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日本の伝統工芸は蘇るのか カギは“補助金頼み”からの脱却

井上久男経済ジャーナリスト
現代生活に似合うように造られた輪島の漆器。定義上輪島塗とは言えない(筆者撮影)。

 筆者は、自動車や電機メーカーの取材に限らず、伝統工芸の現場を訪れることも多い。そこで成功している人たちから見えてくることは、「ライフスタイルの変化」への対応力だ。これは、業種を問わず産業界の人であれば意識しておくべきテーマではないだろうか。

 日本で外国要人へのお土産となるケースが多いのは有田焼と輪島塗だ。それは、日本を代表する伝統工芸だからだ。伝統工芸とは言っても著名な作家が芸術品や美術品だけを造っているわけではない。ホテルや割烹、一般家庭向けにも量産しており、産地の佐賀県有田町や石川県輪島市は地元雇用を維持する「重要な地場産業」と位置付けている。

 ところが、現実では有田焼も輪島塗も業界全般的にはじり貧状況にある。いずれも、1991年をピークに業界全体の売上高は下降し、最近では業界全体の売上高が5分の1から6分の1程度にまで落ち込んでいる。落ち込みの要因は共通で、バブル経済崩壊後の国内市場の縮小と、ライフスタイルの変化による需要減だ。

筆者撮影:これまでのイメージとは違うおしゃれな有田焼
筆者撮影:これまでのイメージとは違うおしゃれな有田焼

自助努力する業者にのみ補助金

 いずれの産地の中も二極化し、補助金依存で何とか食いつないでいこうと考える業者(主に高齢者)と、ライフスタイルの変化に合わせた伝統工芸品を世間に出していこうとする業者(主に40~50代の経営者)に分かれている。最近では後者の方が経営は安定する傾向が強まっており、中には海外市場攻略を狙うところも出てきた。

「ライフスタイルの変化に合わせたものづくり」は有田焼では2016年、主に欧州への輸出を狙う新ブランド「2016」が誕生した。地元の複数の業者が参画して作ったブランドだ。同年4月に開催された世界最大級と言われるインテリアの祭典「ミラノ・サローネ」にも出展した。この新ブランドに対して佐賀県は補助金を投入したが、これまでとは補助の手法を大きく変えた。

 行政の補助金は公平性の観点から「一律」が重視されてきたが、面接の上、自助努力で成果が出せそうな業者を対象に補助金を出すことにした。単に補助金を地元企業の「延命策」に用いるのではなく、補助金が雇用創出や税収増加につながるための戦略に用いることにしたのだ。

 佐賀県陶磁器工業協同組合は「これまで補助金を使ってきても産地活性化の成果はほとんど出ていない。主な原因は産地の勉強不足と甘えに他ならない」と率直に反省する。これまでの多くの補助金が、イベントに出展する新商品の開発費を対象としてきたが、今回は一切出ない。型代や交通費などのコストはすべて業者側が負担した。補助金は展示会開催費用などに充てられるのみだ。

世界の家庭で使われる有田焼とは

 さらに、開発プロセスでは敢えて窯元の要望は採り入れず、佐賀県が指定したデザイナーと組み、徹底したデザイン主導で、現代の生活に合った商品づくりが求められた。窯元1社につき若手の優秀なデザイナー1人がコーチのように付き添ったという。

 プロジェクトに参加したのは窯元10社と産地商社6社。これまでの有田焼の伝統を否定するもの造りの一面もあった。現状の生産設備ではデザイナーが求める商品が造れないうえ、生産量が確保できないと判断した窯元2社は、自社でリスクを取って工場を移転させたそうだ。

プロジェクトに参加した計16社を一体的に運営するために商社6社と窯元2社が出資して自力で販売、ブランドを普及させる新会社「2016株式会社」を設立、16年10月から本格的な営業を始めている。

 このプロジェクトには伏線があった。それは、産地商社、百田陶園の取り組みだった。同社は、「世界中の家庭で使われるような新しい有田焼」をコンセプトにして、上流のものづくりから下流の流通まで仕組みを商社主導で変えていくことにした。補助金を全く使わず、独自で1億5000万円を投資して新ブランド「1616」を創設した。1616年は有田焼の生産が始まった年だ。同社の百田憲由社長は「これが失敗したら、うちは倒産すると思った」と語る。自助努力で市場を切り開かなければ、産地として永続しないという危機感が百田社長にはあった。安易に補助金もらうと、失敗しても痛みを感じず、やり遂げる覚悟も鈍るということだ。

