競走馬を引退した馬の行き先の現実。そして、引退馬たちの支援について
最近、競馬を引退した馬たちのその後にまつわる動きが活発化している。
そういった活動はかなり前から行われたいたが、急にスポットライトが当たった格好で、正直なところ、筆者は驚いたり戸惑ったりしながらそれらの記事を読んでいる。
先日、筆者はYahoo!ニュースに下記のコメントを書いた。
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認定NPO法人引退馬協会
競走馬は競馬という巨大事業を支える経済動物である。現在、JRAではサラブレッドのみが出走の対象となっているが、以前はアングロアラブ種も走っていた。
競走馬を引退した馬の面倒をみたいと立候補する人はたくさんいるが、その馬がケガをしたり病気になったりしても面倒を見続けるのは本当に大変だ。療養には数十万、ときに百万単位の費用がかかるのは珍しくない。そもそも、馬は立ち上がれなくなっただけで死んでしまう(寝たきりだと床ずれした部分が壊死するため)し、適切な運動をさせるためには広大な敷地が必要で、一般家庭の庭で飼える動物ではない。
また、馬の面倒をみようと立候補した人が、その後の経済状況の変化で引退馬を養う余裕がなくなるケースもある。
筆者は正直なところ、コロナ禍でこれからさらに厳しい世の中になろうというのに元競走馬を保護し続けるのは本当に大変なことだと思っている。だからこそ、無理のない金額で信頼できる仲間と共に維持し続けることが何より重要だ。なので、元競走馬を預かる牧場のことや一緒に管理していく仲間たちについても、十分に調べてから実行に移して欲しいと考えている。
競走馬を引退した馬たちの行方
競走馬を引退した馬がどうなっていくのか、だが…。
日本でのサラブレッドの生産は1992年に10000頭を超えてピークをむかえたが、その後は減少傾向となったが、2012年に下げ止まりをみせて再び上昇傾向にある。
注:この表で「日本ダービーを目指した頭数」とあるが、この数字は日本におけるサラブレッドの生産頭数に外国産などを若干数だが加算している。日本では外国で生まれた馬が最初に日本で競走馬登録をした場合はクラシック競走に出走できるため、このような表記とした。
この表からもわかるとおり、毎年約7000頭も競走馬を目指すサラブレッドが生まれ、うち、JRAに競走馬登録される馬は毎年5000頭弱である。しかし、3歳のうちに一定の成績が収められない馬はその後JRAに所属していても出走できるレースがなくなる。地方競馬に転厩して既定の勝ち星をあげてJRAに戻るか、別の道を行くか、しかない。
競走馬を引退した馬たちは次世代に血を繋ぐために繁殖に上がるか、乗馬になるか、などの道があるが、毎年これだけの頭数が生まれているのだから、全ての馬が繁殖や乗馬といった"生きたかたちでの経済活動"を継続していくのは不可能だ。
中には動物の餌になる馬もいるが、そういった元競走馬たちはいったん"乗馬"などの違う名目で中央競馬を引退し、その道をたどる。
筆者が現在、引退馬にしていること
次に具体的に筆者がしていることを書いておく。筆者はツルマルツヨシという競走馬を引き取り、ツヨシが死ぬまで大切にし少しでも長く元気に過ごしてもらおう、という主旨である「ツルマルツヨシの会」の立ち上げと運営の手伝いをしている。
ツルマルツヨシの競走馬時代の担当厩務員をしていた中西氏から「どうしたらツヨシを死ぬまでサポートできるだろうか」と相談を受け、NPO法人である引退馬協会を紹介。その後、会の運営のお手伝いをしながら、現在に至る。
会員の皆さんとのやり取りはすべて中西氏が自らやっており、立ち上げ資金から呼びかけ、とりまとめ、何かトラブルが起きたときの対処などを一手に引き受けている。
