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『映像の世紀』『白い巨塔』名曲を生み出す加古隆“このメロディー”の見つけ方

島田薫フリーアナウンサー/リポーター
作曲秘話・デビューしたパリについて語る加古隆さん(撮影:すべて島田薫)

 作曲家・ピアニストの加古隆さんは、演奏する音色の美しさから「ピアノの詩人」とも評されています。生みだした作品は、『映像の世紀』(NHK)のテーマ曲「パリは燃えているか」、ドラマ『白い巨塔』(フジテレビ系)など、メロディーを聴けば誰もがうなる名曲ばかり。まだ音楽に関する情報が少ない時代に恩人たちに導かれ、パリでデビューしてから50年を超えました。秋からは「パリは燃えているか」「宮沢賢治」をテーマにしたコンサート「銀河の旅びと~宮沢賢治と私」も控えています。長くパリに暮らした加古さんも驚いたという、フランス人から見た日本人の印象には、気づかされるものもありました。

―音楽との出合いは?

 小学校2年生の頃、近所にレコード1枚と蓄音機を持っているご家庭がありました。戦後間もない時代ですから、レコードが聴ける家はまだ珍しく、泊まりがけで、枕元に置いた蓄音器で繰り返し聴いていました。ベートーベンの『運命』です。

 同時期に、担任の音楽の先生が、「この子は音楽の勘がいいからピアノを習わせたらどうか」と、両親に勧めてくれたんです。中学3年生の終わり頃には、ピアノの先生から、「作曲家を目指したらどうか」と提案されました。

 生徒はほとんどが女の子で、男の子は僕1人、ピアノより虫捕りに夢中だった頃です。関西では高名な先生でしたのに、「年を重ねて、自分の作品が何もないことを寂しく思う」と、中学生の僕におっしゃって、東京藝術大学の作曲科を勧められました。

―結果、大学院まで学ばれてパリに行かれるんですね

 藝大では、俳人・高浜虚子を父に持つ池内友次郎先生の門下生でした。日本人で初めてパリの音楽院で作曲を学んだ方です。僕は、無償で学べるからとフランス語を学んで仏政府給費留学生試験を受け、無事に合格。一時帰国もありましたが、1971~80年まで9年程パリにいました。

―今年は五輪が開催されました。実際のパリはどんなところでしたか?

 最も美しい街だと思います。アートを感じるんです。街の真ん中にはセーヌ川があって、街並みは、古いアパートの窓枠一つ見ても当時の鉄がそのまま残っています。象徴的なのは、何百年もの時間が染み込んだ壁の色です。きれいに塗られてピカピカしているのではなく、時間が染み込んでいる。それだけの時間がなければ、あの美しさは絶対に作れないと思います。

 川幅も、向こう岸を歩いている人に手を振ったら分かるぐらいの距離だからこその親近感が持てるんです。(故郷の大阪を流れる)淀川だと距離がありすぎるし、道頓堀ぐらい狭いところだとスケール感がないだろうし(笑)、セーヌ川はちょうどいいんです。

―日本とフランスで生活して感じた違いは何でしょう?

 面白い話があります。向こうで出会った友人が、「日本人は、なぜ皆走るんだ?」と僕に聞くんです。「え?誰も走らないよ」と答えましたが、夏休みに帰国したら皆走ってるんです(笑)。信号が赤になりそうになれば走る、駅の階段を降りる段階でもう小走りになっている、次来る電車に乗りたいからね。パリではこういう風景を見たことがないです。走れば間に合うけど、ゆっくり歩いています。

 黒澤明監督の『椿三十郎』という映画でも、若侍たちが「よし!」と言ってパッと立ち上がったらもう走っています。日本人から見たらとても自然な動きだし、僕も日本に帰ったら信号を1回待つのが嫌だから小走りになります。当たり前のことなので、言われるまで気がつきませんでした。

 向こうでは、道路が混んでイライラするような状況でも、おばあさんが1人、ゆっくり道を渡っています。日本では「すみません」と急いで歩くような場面でもまったく気にしない。皆も黙って待っています。

