時間。
まさに「殺人的」な長時間労働である。
固定残業代の何が問題か?
このような究極のブラック労働を「合法化」する仕組みこそが固定残業代なのである。
固定残業代の問題点の一つは、残業代支払義務に伴う長時間労働の抑制効果が失われることである。残業代を払うというコスト意識が無くなると、労働時間を減らす努力も失われてしまう。
もちろん固定残業代を導入しても、本来は固定残業代に相当する残業時間を超過した分については残業代の支払いの義務がある。
だが、多くの経営者は、長時間の固定残業代を導入すると、いくら残業をさせても追加の賃金を支払う義務が無くなる「定額働かせ放題」の制度として運用してしまっている。
実際、大蔵屋商事の経営陣は、96時間を超えて残業させても、超過分の残業代を一切支払っていなかったと認めているという。
また、固定残業代は、求人票の賃金を多く見せ、求職者の誤解を誘う効果がある。長時間の残業代を含んだ賃金総額を提示することで、まるで条件の良い求人のように「偽装」しているのだ。
大蔵屋商事では、給与総額は30万円近くあっても、時給換算するとほぼ「最低賃金」と同額となる。
興味深いことには、同じ11万5千円の固定残業代に相当する残業時間数が、地域の最低賃金の額にすり合わせて、営業所ごとに少しずつ異なっているのだ。
図表に示したように、埼玉県内の営業所の求人では96時間分を、神奈川県内の営業所の求人では93.5時間分を、東京都内の営業所の求人では92.9時間分を固定残業代に含むと記載されている。
いずれも時給単価が、各都道府県の最低賃金をギリギリ上回るように設定されている。
「最低賃金」といえば、非正規雇用労働者の低賃金をイメージされる方が多いかもしれないが、昨今は正社員でも最低賃金水準で働く労働者は多くいる。
上記のように、固定残業代が悪用されると、月給制の正社員で額面約30万円の契約でありながら、最低賃金水準の時給単価で、過労死ラインを超えて残業を強いることができる。
「低すぎる最低賃金」は、非正規雇用だけではなく、こうしたブラック企業の正社員の労働条件を引き下げ、「働かせ放題」を合法化し、過労死をも促進する効果を持っているのだ。
長時間労働を前提とした固定残業代は合法なのか?
ここで、次のような疑問が浮かぶ方も多いだろう。
果たして、長時間残業を前提とした固定残業代を含む労働契約は、法的に有効とされるのだろうか?
実は、こうした固定残業代の有効性については、既に東京地方裁判所が判断を下している。
ややこしいことを抜きに言えば、「100時間」もの固定残業代はひどいからそもそも法的に無効だ、という判決である。
具体例としては、漫画喫茶で有名な「マンボー」で起こされた裁判がある。マンボーの店員は1回12時間のシフトで接客や電話対応などに従事していたのだが、その固定残業代が無効となった結果、裁判所は会社に1500万円の支払いを命じている。
判決文を紹介しておこう(ややこしいので必ずしもこれを読まなくても本記事の続きはわかるように書いている)。
【マンボー事件、東京地裁・平成29年10月11日判決】
仮に本件固定残業代についてX<労働者>の同意があったとしても,本件労働契約においては当初から、労働者の労働時間の制限を定める労働基準法32条及び36条に反し、36協定の締結による労働時間の延長限度時間である月45時間を大きく超える月100時間以上の時間外労働が恒常的に義務付けられ、同合意は、その対価として本件固定残業代を位置付けるものであることからすると、36協定の有効性にかかわらず、公序良俗に反し無効である(民法90条)と解するのが相当である。
※括弧<>内は筆者による補足。
たとえ労働者が固定残業代について「同意」していたとしても、月45時間を大きく超える時間外労働を含む固定残業代は、公序良俗(≒常識)に反し無効であるということである。
そして、その場合には多額の不払い賃金が請求できるのである。
(尚、45時間という数字の根拠は「36協定の延長限度額に関する基準」(平成10年12月28日労働省告示第154号)である)。
固定残業代が無効とされれば多額の残業代を請求できる
固定残業代が無効と判断されれば、膨大な未払残業代が発生することになる。
たとえば、週に40時間働き、固定残業代が100時間、月給17万6000円で、実際には120時間の残業をしていた場合のケースで考えてみよう。
固定残業代が「有効」とされる場合では、固定残業代を越える20時間分の残業代が未払いとなり、月に2万5000円が追加で請求できる。
これに対し、固定残業代が「無効」とされた場合には、固定残業分100時間すべてに割増賃金が発生するので、一月あたりの未払い残業代は、なんと25万6500円にもなる。
つまり、本来の「月給」よりもずっと多い額が追加で請求できるのである。
以下に、その計算式を示しておいた(この計算式は簡略化しているため、いくつか請求できるものを省いており、実際にはさらに大きな額を請求できる)。
想定する労働条件
所定労働時間8時間/日、40時間/週、176時間/月
賃金:基本給176,000円、固定残業代125,000円(残業100時間分に相当)
月の残業時間:120時間
割増率:1.25倍
(1)固定残業代が有効とされた場合
基本給176,000円 ÷ 一月の所定労働時間176時間 = 時間単価1,000円
