50代の大学教授がSNSで24歳になりすまし、危うい恋に溺れていく。『私の知らないわたしの素顔』
分別があるはずの50代の大学教授が、SNSで24歳の別人になりすまし、そこで繋がった青年との恋に溺れる。いったい何が彼女をそうさせたのかと興味をかきたてる『私の知らないわたしの素顔』(原題:Celle que vous croyez/英題:Who you think I am)。その主人公クレールを演じるのが、ジュリエット・ビノシュとくればなおのこと。
そもそものきっかけは、クレールが、自分の半分ほどの年齢の恋人リュドに一方的に関係を断ち切られたこと。リュドと繋がりたい一心で、フェイスブックに24歳のクララとして新たにアカウントを作った彼女は、そこでリュドの仕事仲間であるカメラマンのアレックスと“友達”になり、急速に惹かれあっていきます。忘れていた恋のときめきを取り戻したクレールは、久しぶりに会った元夫が驚くほどに、女としての輝きをも取り戻していくのです。
しかし、アレックスが夢中になっているのは、24歳のクララ。おたがいが激しく求めあうほどに、アレックスは実際に会いたがるようになるのですが、クレールはその要求に応えるわけにはいきません。
さあ、どうする!?
というサスペンスでも楽しませてくれるのですが、アレックスとの繋がりが生活の中心になるほどのクレールの恋のときめきはもちろん、情熱がもたらす大胆さ、さらには若さを失ったことを自覚している彼女の悲しみや孤独をリアルに浮かび上がらせるビノシュは、やはりさすが。
24歳のふりをしているのではなく、アレックスとの世界では24歳のクララとして生きているクレールの高揚感を体感させてくれるかのよう。と同時に、クレールが洗練されたインテリであるぶん、彼女の情動も際立たせる。性的衝動を抑えられなくなったクレールが駐車場で耽る行為など、人が通りかかったらどうするのだろうとひやひやするほど。
とりわけ、アレックスとの恋にクレールが一縷の望みを託した行動は、シュールですらあると同時に、恐ろしいほどの悲しみに溢れていて秀逸。
クレールが、精神分析医のカウンセリングを受けているところから幕を開けるので、彼女がこの恋で深く傷ついたことは冒頭から想像できます。けれども、これはたんにSNS上の恋の暴走を描いているわけではありません。
むしろ、それはほんの入り口。ネット社会のある一面を映しだしつつも、若く美しい女性の姿を重視するクレールの傷ついた心に深く踏み込むことで、SNSが誕生する以前から変わらない人間の不安や孤独を浮かび上がらせていることこそ、この作品の魅力。そのドラマとして重さと深みがあるからこそ、結果、サスペンスとしての面白さも増幅される。
しかも、クレールが「若さ」や「美しさ」について、自分が相手にとっては魅力のない人間で、まるで透明人間のようだと感じる状況は、「地位」や「財力」などを巡っても、しばしば起こりうるもの。彼女と同世代の女性ならずとも、思わず共感する瞬間がある。その広がりもまた、この作品の魅力です。
(c)2018 DIAPHANA FILMS-FRANCE 3 CINEMA-SCOPE PICTURES
『私の知らないわたしの素顔』
監督・脚本/ザフィ・ネブー
2020年 1/17(金)よりBunkamura ル・シネマほかで公開中。
全国順次ロードショー。