名門大から劇団四季を経て『レ・ミゼラブル』へ!飯田洋輔がオーディションで掴んだジャン・バルジャン
深みのあるバリトンが魅力の飯田洋輔さんは、名門・東京藝術大学在学中に劇団四季へ入団。『キャッツ』『美女と野獣』『オペラ座の怪人』など人気作でメインキャストを務めて活躍し、2023年末に退団しました。そして今年、ミュージカルの金字塔と言われる『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャン役に決定。才能の片鱗がうかがえる子ども時代、劇団四季での経験、『レ・ミゼラブル』の今をロングインタビューです。
―帝国劇場で行われた『レ・ミゼラブル』製作発表記者会見では、トップバッターで「独白」を歌われました。感触はいかがでしたか?
あれは緊張しました。僕にとって帝劇は(来年建て替えのため現在の建物は)最初で最後です。劇場に500人のお客さんを招待して、あの雰囲気であの作品のあのナンバーを歌ったのは光栄なことでしたし、実際に盛り上がりも感じることができたので、いい感覚のままブラッシュアップして初日に向かいたいです。これまで多くの方が立たれた重みのある場所で、自分が立てるから「やったー!」ではなく、たまたま自分が今のタイミングで立たせてもらうという気持ちです。
―この世界に興味を持ったきっかけは?
両親が合唱団に所属していたので、物心つく前から3歳下の弟と一緒に練習について行き、教えられてもいないのに歌詞やハーモニーを覚えてハモって歌うようになっていました。
小学生の時には、地元の福井県に「たけふ菊人形」という催しがあって、1ヵ月くらいOSK日本歌劇団の舞台を観ることができたんです。歌って踊るレビューを、数えられない程観ました。未だにそのショーの流れは覚えています。
自治体が補助していたので安く観ることができて、当時子どもは観劇無料だった記憶があります。今考えると、あの田舎であの規模で1ヵ月公演をやるのはすごいことだと思いまして、人口の問題はありますが、どの地域も文化的に弱くない日本でありたいと思います。
そして、中学2年生の音楽の授業で出合ったのが、レーザーディスクで鑑賞したロンドン版『キャッツ』。家に帰って『キャッツ』を観たと話したら、「今、名古屋で劇団四季という団体が『キャッツ』を公演している」と分かり、福井から名古屋まで電車で2時間程かかりますが、「行かせてほしい」と頼んで1人で行きました。
劇場で観た瞬間に「こんな世界があったんだ」という衝撃と、「世の中にはこういうことを仕事にできる人がいるんだ」ということを知りました。プログラムを開くと、「3歳からバレエ」「音大出身」など出演者の経歴が書かれていて、“歌うには音大”なのかと、ざっくりした路線というか目指すものができました。
―やりたいことが定まってきたと
僕は興味があったら何でもやりたいタイプで、特に中学3年時がすごかったですね。吹奏楽部ではトロンボーン担当で部長、全国大会一歩手前まで行きました。陸上部の先生から砲丸投げを勧められて地区大会を目指し、柔道の中体連の大会では県大会まで行きました。英語の弁論大会では、福井県の代表になって中学生の全国大会に出場。生徒会長として活動もしていました。その中で僕が本当にやりたいのは音楽でしたが、田舎なので選択肢が少ない。音楽ができる高校は女子高しかなくて、進学校の普通科に進みました。
高校2年生で歌のコンクールに出場したら、審査員の先生から「本気で歌やるつもりある?」と声をかけられ、その先生に教わることになったんです。東京藝術大学を目指すには少し遅かったのですが、田舎でタイム感がゆっくりなので、すべてのタイミングが合いました。レッスンはお茶の時間から始まり、少ししたら「ちょっと声出すか?」と発声を始め、という感じで1日中やっていましたね。おかげで東京藝術大学音楽学部声楽科に合格しました。
入学後は、僕の体格からもオペラを勧められましたし、観るのも歌うのも好きです。引っかかるのはイタリア語上演です。素晴らしいし、その形で存在していることに価値のある芸術だと思いますが、僕にはオペラの伝統的な芸能保存よりも、日本人のお客様に日本語の美しさと共に台本を伝えたいという強い思いがありました。
大学では「ミュージカル・エクスプレス」というサークルを作りました。それが今も続いていて、自分たちで権利関係も処理して全部やっているんです。素晴らしい後輩たちですよね。しかも、ミュージカルがやりたくてこのサークルがあるから藝大に入学する人もいる、と聞いて驚いています。
―劇団四季にはどういう形で入団を?
