人が怖くなる前に
ひきこもりやニート状態の若者について、その傾向が述べられるとき「対人不安」や「人間関係が苦手」という表現が多い。しかし、無業の若者に対して、よりダイレクトに「他者が怖いですか」と聞いてみたところ、2人に1人が「怖い」と回答した。そして無業期間が長くなればなるほど(6ヶ月~1年を除く)その怖さは増していく。
幼少期または学生時代からそもそも人が怖かったのか、無業になってから恐怖を感じるようになったのかは明らかにできていないが、少なくとも、1年を越えて働けない場合には4人に3人が他者を恐れるようになっている。
恐れまではいかなかったものの、2ヶ月間育児休暇を取得した際、毎日、近くの公園に通っていた。そこでさまざまな地域のひとたちと交流をしたが、月曜日から日曜日まで朝夕現れる私に対しての評価は「不審者」「プー太郎」「野宿者」という厳しいものであった。職務質問も受けた(それぞれに育休中だと説明した)。見知らぬ他者と話をすることが嫌になるほどの経験だった。
人が怖くなり、ソーシャル・キャピタルが下がり、関係性の喪失が起こると、無業期間の長期化につながるばかりではなく、社会的にも孤立するリスクが高まると考えている。
ここでは保護者との関係については触れないので、こちらを参考にしていただきたい。
無業期間が半年を越える若者に父親ができることは生活基盤の確保と挨拶だけなのか。
半数が他者への恐怖感を抱いている若年無業者であるが、誰かに相談をするにあっては経年データを参考にしたい。
・1年未満なら友人の出番
就職や転職を考えている友人から相談を受けることはないだろうか。初めての、または、次の仕事を探しているときでも、なかなか決まらないときや、自らの決断理由を聞いて欲しいときなど、久しぶりに飲みに行こうよと声をかけられるかもしれない。仕事を失ったときでも同じだ。ひとりでやり切れるひともいるだろうが、誰だってちょっとした応援や助言があればより前向きになれるし、愚痴をこぼすことで楽になることもある。
しかし、友人への相談も1年を越えると15ポイントも下がる。何度も話を聞いてもらうのは悪いと感じるのかもしれないし、長く仕事が決まらないことを友人に話をするのは恥ずかしさやキツさを抱え始めるのかもしれない。無業期間も3年を越えると友人に相談するのは4人に1人まで落ち込む。
何年だって相談に乗ってくれる友人の存在は大変貴重だが、向こうから関係性を遮断してしまうかもしれない。そういうリスクを考えても、仕事を失った友人からの相談には1年以内に受けたい。
・兄弟姉妹や祖父母、親族はゆるやかなつながりを
保護者を除く、兄弟姉妹や祖父母、親族に相談する割合は25%前後と高くないが、無業期間に関わらず一定の信頼を置いている。早い段階で前に動き出せればよいが、期間が長くなってしまっても頼りにされる割合は変わらない。仮に6年を越えても無業期間が続くと40%近くが家族や親族を頼るようになる。友人、知人、ネット上の知人との関係性が失われていくなか、それでもなお話を聞いてくれる確かな存在として認識されている。
兄弟姉妹や祖父母の方々から、「親ではないけれども何かできることはないだろうか」という相談を受けることもある。身近な存在として大きな助けになることは疑いはないが、長期化したときにも傍に寄り添っていられる存在としてあってほしい。
・支援者および支援機関ができること
あくまでも第三者的なかかわりからスタートするということで課題はアウトリーチになるが、それについてはこちらを参照いただきたい。
・その他
これまでは保護者や家族、親族という身近な存在と、支援者という遠い第三者としての関わりが定番であったが、そのような境界線を広げるような活動も出てきている(当事者同士の会のようにゆるやかなものはずっと存在している)。
インターネットを利用したり、常設型ではない散発的な場を設けて、ゆるやかに足を運びやすい機会が提供されているなかで、ちょっと注目しているのが、「はにかみ屋のための語りBAR」だ。
対人不安、人が苦手、コミュニケーション能力、といった言葉ではなく「はにかみ屋」というフレーズが目を引く。自分が「はにかみ屋」であるかどうかを認識できるかどうかはわからないが、基本的には相談の場ではないというコンセプトが安心感となる若者はいるのではないだろうか。
本当に人が怖くなってしまうと、自分以外の他者(それが親であっても)との接点を改めて作ることは精神的にもハードルが高くなっていく。そうならないためにも、人が怖くなる前にできること、それはタイミングを逃さないこと、関係性を切らさないことではないだろうか。