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え、ヤクルト勝ったの? ところで小川って、21世紀枠の出世頭で、高校のときも開幕投手でしたよ

楊順行スポーツライター
(写真:イメージマート)

 いまこの原稿を書き始めたとき、小川泰弘が第1球を投げ、昨年の日本一・ヤクルトの2022年シーズンが始まった。

 さかのぼって08年、成章(愛知)のエースとして21世紀枠でセンバツに出場したのが小川である。21世紀枠で出場した選手のプロ入りは複数以上あるが、文句なしの出世頭だ。なんといっても、6度目の開幕投手なのだから。そして実は……センバツでも、開幕戦で投げていることをご存じか。

 かつて、高校時代までの話を聞いたことがある。愛知県赤羽根町(現田原市)に生まれ育ち、保育園のころからプロ野球選手になるのが夢だった。赤羽根少年野球クラブ6年時にはエースとして県大会に出場。東海4県の大会では準優勝を果たした。赤羽根中に進んだあと、

「小中学校時代は、今岡(誠)選手や城島(健司)選手のフォームをマネしたりしながら、漠然と"プロに行きたい"と思っていましたね」

 中学の監督がOBだった縁もあり、成章高校に進む。

「ですが中学までは、甲子園という意識はなかったんです。それより、なんの根拠もなくプロになりたいと思っていましたから(笑)。甲子園を意識していれば、名古屋市内などの強豪に進む選択肢はあったのかもしれません。ただ、中学の監督が成章のOBでしたし、家から通えるのがいいかな、と。当時はまだ“甘ちゃん”でしたね(笑)。ただし高校に入ってからは、プロなんてそんな簡単になれるものじゃない、と現実に気がつき始めるんです」。

 転機は07年秋。敗れはしたが愛知県大会で愛工大名電、中京大中京と好試合をしたことで、翌年の21世紀枠に選ばれたわけだ。

「2年の秋に愛知のベスト4に入り、翌年のセンバツの21世紀枠に選ばれたんです。本番は、開幕試合。とにかく1球1球に対する大観衆の声援がすごくて、気持ちよくて、これが甲子園か……と思いました」

 と小川は振り返っている。その試合、駒大岩見沢(北海道)に2失点完投勝利し、当時の雑誌を見ると「決して大きくない体を駆使した、フォロースルーの大きなダイナミックなフォームからぐいぐい内角をつく。直球の最速は135キロだが、制球の不安もなく試合をきっちりまとめる」ということになる。

 それから14年。いま、原稿の仕上げにかかって小川の今日の成績を見ると……あれ? 打たれてしまったか。まあ、ヤクルトが勝ったからよしとしますか。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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