【京都市西京区】修学旅行生にも大人気の鈴虫寺のさらに奥に知られざる超穴場のアジサイ庭園を見つけた!
修学旅行生にも大人気の鈴虫寺は、6000匹の鈴虫が一年中鳴き、桂住職始め副住職らのユニークでためになる鈴虫説法や「庶民まで救いの手をさしのべるために歩いて来てくださるという」日本で唯一わらじを履いた「幸福地蔵菩薩」などで知られます。2024年6月16日に訪れてみるとこの日も参道の階段下まで大行列となっていました。
さて、先日この近くで食事をしている際に地元の方から鈴虫寺からさらに奥、北東に松尾大社の方に抜ける道を登って行くと隠れたアジサイの庭園が見られるとお聞きし、さっそく訪ねてみました。延朗寺山麓の竹林の下にありました!
「谷ヶ堂 最福寺 延朗堂」の庭園には、小丘に沿ってガクアジサイやヤマアジサイなど色とりどりのアジサイが綺麗に咲き誇っていました。延朗上人800年大遠忌の際に建立されたという美しい「さしのべ観音」に守られているようです。
延朗上人は、但馬国養父郡に生れ、47歳の頃、この松尾谷に住して、最福寺の七堂伽藍を建立したといいます。「太平記」には、「奇樹怪石の池上に、都卒の内院を移して四十九院の楼閣を並べ、十二の欄干珠玉天に捧げ、五重の塔婆金銀月を引き、恰も極楽丈殿七宝荘厳の優姿」とかつてのその絢爛豪華な様子が描かれています。
その後、鎌倉幕府討伐の元弘の乱や続く応仁の乱、織田信長の比叡山焼き討ちの際の兵乱などで焼失し、そのたびに何度も再建されましたが、現在は小堂を残すのみとなっています。「革嶋家文書」には、御醍醐天皇の政権を離れた足利尊氏が西岡36人衆の一人革嶋氏にこの最福寺を警護させたとの記録も残されています。
延朗上人については、源義経によって丹波国亀岡篠村施入を命じられた際に、免租や富民の善政を施し、当時流行した疫病の治療のため、寺内に浴室を造って救済し、慈悲深い「松尾の上人」として尊敬を集めたとされます。最福寺は現在、洛西観音霊場の番外札所となっています。
近くにある「帰峰山 西光寺」が管理しています。住職の奥様によると「今年はさしのべ観音から真ん中にかけて鹿の被害にあった」とのことで、少し残念ですが、それでも綺麗です。周辺は静かな民家ですのでくれぐれも気にかけて参拝ください。車では入れません。
谷ヶ堂 最福寺延朗堂 京都市西京区松室地家山4-1 075-381-2937(西光寺)