良妻なんてぶっ飛ばせ!女性たちの“革命”を朗らかに描く『5月の花嫁学校』
【監督インタビュー/マルタン・プロヴォ】
「リサーチを始めたときに、INA(フランス国立視聴覚センター)で60年代の花嫁学校のドキュメンタリーを観たんです。女の子たちがプラスチックの人形で赤ちゃんの世話や、夫のシャツのアイロンがけを学んだり。女性はこんなにすることがあるのかと愕然とした一方で、現代の視点で見るとすごく滑稽だったんですよね。コメディというスタイルは、そんな題材を扱うのに最適。それに、女性解放運動が始まって陽気なエネルギーが溢れていた60〜70年代当時のトーンを反映させたかったんです」
笑いの量が想定以上で
撮影初日は不安がいっぱい!
オンラインインタビューでこう教えてくれたのは、『5月の花嫁学校』(原題:La bonne épouse/英題:How to be a good wife)の脚本も手がけたマルタン・プロヴォ監督。ジュリエット・ビノシュがアルザス地方の花嫁学校の校長ポーレットを演じる今作は、パリ大学から始まった学生運動の熱が、労働者や男女平等を求める女性にも伝わっていた1967年に幕を開ける。原題は「良妻」という言葉を反語的に掲げているが、そんな良妻という概念を大きく揺るがすことになる「五月革命」が迫り来ることを意識させる邦題も洒落ている。
時代の流れで生徒数も減少するなか、夫の急死で経営問題に直面したポーレットが気づくのは、自分が前時代的な夫の価値観に縛られていた現実。そんなポーレットが自分らしい生き方に目覚めていく姿が、迷信深い修道女マリー=テレーズ(ノエミ・リヴォウスキー)や、永遠の夢見少女のような義妹ジルベルト(ヨランド・モロー)というキャラの立った講師陣や生徒たちとともにユーモアたっぷりに描かれていく。
女性画家セラフィーヌ・ルイの伝記『セラフィーヌの庭』などシリアスな人間ドラマで知られるプロヴォには意外なジャンルに思えるが、その質問への回答が冒頭のコメントだ。ビノシュも、良妻として生きてきたヒロインの自我の目覚めをコミカルに演じて新鮮だが、その中にも女性が一人で生きることの大変さも浮かび上がらせる脚本もお見事。さらに、彼女を軸にした実力派女優3人の競演による相乗効果も生まれるわけで。
「予想以上にコミカルになってます。3人それぞれが“もっとやろう、もっとやろう”とサービス精神を発揮する。彼女たちのシーンは永遠に笑っていられる感じでしたね。実は、撮影初日はすごく不安でした。誇張しすぎないコメディを考えていたのに、この調子だと私の狙いとは違う大娯楽映画になってしまうのではないかと(笑)。彼女たちとの仕事はすごく楽しかったですが、3人のバランスをうまくとるのは簡単ではなかったですね。
ノエミにはマリー=テレーズ役が決まったときに、“痩せてくれ”と頼んだんです。それなのに、ノエミは逆にガンガン食べまくって、どんどん太っていって(笑)。彼女のそういう常軌を逸した部分も女優としての才能だから、それも取りこんじゃえということで、細身のはずだったマリー=テレーズが、ちょっと太めになりました 」
第二次大戦中はレジスタンスとして活動していたという設定のマリー=テレーズのこれまた常軌を逸した行動にもご注目を。
ラストはミュージカル調と決めていた
ゴールではなく、スタート地点だから
ポーレットの大人の恋も描かれるなか、女性たちの自由への目覚めは、ラストに胸アツな思いを共有させてくれることに。五月革命のエネルギーがフランス全土に広がるなかで、新たな一歩を踏み出したポーレットは、生徒たちと一緒に自分らしくあるための宣言を高らかに歌いあげながら行進するのだ。このミュージカル仕立てが効いている。「歌いながら行進する」というのは、エンターテインメントとして「革命」のエネルギーを表現するのに最もふさわしいものだからだ。
「そのとおりです。彼女たちは行進、つまり前進しているわけですよね。それは必ずどこかに辿り着くということ。勇敢に歩き続けている彼女たちを、男性としても応援していることを映像で示したかった。
シナリオ段階から、ラストはミュージカル調にしようと決めていました。なぜなら、あれは女性開放のゴールではなくてスタート地点。だからこそ、彼女たちは行進する。前に向かって進む。それを寓意として広い意味でのミュージカルの行進シーンにしたかったんです。'68年の五月革命はバリケードを築いたりと暴力的な部分はありますが、女性解放の動きというのはもっとオープンでおおらかなものですから。
ただ、撮影は大変でしたよ。簡単そうに見えますけど、あの振り付けは結構洗練されてるんですね。しかもカメラはほんの数台。普通は撮影が終わってから音楽をつけたりもするのに、私たちは先に音楽も歌も作り、6ヶ月前から振り付けのリハーサルもしてたんですよ」
女性を描くことは
その時代の社会を描くこと
ヨランド・モローがタイトルロールを演じた『セラフィーヌの庭』や、女性として初めて自分の生と性を赤裸々に書いたヴィオレット・ルデュックを描いた『ヴィオレット−ある作家の肖像−』など、プロヴォは実在の女性アーティストたちの苦悩を描いてきた。女性を通して、時代や社会を描くことにこだわりがあるのだろうか。
「どんな作品を撮っても、その時代時代の社会の事象を描くことになると思うんですね。『セラフィーヌの庭』は家政婦が画家になっていく話ですけれども、私にとってはセラフィーヌが自分の中で革命を起こしていく物語。セラフィーヌやヴィオレットが、女性の地位を通してそのときどきの時代を語っている。私の中にはずっと若い頃から、その時代時代の社会の礎となっているのは女性だという直観がありました。18歳で最初に書いた戯曲には“神様、神様、なぜあなたは女性の声をしてらっしゃるんですか”という台詞もあります。
『5月の花嫁学校』の頃に比べれば、フランス社会はずいぶん変わりましたが、私たちの社会はジェンダーの問題に関してはまだ進化の真っ只中にいる。でも、数年前に#MeToo運動が世界的に始まったように、新しい社会を築こうという流れが生まれている。男性はもっと自分の中の女性性を発見することを恐れずに、女性も自分の中の男性的な部分を発見して、それぞれが自分の中の異性性を享受できるような懐の深さを持てれば、思いやりを持って他者に接することができる。そういう社会への転換期にあると、私は信じています」
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『5月の花嫁学校』
ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開中