自宅のソファー処分!前田美波里のストイックな生き方 ラストを迎える堂本光一「SHOCK」への思い
ピンと伸びた姿勢、お腹から出るよく通る声、楽しそうにはじける笑顔、前田美波里さんは日常から舞台に立っているようなキラキラした人です。15歳で菊田一夫氏(演出家・脚本家・プロデューサー)に見いだされ、デビューしてから60余年。出演作品がそのまま日本のミュージカル史となり、長きにわたる功績が称えられ、今年菊田一夫演劇賞特別賞を受賞しました。歌ったり、踊ったり、果ては空中ブランコ(『ピピン』)を披露したり。エネルギー溢れる舞台パフォーマンスはどうしたら生まれるのか。11年間オーナー役を務めた『Endless SHOCK』は今月ラストを迎えます。
―ブレイクとなった資生堂「BEAUTY CAKE(ビューティケイク)」のCMは、白い水着でインパクトがありポスターが随分盗まれたそうですね
東宝現代劇の第8期生として、15歳で芸術座(現シアタークリエ)の『ノー・ストリングス』でデビューしましたが、皆さんに広く知ってもらったのが資生堂のCMでした。
これは裏話ですが、あまりにポスターが剥がされて刷り直しの繰り返しだったので、翌年からご希望のある方には売るようになったんです。まさかそんな物が売れるとは思っていなかったから、驚きですよね。
―その人気をどう感じていましたか
まだ高校生で学校から稽古場に通っていましたが、男の子たちがぞろぞろついてくるので、逃げようとして走ると皆も一斉に走るので怖かったです。
―そんな時代を経て、今年は菊田一夫演劇賞特別賞受賞おめでとうございます
生きていて良かったです(笑)。菊田先生に育てていただきまして、芸能界で生きていくのは厳しいものだということを叩き込まれました。最初の言葉は「舞台は10年やって1年生」。それぐらい基礎が大切だということです。
―美波里さんの出演作品が、そのまま日本のミュージカル史になっています
当時、日本にはミュージカルの歴史がなかったので、何を稽古したらミュージカル俳優になれるか分かっていませんでした。最近は、お母さまが「この子は声がいいからミュージカルに」と判断することもあるようですが、私たちはクラシックバレエ・ジャズダンス・タップダンス、日本舞踊・演技・発声…何をどうしたらいいか、誰も分からなかった時代です。
―『風と共に去りぬ』の初演にも出演されていますね
帝国劇場のために作られた作品で、6ヶ月間という日本が誇るロングラン公演の草分けです。私は公演中に高校を卒業したので、卒業式の日は守衛のおじさんに至るまで、皆に「おめでとう!」と言ってもらいながら、振袖姿のまま劇場に飛び込みました。
当時は、本物の馬が毎日舞台に出ていました。背景には燃えさかる炎の映像が流れて、馬は動かず周りの私たちがその中を逃げ惑うんです。調教師の方が黒子として横にずっとついていましたね。
最後の火事場のシーンは、終わったらすぐ帰れるし、あまり客席から見えないからお化粧をしていない出演者もいました。ところが終演後、菊田先生が「君はこっち!」と言いながら左右に振り分けて、化粧をしていなかった人は「明日から来なくていい」と帰されていたんです。私は化粧をしていましたが、細部までしっかり作らなくてはいけないと厳しく教えられました。
また、衣装デザインを担当されたのは、その後私が結婚したマイク眞木さんのお父様。真木小太郎先生という業界では有名な方で、とても素敵な衣装でした。例えばギンガムチェックでも、舞台に活かす考えを技術としてふんだんに取り入れていたので、他の衣装と全然違うんです。
―劇団四季では『コーラスライン』『キャッツ』『アプローズ』(越路吹雪さんが演じた作品)など多くの作品に出演されています
あの頃は、東宝さんではあまりミュージカル公演がないし、お声もかからなかったので、それならと劇団四季のオーディションを受けに行きました。
最初に受けたのが『コーラスライン』でしたが、バッサリ落とされました。でも、本番まで3ヶ月の稽古期間がありましたので「その稽古を受けられませんか?」とお願いして参加させてもらったんです。ハングリー精神旺盛だったんですね(笑)。
ある日、浅利慶太先生(劇団四季創設者)から社長室に呼ばれて、「開始15分でいなくなる役でもやるか」と聞かれたので、「やります!」と答えて出演が決まりました。結局それがメインキャストのシーラ役だったんです。私は外部の人間ですし、本当にやる気があるのか、そこも試されていたのだと思います。
その後、劇団員ではなく客演で8年もいました。今思えば特殊な存在だったかもしれませんが、今でも誰かの受賞や訃報があれば、劇団員の方と同じように連絡をくださいます。
―なぜそこまでミュージカルをやりたいと思われたのですか?
ミュージカルが憧れだったからです!子どもの頃からバレリーナになるためにクラシックバレエをやっていましたが、小学生の時に映画『王様と私』を観て以来、歌って踊って芝居をすることに憧れたのだと思います。
中学校で入ったダンス部では、何でもやらせてくれたので創作意欲が湧き、自分で振付・踊り・主役をやりました。拍手喝采をもらえたことがうれしくて、舞台に立つ喜びはそこが原点ですね。バレエの堀内完先生(バレエダンサー・堀内元の父)に「君の体はジャズダンスが向いている」と言っていただいたのも大きかったです。
―帝劇は2025年2月をもって休館。美波里さんが2013年からオーナー役で出演されている『Endless SHOCK』も、11月が最後の公演となります
堂本光一さん(脚本・演出・主演)が毎回いろいろ考えていらっしゃるので、当時(2013年)から随分変化しています。とても残念ですけれども、この作品は帝劇で生まれたものですし、何年後に劇場が建て替えられるのか分かりませんが、光一さんご自身がお決めになられたことですので。
―光一さんとは『SHOCK』が初めてですか?