浅利慶太さん(劇団創立者)が藝大出身の劇団員の方たちを連れて大学でミニコンサートを行い、そこで劇団員を募集している話をしていた、と友人から聞きました。すぐさま劇団に履歴書を送ってオーディションを受ける流れになりました。
オーディションでは、音楽監督と、当時劇団員だった石丸幹二さんが歌を聴いてくださいました。その後呼ばれて「大学に通いながらレッスンを受ける聴講生で」という話を聞いたその日、急に浅利さんが“歌聴き”と言って、劇団員の歌のチェックをすることになったので、僕も一緒に聴いてもらうことになったんです。
そしたらその場で、1ヵ月後の舞台に出てOKということになり、初舞台が決まりました。『ジーザス・クライスト=スーパースター』のアンサンブルです。公演が8月で大学が夏休みだから出られるだろうと言われましたが、秒速でキャスティングが決まることに驚きました。実は、今回『レ・ミゼラブル』で同じジャン・バルジャンを演じられる吉原光夫さんに、当時叱られた思い出がありますが、ご本人は記憶にないと思います(笑)。
それからは『オペラ座の怪人』のアンサンブルでのキャスティングが決まり、その後、『ジーザス~』のペテロ役に配役いただきました。名前のある役は初めてで、四季の伝統的な演目、名だたる先輩方がやってきた役です。出演していく中で舞台俳優としての大変さややりがいを感じて、これからは舞台俳優として生きていきたいという思いが強くなりました。
―劇団四季では何が印象的でしたか
全国公演があること。東京の文化の一極集中の是正のため毎年全国をツアーで回っていますが、すごくいいことだと思うし、僕も在団中に日本各地を小学生無料招待公演で回り、子どもたちに芝居を観せるという体験をさせてもらえたのはありがたいことです。
過去には週7、8回半年以上続くなどハードな時もありましたが、常に万全の状態で舞台に臨めるよう、体調管理など予防法を身につけ、自身の身体をコントロールできるようになりました。メリハリをつけて休んでもいましたから、20年の在籍中、病欠は一度もないです。
―そんなハードスケジュールで過ごしたとは思えない、落ち着いた空気を感じます
「ケ・セラ・セラ」ですかね。僕は心臓の鼓動がゆっくりなんだと思います。データはないですが(笑)。役を演じる時は、心拍数を上げていかないといけないので大変ですよ。
―ジャン・バルジャンに決まった時はどう思いましたか
いやいやいや(うれしそう)。もちろんうれしかったですが、劇団でメインキャストをやってきたからといって、他の作品でどうなるかは分からないわけです。『レ・ミゼラブル』という作品の中で僕というピースがどうハマるのだろう、とか、僕でチケットは何枚売れるんだろう、とか作品への貢献度も考えました。
―ジャン・バルジャンのイメージは?