中西氏はすでにJRAの厩務員は定年退職しているが、その後は「少しでも自分のできる範囲で自分の経験が役に立てば」と、いくつかの元競走馬の養老牧場を手伝ったりしている。
元競走馬すべての一生を支えるのは不可能「せめて1頭、縁があった馬にのびのびとした余生を」
正直なところ、元競走馬の行く末についての問題は競馬という経済活動の中でダークなテーマとして扱われてきた。ただ、JRAという巨大な組織のもとで、馬券の対象となって走ってきた本来主役であるはずの競走馬たちが華々しい生活をおくったあと、次の用途がないという理由で"処分"されるしかない、というのも心が痛む。
しかし、一生守られて生きたとして20~30歳が寿命と言われるサラブレッドが毎年数千頭単位で経済動物としての役目がなくなる現状をみると、元競走馬たち全てを健康を保ちながら一生支え続けるのは不可能だ。
だからこそ、もしもすべての経済活動から引退した馬を支援したいのならば、縁のあった1頭を健やかに一生過ごせるように支えることから始めるといい、と筆者は考える。ひとりで支えていくのは大変なので、極力仲間をつくって活動していくといい。
先の紹介した引退馬協会はそういった活動の支援をしていて、ツルマルツヨシの会も立ち上げから現在に至るまで、助けていただいている。支援者から集めた会費をいったん引退馬協会に預け、ツヨシのためにかかる費用は引退馬協会から直接相手先に振り込まれる仕組みになっているので、会費の不正利用は避けられる。
ツヨシは競走馬時代は経済動物だったし、誘導馬時代も脇役で競馬という経済活動を支え続けてきた。しかし、その両方も役目を終えた今は愛玩動物であり、ツヨシの稼ぎはない。だからこそ、支援する側には継続して支え続ける覚悟が要るのだ。
そういった馬が1頭、また1頭と増えていけば、それだけ多くの馬たちが寿命を迎えるまで健やかに過ごせるようになるはずだ。
この問題については、今後も筆者もこれまで以上に時間をかけてり組んでいきたいと思う。
ツルマルツヨシは皇帝シンボリルドルフの血を引く人懐こい元競走馬
最後に、ツルマルツヨシ自身について少々ふれておく。
ツルマルツヨシは門別のシンボリ牧場で生まれた。父はシンボリルドルフ、母はスィートシエロというシンボリ牧場ならではの血統だ。競走馬としてはJRA栗東トレーニングセンターの二分厩舎に所属しながら、1999年に重賞・京都大賞典(GII)など11戦5勝という成績をおさめた。有馬記念や天皇賞などのGIにも出走したことがあるキャリアを持つが、勝つには至らなかった。競走馬現役引退後は京都競馬場で乗馬となり、第二の仕事に就いていた。
誘導馬引退後は、宮崎で余生をおくっていたが、紆余曲折ありツヨシがそのまま余生を過ごせるかどうかが不透明な時期があった。このタイミングに中西氏が呼びかけて発足したのがツルマルツヨシを死ぬまで大事にするための「ツルマルツヨシの会」である。
現在、ツルマルツヨシは吉野牧場で悠々と余生をおくっている。本当にのびのびと暮らしており、その姿に癒される。ツヨシは蹄に爆弾を抱えているが、その治療費を含めたすべてを「ツルマルツヨシの会」が支援することでとても健康的な老後を過ごせている。
今でも筆者は、この会をつくるときに中西氏に言われた言葉を忘れない。
「たくさんの競走馬を担当させていただいてきた。全ての馬に恩はあるが、全ての馬の一生の面倒はみれない。でも、いまツヨシが余生を過ごせるかどうかわからないなら、僕が面倒をみたい。せめて1頭、縁があった馬にのびのびとした余生をおくってほしい。」
中西氏にとってツルマルツヨシは人生の宝、そのものなのだ。
そしていま、中西氏は次の"1頭"を支えていきたいと腹を決めたところだという。このタイミングで筆者がこの話を聞くのも"縁だな"、と感じた。
これからも、こういった小さなご縁をひとつひとつ、大切に繋いでいきたい。
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