そうです。最初の頃は、光一さんは何もおっしゃらないので自分なりに一生懸命役を考えてやっていました。「ふぉ~ゆ~」の皆はかわいくて、「どうしたらいいの?光一さん、笑わないし喋らないんだけど…」と聞いていましたね(笑)。シャイな方なんですよね。今もそこは変わらないし余計なことは喋らない方です。
最初の3年ぐらいは「光一さん、どうやってこの作品を作ったの?」とか「裏でどういうことをやっているの?」とか、すごくしつこく追いかけて(笑)。いちファンが“耳ダンボ”にするみたいな感じで、光一さんに質問しまくっていましたね。
亡くなったコウイチ(演:堂本光一)の写真があるといいなと思ったので、それを伝えてピアノの上に写真を置いてもらったり、最後は盛り上がる場面なので「私も少しでいいから参加したい」とお話ししたら「それいいね!」と日舞のシーンを作ってくださったりしました。
以前は2~3月に公演があったので、3月3日に女性ダンサーたちが女子会をやっていたんです。そこに私も呼んでもらったので、「お雛様の日なので、男性は光一さんだけお誘いしますから来てください!」とお声がけして、終演後にお呼びして皆でお話ししたり、ちょっとだけ飲んだりしたこともありました。
―美波里さんから見て、光一さんはどんな人ですか?
最初にお会いした時は“王子様”だと思いました。舞台袖で光一さんを待っていたらエレベーターで衣装を着て降りてこられたんですが、パッとドアが開いた瞬間「わっ、王子様だ!」と言っちゃいましたもん(笑)。そしたら「よく言われます」と。瞬間的におもしろいことを言えるのは、本当に持って生まれたものですね。シャイだけど喋ることがとても上手!あれは本当にすごいです。
そして、やはりこの作品を愛していらっしゃるし、物作りがお好きなんでしょうね。これからも若い人たちを育てていかれると思います。彼はその役目を背負いたいと思っているんじゃないかなと、見ていてそう思います。
―美波里さんの「健康の秘訣」、これはぜひお聞きしたいです!
食べること、寝ること、体を動かすことに対して貪欲です。自分がこれを食べたいと思ったら、体が要求しているから何としてもそれを食べる。野菜が欲しくなれば無我夢中でスープを作ります。今は魚ばかり食べていますね。
風邪を引いても寝れば治ると思っているので、調子が悪ければ元気になるまで寝ます。日常の睡眠時間は8時間ぐらいです。この年齢になると、就寝中トイレに起きることが何回かあるらしいけど、私は一切起きないです。お酒を飲み過ぎた日は、お水もたくさん飲んでいるので起きたりしますが、それ以外はずっと寝ています。
体を動かせば寝られます!毎日ジムに行って、スタジオやプールのクラスを受けています。クラスに参加すると、周りと競い合って上手くなりますから。(70代から始めた水泳は)バタフライが一番好きです。昨日は1680m泳ぎました。エレガントな筋肉が欲しいから、水泳が一番ですね。でも、やりすぎには注意です。たくましい腕になってしまうので(笑)。
―ご自宅ではどんな生活を?
2年くらい前にソファーをやめました。ソファーに座るとだらしなくなるのが嫌いで家に置いていないです。食事をするテーブルがあればきちっと座れるし、十分かなと思います。処分しようと思って別の部屋に置いていたら、息子が「俺が使うよ」と持っていってくれました。
―後進に伝えたいことは?
ミュージカルは厳しいですから、突如としてできません。日々の練習で自分を鍛えてキープしていくこと、それが舞台です。菊田一夫先生に言われた「10年やって1年生」という言葉は正しかったと、今思っています。
ー今後の夢をお聞かせください
ずっと板の上に立つ、舞台人として生きていきたいです。
■編集後記
インタビュー中も生きるエネルギーに溢れていて、気がつけば自分の姿勢もいつもよりピンとしていました。いつお会いしても、何事にも感謝の気持ちを持っているのが伝わってきて、今は当たり前ではないのだと身が引き締まる思いになります。この生き方・言葉は必ず後進の方たちに繋がると信じています。
■前田美波里(まえだ・びばり)
1948年8月8日生まれ、神奈川県鎌倉市出身。1963年、東宝現代劇第8期生として『ノー・ストリングス』でデビュー。1966年、資生堂夏のキャンペーンガールに抜擢され脚光を浴びる。2009年、第30回松尾芸能賞、2024年、長年の功績が評価され第49回菊田一夫演劇賞特別賞を受賞。映画・TVにも多数出演。舞台『風と共に去りぬ』『コーラスライン』『アプローズ』『キャッツ』『ウエスト・サイド・ストーリー』『レ・ミゼラブル』『マイ・フェア・レディ』『ステッピングアウト』『イン・ザ・ハイツ』『ピピン』など、日本のミュージカルの歴史と共に生きる。2013年から『Endless SHOCK』のオーナー役。『Endless SHOCK』帝国劇場クロージング公演は11月8~29日まで上演。