バルジャンが1個のパンを盗んでしまうところから始まった物語ですが、客席で観ていた時とはイメージが変わりました。温かい人だと思っていたのが、考えていたよりずっと強い人です。19年間牢獄に入れられたことで歪んでしまい、やられても立ち上がる精神はここででき上がりました。今稽古で、歪んだ前半部分をやっているところですが、かなりきついです。大男の強靭な肉体、不屈の精神の部分が僕の中ではそんなにイメージがなかったので、役作りは模索中です。
間違いないのは、彼は二択をしっかり決断していく人だということ。自分の人生とも重ね合わせています。何もしなければバレないのに、人を助けに行ってしまう。自身と間違えられて捕まった人がいれば、法廷に行って「俺がジャン・バルジャンだ!」と言う。言わなければいいのに良心の呵責から動いてしまう。
結果どちらを選ぶかは台本で決まっていますが、選ばなかった道もあるように演じないといけないと思っています。彼の不安定な部分と決断後の思い、常に二択を決断して最終的に天に帰るまでの人生を、今すごく考えています。
―役作りで始めたことはありますか
バルジャンが思っていた以上に強かったので、トレーニングを始めました。筋トレ・ピラティスなどで体を作り、基礎体力を上げています。ジェントルで礼儀正しいのに、スイッチが入った瞬間に野獣性・凶暴性が出てくる場面があるので、フィジカルの強さは必要です。
僕はバリトンですが、バルジャンは音域が広くてかなりハイトーンまで出さなくてはいけません。ニューヨークにブロードウェイのプリンシパルを教えるボイストレーナーがいるので、現地へ行って喉の筋肉の使い方を解剖学的観点から教えてもらい、音域を広げました。
―演じる上での難しさはどこにありますか
歌を頑張れば芝居がおろそかになり、芝居を優先すれば歌がおろそかになる。今そのバランスの難しさを痛感していますが、絶対にやらなくてはいけないことなので、挑戦しているところです。
一つ感じたのは、「バルジャンはこんなに出てましたっけ?」というくらい出番が多いんです。これまでは観客として全体を観ていたのでバルジャン視点で観ていなかったこともありますが、「一幕でこんなに?」と驚きの日々です。
周りで多くの人が動いているし、個性的なキャラクターが多いので“誰か”ばかりが出ているようになっていないのは上手くできているなと思います。でも、演じる方からすると本当に時間がなくて、これで衣装・カツラがついて早替えするなんてもう終わりだ、と思ってしまいました(笑)。
―ご自分のことをどんな俳優だと思いますか
僕の魅力ということですか?素朴さ(笑)。心の温かさを持つキャラクターを演じるのは得意だと思います。今、稽古場では“温かいバルジャン”と言われています。
―今後の夢を聞かせてください
いっぱいあるのですが、今はこれまでやったことのないものにチャレンジすることです。作品・芝居・映像、いろいろなことにチャレンジしたいという思いがあります。その中で一つ自分のブレないところは、台本の言葉を大事にすること。言葉を大切にしながら日本語の美しさを伝えるということが僕の夢・目標です。ゴールのない旅に出てしまったという感じですね。
■編集後記
幼少期からのお話がどれも興味深く、現在にたどり着くまで大分時間を頂戴してしまいました。ガツガツした前のめり感は全くないのに何でもできてしまうのは、人間としてのセンスでしょうか。終始「福井時間」という穏やかな時間が流れていました。
■飯田洋輔(いいだ・ようすけ)
1984年5月17日生まれ、福井県出身。2004年、東京藝術大学音楽学部声楽科在学中、劇団四季に入団。『ジーザス・クライスト=スーパースター』[ジャポネスク・バージョン]にて初舞台以降、2007年公演では同作品にてペテロ・カヤパを演じる。その後『キャッツ』オールドデュトロノミー/アスパラガス=グロールタイガー/バストファージョーンズ役、『美女と野獣』ビースト役、『壁抜け男』デュティユル役、『オペラ座の怪人』タイトルロール等、各作品でメインキャストを演じる。2023年末20年在籍していた劇団四季を退団。持ち味である深みのあるバリトンを活かし、舞台を中心に活動の幅を広げる。故郷である福井県の「ふくいブランド大使」就任中。ミュージカル『レ・ミゼラブル』帝劇クロージング公演は帝国劇場にて、2024年12月20日~2025年2月7日(プレビュー公演12月16~19日)まで上演予定。その後全国ツアー公演。詳細はhttps://www.tohostage.com/lesmiserables/