ジャイアンツ、みちのくに帰ってくる。11年ぶりの岩手開催にみるプロ野球地方開催の意義
先月末、巨人が秋田、盛岡の「みちのくシリーズ」対ヤクルト2連戦を行った。6月27日の秋田こまちスタジアムでの試合は、午後4時の開門直後の大雨とその後の予報の悪さから中止となったが、翌日の盛岡の新球場・きたぎんボールパークでの試合は、小雨模様の中、なんとか6回まで行い試合を成立させた。
巨人は昨年も山形、福島・郡山の2連戦で東北地方での公式戦主催ゲームを行なっている。東京ドームという天候に左右されないキャパの大きなホームグラウンドをもつ人気球団が、梅雨時にわざわざ収容人数の少ない地方球場に遠征を行うことには、少なからぬファンが疑問を呈している。これには、親会社の新聞社の販促という側面も囁かれているが、球界の盟主の地方周りには、やはり大きな意義がある。
巨人軍の東北遠征の歴史
読売巨人軍の東北遠征の歴史は、戦後間もない1950年に遡る。この年の6月28日に青森市営球場で行われた対西日本パイレーツ戦はプロ野球史上記念すべき試合となった。巨人、先発の藤本英雄が史上初となる完全試合を達成したのだ。
その後も1950年台半ばまで巨人の東北遠征は実施されるが、1954年に行われた仙台から岩手(盛岡、釜石)、山形、福島に至る8試合の長期シリーズを最後に一旦ピリオドが打たれる。
「みちのくシリーズ」が復活するのは、1973年のことだ。この翌年の1974年以降1990年までこのシリーズは隔年で実施され、福島、宮城、岩手の3連戦シリーズとして恒例化する。福島県内での試合は、1988年まで郡山開成山球場が使用され、1980年代は、福島出身の人気選手、中畑清の応援団でスタンドが埋め尽くされていた(1990年は福島あずま球場を使用)。宮城は仙台宮城球場、そして岩手は盛岡の県営球場が使用されるのが定番であった。
昭和の終わりから平成の初めといえば、日本の野球界はまだまだ巨人が人気・実力とも他球団を圧倒していた。とくに地元球団がなく、テレビ中継でしかプロ野球を観ることのできない東北地方でのジャイアンツ人気は絶大で、平日のナイトゲームにもかかわらず、外野芝生席のチケットを手にしたファンが早朝から球場をとりまき、試合まで酒盛りをして盛り上がるという風景は珍しいものではなかった。全国区の人気球団・巨人が地方球場にやってくるということは、「祭り」に等しいビッグイベントだったのである。
しかし、1990年から15年間は、この恒例行事も中断してしまう。この間、フリーエージェント制の導入によって選手の報酬は高騰。各地のフランチャイズ球場はドーム化していった。そのような中、各球団、とくに本拠地球場を満員にできる動員力をもつ球団にとって、経費が余計にかかる上、設備面でも劣る地方球場に雨天な中止のリスクを背負って遠征する理由はなくなっていった。また、各地で球場のイノベーションが進み、フランチャイズ球場と比べても遜色のない新球場が建設されるにつれ、それがあまり進んでいない東北地方で巨人が主催ゲームを行う理由はなくなっていった。
巨人一極から多極化へという「球界再編」
巨人が東北でのゲームを再開する前年の2004年は、日本を揺るがせた「球界再編騒動」の起こった年である。球団運営に行き詰まったパ・リーグが球団数を減らした上で人気の巨人擁するセ・リーグに合流するという青写真は、ファンの猛烈な反発によって打ち消され、皮肉なことに、その後の球界では、地域密着に舵を切ったパ・リーグ球団の人気向上と、「全国区人気の巨人」という神話の崩壊だった。
これより先にすでに巨人の「全国区」的人気は、テレビ地上波中継の減少によりなくなりつつあった。それに気付いてか、巨人は2003年に岡山県の倉敷マスカットスタジアム、2004年にはキャンプ地でもある宮崎サンマリンスタジアム、それに松山坊っちゃんスタジアムという比較的大きな器で公式戦の地方主催ゲームを行い、地方でのファンのつなぎ止めの方向性を打ち出している。
その一方で同じ2004年に静岡草薙球場で実施された対横浜戦はある意味「巨人一極」が崩壊した象徴的な試合だったと言えるだろう。この試合の主催チームは横浜だったのだ。テレビ中継が本格化し、「全国区球団」になって以降、巨人が地方遠征を行うのは、親会社の販促を兼ねた自軍の主催ゲームだけだった。あとの試合はすべてフランチャイズ球場のナイトゲームと相場が決まっていた。セ・リーグ各球団は、満員札止めが見込め、莫大な放送権料が入る巨人戦を本拠地球場のナイター以外で実施することはまずなかった。この静岡での試合は、巨人が「12分の1」になったことを端的に示していたと言って過言ではなかろう。
翌2005年8月9日、巨人は新球団・楽天イーグルスの本拠となった仙台宮城球場あらためフルキャストスタジアム宮城で15年ぶりとなる公式戦を行った。皮肉なことに、この試合の主役は、この日をもってユニフォームを脱ぐことを発表した相手投手、地元出身の「大魔神」こと佐々木主浩だった。