 小さいことですけど、こういうところからでも違いを発見できます。僕は24歳で渡仏して、日本の長所と短所は裏返しだと、外から見て分かることも多々ありました。若い時にいろいろなことを体験することは、財産になると思います。

―加古さんは、パリでデビューされたんですね

 パリへ行く前、ジャズと作曲の二足のわらじは履けないと考えて、ジャズを封印して作曲に集中していました。ところが、行ってみると向こうの気風がものすごく自由で、自分はまだ20代なのに、そんな考えは不要だと思うようになりました。

 ジャズへの思いが急速に再燃し、友達になったフランス人と一緒にやりだしたら、あっという間にプロの目に留まって、コンサートに出て、トントン拍子のデビューでした。現代音楽の音使いとジャズのノリが一緒になったのが当時のフリージャズで、僕にはピッタリだったんです。ジャズの批評誌に「現在フランスで聴くことができる最高のピアニスト」と書かれたこともうれしかったですね。

―帰国後、私たちにとって印象深いのは、やはり映像音楽です

 演出家・和田勉さんとの出会いで、NHK『松本清張シリーズ』のドラマの音楽を書きました。印象深いのは、NHKスペシャル『映像の世紀』シリーズのテーマ曲「パリは燃えているか」でしょうか。

―あの壮大な曲はどのようにして生まれたのでしょう

 世界の100年の歴史を映像で振り返る番組のテーマ曲でしたから、スケール感があってうねりがある音楽であること、繰り返し放送されるので、印象に残るメロディーを心がけてほしいという要望でした。

 メロディーは「これだ」という直感がありましたが、最初は今のような壮大な曲ではなく、もっと寂しい感じだったんです。それが、オープニングCGを見た時に、映像が流れる早いテンポに合わせてみたら、ピタッときました。ああ、この曲でいいんだ、と。

 でも、この曲がこんなに長い間流れるとは思いもしませんでした。番組のおかげというのもあるし、番組の方はまた音楽のおかげだと言ってくださるし、相乗効果でとてもいい結果になりました。

―『白い巨塔』(03年版)の印象的なメロディーも加古さんが作られたんですね

 『白い巨塔』は、主役の財前五郎(演:唐沢寿明)の生き方にインスピレーションを受けました。財前は天に向かって挑戦するような人物で、男のロマンがあり、ある種悲劇だけれど、「やるぞ!」みたいな力がある。

 医療の世界で神の成す業、天から降ってくるイメージと、地上から天に向かって挑戦する財前のイメージ、両方浮かんだんです。だから上からはパイプオルガン、下からはエレキギターを選びました。製作人の誰も僕にエレキギターを期待していなかったので、最初は皆さん呆然としていらっしゃいましたね。

―映像音楽を作る場合、大変なことは?

 何もないところから「このメロディーだ!」を見つけるのが大変です。作品に託せる音楽であることはもちろん、僕は演奏家でもあるので、ステージで魅せることも大事ですから、音楽だけでも成立する強さが必要です。

 「このメロディーだ!」を見つけるのに時間はかかりますが、諦めなければある日メロディーはやってきます。その間のエネルギー消費は相当なものですけどね。

 毎回「これでやめよう」と思うけど、一つ出来上がると充実感がありますから、お話があるとまたやるわけです。作曲家はそういうところがあるんじゃないでしょうか。

―どうやって見つけるのですか

 探すんです。想像力を燃やして、頭の中で探したり歌ったり、心の中で音を鳴らすんです。ある時ふと心に引っかかる何かが見つかって、これでいけると思った時から、初めて曲を作り出します。

―モチベーションを維持するには?

 今から思うと、音楽の女神に「やりなさい」と言われた気がします。音楽は美しく、楽しく、感動できます。「生きている」を実感できるのです。それを、音楽を通して繰り返し体験できるのは幸せなことです。

―今秋のコンサート「銀河の旅びと~宮沢賢治と私」は、宮沢賢治がテーマになっていますね

 賢治は詩的なものをベースに持ち、自然を愛し、自然から多くのエネルギーをもらって作品を書いてきた人です。僕も自然から多くのことを教えられ、エネルギーをもらっていると深く感じていますから、思想、ポエジーは共通項だと思います。