一月の残業時間120時間 - 固定残業代に相当する残業時間数100時間 = 未払の残業時間数20時間
時間単価1,000円 × 未払の残業時間数20時間 × 割増率1.25倍 = 一月当たりの未払残業代25,000円
(2)固定残業代が無効とされた場合
基本給301,000円 ÷ 一月の所定労働時間176時間 = 時間単価1,710
※固定残業代に相当する金額が基本給部分に組み込まれ、時間単価が上がる。
一月の残業時間120時間 = 未払の残業時間数120時間
時間単価1,710円 × 未払の残業時間数120時間 × 割増率1.25倍 = 一月当たりの未払残業代256,500円
今回想定したケースでは、固定残業代が「無効」とされるかどうかで、未払残業代の額に約10倍の差が出る。
これは特殊ケースではなく、80時間近くの長時間労働を前提とした固定残業代を採っている場合には、すべて当てはまり得る。
このように、月45時間を超える長時間残業に相当する固定残業代を無効にすることができれば、多額の未払残業代を請求できる可能性がある。
このような多額の「権利」が発生するのは、ブラック企業問題の告発が進む中で、裁判所の状況が変わってきたからだ。
ブラック企業の経営者や彼らに指南する専門家は、固定残業制度を究極の「定額働かせ放題」の制度だと思って広げてきたのだが、最近では裁判所が、これを「無効」だと判断するようになってきたのである。
少しでもこうした「定額働かせ放題」の状態に違和感があれば、ぜひ文末に記載した労働問題の専門相談窓口に相談してみてほしい。
背景としての飲料自販機業界の体質と、その改善に向けた動き
さて、こうした「定額働かせ放題」の問題については、飲料自販機業界の労働者からの告発が相次いでいる。
昨年は、筆者もジャパンビバレッジ東京の労働問題を何度も取り上げてきたが、年末には関西の山久という飲料自販機業者の労働問題がヤフトピで取り上げられるなど、業界全体が大きな注目を集めた。
また、ユカという飲料自販機業者においても個人加盟ユニオンが組合をつくったとの情報も入っている。
参考:自販機補充「ルートドライバー」過酷 実態知って、労組結成
このように業界全体で労働が問題化している背景には、飲料自販機業界全般に広がる長時間労働、残業代不払いの体質がある。
大蔵屋商事では違法性の高い96時間相当分の固定残業代を、ジャパンビバレッジでは違法な事業場外みなし労働時間制を導入していた(労基署から行政指導がありすでに廃止している)。
いずれも「定額働かせ放題」の制度として運用されていた。また、山久でも基本給を最低賃金水準にしたうえ66時間相当分の固定残業代を導入していることが分かっている。
こうした長時間労働や残業代不払いの横行は、飲料自販機業界が置かれている構造と切り離せない。
大手飲料メーカーは、飲料自販機を利益率の高い重要な販路として位置づけている。コカ・コーラ ウエスト社では、飲料の販路の約3割が自販機だが、粗利益の約7割が自販機での販売から生まれているという。
飲料自販機では定価近くで売ることができ、売り上げの40%程度が飲料メーカーの取り分となるからだ。
飲料メーカーにとって、飲料自販機での売り上げ増は利益増に直結する。それゆえ、飲料メーカーは、飲料自販機会社各社に対し自販機の新規設置を促してきた経緯がある。
他方で、飲料自販機会社にとっては、自販機の設置台数増は、利益増に直結しない。というのも、売り上げの低いロケーションでは、売り上げよりも諸経費の方が高くつくからだ。
それにもかかわらず、大手飲料メーカーと中小企業の多い自販機会社の間では、力の強い飲料メーカーの意向が通り、自販機台数は世界一の水準にまで増えてきた。
自販機会社からみれば、非効率・不採算の自販機も含めて自販機台数を増加させてきたわけだが、その皺寄せが最も弱い立場にあるルートドライバー職の労働者に押し付けられ、長時間のサービス残業に苦しめられているというのが問題の構図なのだ。
前述のブラック企業ユニオンでは、こうした業界構造にメスを入れて、飲料自販機会社のルートドライバー職の労働環境を改善するため、飲料自販機業界を対象とした労働組合である自販機産業ユニオンの結成を準備している。
自販機業界で働く方で、長時間労働や「定額働かせ放題」の現状を変えたいと思う方は、ぜひ組合加入を検討してみてほしい。
無料相談窓口
03-6699-9359
soudan@npoposse.jp
*筆者が代表を務めるNPO法人。訓練を受けたスタッフが法律や専門機関の「使い方」をサポートします。
03-6804-7650
soudan@bku.jp
*ブラック企業の相談に対応しているユニオンです。自販機ベンダー業界の組織化と適法化の交渉を行っています。
03-6804-7650
info@sougou-u.jp
http://sougou-u.jp/
*個別の労働事件に対応している労働組合。労働組合法上の権利を用いることで紛争解決に当たっています。
022-796-3894(平日17時~21時 土日祝13時~17時 水曜日定休)
sendai@sougou-u.jp
*仙台圏の労働問題に取り組んでいる個人加盟労働組合です。
03-3288-0112
*「労働側」の専門的弁護士の団体です。
022-263-3191
*仙台圏で活動する「労働側」の専門的弁護士の団体です。