例年の「みちのく開催」の一方で岩手からの「撤退」
2005年以降、巨人はほぼ毎年東北地方で主催ゲームを行うようになるスケジューリングされなかったのは2009年と2018年のみで、2020年は福島県いわき市と郡山市での開催が予定されたが、コロナ禍によりキャンセルされた。
しかし、今回試合が行われた盛岡では2012年を最後に試合が組まれることはなかった1990年代以降、東北各地で新球場建設ラッシュが起き、1970年建造の岩手県営野球場は、プロが使用する施設としては時代遅れのものとなった。2012年には前年に起こった東日本大震災の復興支援の目的もあり、オールスター戦も開催されたが、ファンの目には、この球場が同じくオールスター戦が開催された松山、新潟などの近代的な地方球場と比べても、「夢の球宴」の場として物足りないと映ったことだろう。近年では、ここで公式戦を行うのは、東北全県をフランチャイズと捉える球団運営を行っている楽天だけになっていた。巨人が、1980年代の九州、北海道、そして東北と北陸の隔年開催という三方面への地方開催から、北関東、関西、岐阜、静岡などを加えた地方開催の「多方面化」に舵を切った2005年以降は、東北での開催は、年1、2試合となっており、その中では、福島、秋田、山形などの比較的新しい球場が使用されるようになっていった。
新ボールパークでの「真夏前の夢」
この状況に岩手の野球界が動いた。県営球場と、同じく老朽化が進んだ市営球場を統合するかたちで、新球場が建設されたのだ。盛岡市中心から7キロほど南のJR駅近くに建てられた新球場は、地元銀行のネーミングライツにより「きたぎんボールパーク」と名付けられた。プロ野球などの試合がない日でも市民に愛好してもらおうと、内野スタンド下の通路と外野芝生席上の通路を一体化させ回遊性をもたけ、日頃はジョギングコースとして利用可とする構造は、画期的なものと言っていい。
収容人数は2万人。旧県営球場や秋田こまちスタジアムの2万5000人より少ないが、これは年1、2回のプロ野球より、地域の人々の利用に適した規模を優先させた結果だろう。その一方で、その年1、2回のプロ野球観戦をよりスリリングに楽しんでもらおうと、内野スタンド端には今はやりのフィールドシートが設置されている。
プロ野球の初開催は、5月16日。楽天がソフトバンクを下して地元ファンを喜ばせた。そして、満を持して先月28日に11年ぶりとなる巨人戦が開催された。
天気予報は前日に続き良くなかったが、日中は晴れ間ものぞき、試合開始の午後6時には、内野スタンドはほぼ満員になっていた。ただ、かつての巨人戦とは違い、ビジター側3塁スタンドには、対戦相手であるヤクルトのファンが目立ち、「地元球団」・楽天のキャップを被った人の姿も見受けられた。
また試合後の盛岡駅には、土産物を抱えたレプリカユニフォーム姿のファンの姿もあった。その気になれば、最終の新幹線で東京に帰ることも可能なのだ。インターネットでチケットが買えるようになった今、地方ゲームは、地元民だけのためにあるのではなく、都会のファンが観戦旅行を楽しむ対象ともなっている。
この日の観衆は約1万4000人。事前にチケットは完売になっていたのだが、地方ゲームでは親会社の販促用に外野芝生席の招待券が相当数配布されている。あいにくの雨模様のせいで、観戦を断念した人も多かったようで、外野の入りは半分にも及ばなかった。昭和のころの巨人の地方ゲームでは、開門と同時に外野席は足の踏み場もないほどに観客が詰めかけたものだが、楽天が東北に根付いた今、巨人戦の絶対的な神通力もなくなってきているのかもしれない。
それでも、やはり「巨人戦」が東北の人々にとって特別なものであることは、球場の熱気から感じられた。ワンプレーごとにあがる歓声は、東京の本拠地球場以上に観客が試合に集中していることを物語っていた。
試合序盤から降り始めた霧雨は、次第に大きな雨粒となり、試合成立の5回を待っていたかのように本降りとなった。結局、7回表に入ろうというところで試合は中断。そのままコールドゲームが宣告された。3ラン2発を効率的に放ったヤクルトが巨人を下して試合は終わった。
巨人にしてみれば、悪天候が予想される中、本拠地を離れて遠征しての敗戦は、踏んだり蹴ったりのように見えるが、そうではないことは、帰路につく観客の表情が物語っている。ある女性ファンは、「初めて野球観たけど面白かった」と歓喜の声を挙げていた。それまで野球に興味のなかったその女性が、悪天候の中、足を運んだのはその試合が、巨人戦だったからかもしれない。名門球団がおらが町にやってっくるというスペシャルな体験を提供できる球団は多くはない。「球団の盟主」の看板を掲げる限り巨人軍の地方試合は、野球ファンの裾野を広げるという重大なミッションを背負い続けている。
(写真は筆者撮影)