 賢治の言葉に「風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」(『農民芸術概論綱要』より)があります。僕は若い時にノルマンディーの海岸に座っていて、これを実際に体験しました。風が自分の中を通り抜けていき、体が透明になっていく。大変快感で、エネルギーが湧くんです。

 今一番好きなのは「雲を見ること」です。一刻一刻姿を変えていき、光の当たり方によって加減も変わるし、気がつけばもうない。円盤のような雲が出てくることもあり、形を見ているだけで楽しいです。

 もう一つは温泉で、自然の中で入る露天が特に好きです。湯とゆききして、一体になれます。外国では体を洗う、シャワーを浴びるのは、汚れを落としてくれる水です。ところが湯とゆききするのは、宮沢賢治が、風が自分の体を通り抜けるのを感じたのと同じで、日本人的な自然と一体化の感性です。この感性を大事にしたい。

 今回のコンサートは、「パリは燃えているか」と「賢治から聴こえる音楽」の2部制で、宮沢賢治の言葉と僕の音楽の出合いがテーマです。1988年に、賢治の詩に音楽を重ねたアルバム「KENJI」を発表して、90年代にはコンサートツアーも行いましたが、長い間タイミングがなくてお休みしていました。でも、もう一度蘇らせたい。賢治の様々な作品から選んだ言葉と、僕の発想した音がコンサートホールで響き合うことで、そこにいらっしゃる方の心が震えるような瞬間がいくつも生まれるだろうと思っています。聴き終わった後には、爽やかな感動が心に残るでしょう。

―加古さんの理想の生き方とは?

 自然に生きることです。1つは日々の生活の中で、自然を感じる時間が持てること。もう1つは、自分らしく生きること。自分らしいということは自然であることです。自然でありたいと思います。

【編集後記】

子どもの頃の話も大人になってからのことも、明確に記憶されています。何かに秀でて好きでいる強みを感じました。お肌がつるつるでとてもキレイだったのですが、どうやら温泉効果のようです。常に落ち着いてニコニコと接してくださった姿に、バタついていた気持ちが少し穏やかになりました。

■加古隆(かこ・たかし

※名前「隆」は旧字体、生の上に一が入ります。

1947年1月31日生まれ、大阪府出身。東京藝術大学作曲科卒業、同大学大学院修了。パリ国立高等音楽院では現代音楽の巨匠と称されるオリヴィエ・メシアンに師事。1973年、パリでフリージャズ・ピアニストとしてデビュー。1976年、音楽院の審査員全員一致による作曲賞を得て卒業。帰国後はピアノ・ソロ曲からオーケストラ作品まで幅広い分野の作品・映像音楽・ドキュメント映像の作曲を数多く手がける。代表作に、パウル・クレーの絵の印象から作曲したピアノ組曲「クレー」、NHKスペシャル『映像の世紀』のテーマ曲「パリは燃えているか」がある。2010年、ピアノ四重奏団「加古隆クァルテット」を結成。1998年、モントリオール世界映画祭では、マリオン・ハンセル監督『The Quarry』で最優秀芸術貢献賞受賞。毎日映画コンクールでは小泉堯史監督『博士の愛した数式』などで音楽賞受賞。日本アカデミー賞では、木村大作監督『散り椿』などで優秀音楽賞を受賞するなど他多数。

加古隆コンサート「銀河の旅びと~宮沢賢治と私」は、東京・サントリーホール(11月10日)で行われるほか各地で開催予定。

https://takashikako.com/concert/202410-takashi-kako-quartet-concert-tour/

フリーアナウンサー/リポーター

東京都出身。渋谷でエンタメに囲まれて育つ。大学卒業後、舞台芸術学院でミュージカルを学び、ジャズバレエ団、声優事務所の研究生などを経て情報番組のリポーターを始める。事件から芸能まで、走り続けて四半世紀以上。国内だけでなく、NYのブロードウェイや北朝鮮の芸能学校まで幅広く取材。TBS「モーニングEye」、テレビ朝日「スーパーモーニング」「ワイド!スクランブル」で専属リポーターを務めた後、現在はABC「newsおかえり」、中京テレビ「キャッチ!」などの番組で芸能情報を伝えている。

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