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夏の甲子園。この名勝負を覚えてますか 2015年/小笠原慎之介、投打の活躍で東海大相模V

楊順行スポーツライター
東海大相模時代の小笠原慎之介。重いストレートで「石速球」といわれた(写真:アフロ)

■第97回全国高校野球選手権大会 決勝

東海大相模 10=202 200 004

仙 台 育 英 6=003 003 000

1915年、夏の甲子園の前身にあたる第1回全国中等学校優勝野球大会が開かれた。優勝は京都二中(現鳥羽)だったが、延長12回まで1対1と互角の勝負を演じ、13回サヨナラ負けで準優勝に終わったのが秋田中だ。

 以来東北勢は、69年夏の三沢(青森)などこのときまで夏は計7回、春は3回決勝まで進んでいたが、いずれも敗れている。東北勢にとって夏は8回目、仙台育英(宮城)にとっては89年夏、2001年春に続く3度目の決勝進出である。

 大会創設100周年の節目に、東北勢の悲願・優勝旗の白河の関越えが成就するとしたら、なかなかにドラマチックだ。

 仙台育英・佐々木順一朗監督も試合中、「球場全体が後押ししてくれている」と感じる場面があった。

 3点を追う6回、2死満塁のチャンスで、一番・佐藤将太が東海大相模(神奈川)・小笠原慎之介(現中日)の速球に食らいつく。1球、ファウル。ボールをはさんでもう1球、もう1球ファウル……。

 1球ごとにスタンドの拍手が増幅するなか、7球目、127キロのチェンジアップをとらえた。打球は、センターの頭を越える同点三塁打。

「2点差以内で後半にいかないと苦しいと思っていましたが、あの三塁打で一気にいけるかな、と感じた」(佐々木監督)

つねに「動く」東海大相模

 日本一へ、3度目の挑戦になる仙台育英に対し、東海大相模は1970年以来、夏は45年ぶり2度目の頂点がかかっていた。その70年を率いたのが、原貢監督。巨人・原辰徳監督の父で、門馬敬二監督にとっては東海大時代の恩師だ。

「原先生からは、つねに"動け"といわれていた」と門馬監督はいう。

 確かに相模は、試合開始からよく動く。優勝した11年のセンバツでは、合言葉のアグレッシブ・ベースボールを徹底し、この夏も積極的に"動いた"。聖光学院(福島)との初戦では、足をからめて初回2死から4得点。遊学館(石川)との3回戦も、初回にバスターエンドランを決めるなどで4得点。関東一(東東京)との準決勝、初回の先頭から5連打で4点。そしてこの決勝でも、初回に2点……。

 特徴的なのは、序盤のチャンスにあまりバントを用いないことだ。定番ではなく、エンドランなどでとことんアグレッシブにいく。決勝で先制二塁打を放ち、個人一大会最多二塁打6のタイ記録を達成した杉崎成輝によると、

「序盤は、ほとんどバントはせず、エンドランなどで仕掛けることが多いですね。バントをするのはむしろ、大差をつけてからです。そして、負けているときこそ動け、というのも監督の考えです」

 ただ、と門馬監督。

「原先生曰く、無鉄砲に動くだけが動くことじゃない、と。たとえば、先生とはよく将棋を指したんですが、僕はがんがん攻めていく。すると、そういう性格に対して先生は"守りだって、攻めになるんだぞ"とおっしゃるんです」

 だからか。6対6で迎えた相模・9回の攻撃は、小笠原からの打順。「動く」門馬監督としては当初、代打を考えていた。打線は5回から8回まで、立ち直った仙台育英のエース・佐藤世那(元オリックス)に、無安打に抑えられている。その間に追いつかれたから、流れは明らかに育英だ。だから、エースへの代打策で動こうとしたのだ。

 だが8回裏、2死。マウンドの小笠原が打席の谷津航大に死球を与えたかに見えたが、「コースはストライク」と、球審の判定は三振。この機微。まだ、小笠原にいい風が吹いている……そう感じた門馬監督は代打策をやめ、小笠原をそのまま9回の打席に送った。

 その初球である。「フォークに絞り、空振りしてもいいくらいのスイングで」小笠原が125キロの甘いフォークを強振すると、打球は右中間スタンドへ一直線。土壇場での勝ち越しアーチだ。

2018年の金足農も……

 門馬監督は実は、この一撃を見ていない。ダグアウトの下段で、登板させる予定だった吉田凌と捕手の長倉蓮に話をしていたからだ。

「すごい歓声にグラウンドを見たら、小笠原が二塁ベースあたりを回っている。外野フライでアウトになって引き揚げてくるのかな、と思ったらホームランでしょう。あえて小笠原に代打を送らなかったことが、結果的に"動いた"ことになりました」

 相模はここからさらに4安打を集中して決定的な3点を追加し、10対6。奇しくも45年前と同じスコアで、そのとき以来の優勝を果たすことになる。対して、またも東北の野望が持ち越しとなった育英・佐々木監督は、

「第1回の決勝で敗れたのが秋田中。100周年でウチが勝って、新しい世紀を迎えられればと思ったんですが……」

 この仙台育英以降も、18年の夏の100回大会では、金足農が第1回大会以来、秋田勢2度目の決勝進出を果たしたが、このときも敗れている。この夏。東北勢の挑戦が、また始まる。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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