「1616プロジェクト」は2011年から有望株の若手デザイナーと組み、デザイン主導で新商品を開発、釉薬をかけないといった斬新な新手法を用いた。2012年には国内の発信基地としてグランドオープンしたパレスホテルに出店した。2013年の「ミラノ・サローネ」で賞を獲得したことでブレークした。佐賀県側はこの「1616」のプロジェクトの成功に目を付け、同じ発想で「2016」のプロジェクトを進めることにしたのだ。

洋食にマッチした「輪島の漆器」

 輪島塗でも脱補助金の動きが出ている。「補助金が諸悪の根源。補助金に依存すると、自分で汗をかくことを怠る傾向に陥ってしまう」と語るのは、輪島の塗師(ぬし)屋「大崎庄右エ門」で四代目となる大崎四郎氏だ。塗師屋とは漆器を生産、販売する元締めのことだ。大崎氏は、伝統を大切にしつつも自助努力で異業種である陶磁器のノリタケと組んでボーンチャイナに漆を施すなどの新製品を開発してきた。顧客に新しい生活空間を提案していく努力は不可欠と考えての新商品だった。

 輪島塗は富山の薬売りと同じように、行商スタイルで、作り手でもあり、売り手でもある塗師屋が全国を歩き、顧客との信頼関係を築き、そのニーズを吸い取って漆器を製造・販売してきた歴史がある。しかし、いつの間にか販売は百貨店任せで価格も言われるままの状況になり、一定の量を確保するため、粗悪品も造ってしまった。

 そのため、輪島塗は造り手の顔が見えない製品になると同時に、マンションでの生活など現代のライフスタイルに合わなくなった。経営に窮する塗師屋も増え、それが補助金依存の高まりを招いた一因だ。

「輪島キリモト」のブランドを展開する桐本泰一氏も、ライフスタイルの変化に対応した輪島塗を強く意識している一人だ。洋食に似合い、スプーンやフォークを使っても傷つかない漆器生産に力を入れる。こうした大崎氏や桐本氏の動きに触発され、ソムリエナイフの最高峰「シャトーラギオール」と提携する塗師屋も現れた。ナイフに漆を塗って蒔絵を描いている。

 また、大崎氏は「輪島塗は行商が支えてきたが、これからの時代は『迎商』の感覚も重要。観光とタイアップしてお客さんに来てもらうことも考えていく必要がある」とも語る。こうした問題意識から大崎氏は大正時代にできて国の文化財にも登録されている自宅兼工房を「ショールーム」的に活用している。輪島が舞台となった2015年放映のNHKの朝の連続テレビ小説「まれ」の撮影も大崎邸で行われた。

筆者撮影:職人技が光る輪島塗の工房
筆者撮影:職人技が光る輪島塗の工房

国の定義が多様性を排除

 輪島塗が補助金依存になったのは、中央官庁にも責任の一端はある。重要無形文化財の輪島塗には工法や材料に文化庁が定めた定義がある。また、1974年に制定された「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(通称・伝産法)」でも、技法や原材料で一定の要件を満たさなければならない。

 補助金を出しやくするために国が定義を定めたのである。合理的な判断と言える一面もあるが、定義が固まったことで、産地から多様性のある製品が消えた。このため、桐本氏が造る洋食に合った漆器は「輪島塗」と呼ぶことはできない。国が決めた定義が、現代の生活に合うもの造りを阻害してしまった一面は否定できないだろう。

 伝統工芸は日本文化の一部であると同時に重要な地場産業でもある。最近はやりの地域創生とも関係する。補助金が新たな雇用を生み出し、それが税収の増加にもつながるとの発想が、補助金を出す役所にも使う側にも一層求められる時代が来ている。

                                    

経済ジャーナリスト

1964年生まれ。88年九州大卒。朝日新聞社の名古屋、東京、大阪の経済部で主に自動車と電機を担当。2004年朝日新聞社を退社。05年大阪市立大学修士課程(ベンチャー論)修了。主な著書は『トヨタ・ショック』(講談社、共編著)、『メイドインジャパン驕りの代償』(NHK出版)、『会社に頼らないで一生働き続ける技術』(プレジデント社)、『自動車会社が消える日』(文春新書)『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』(同)。最新刊に経済安全保障について世界の具体的事例や内閣国家安全保障局経済班を新設した日本政府の対応などを示した『中国の「見えない侵略」!サイバースパイが日本を破壊する』(ビジネス社)

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