映画「私は確信する」は“司法のメンツ”vs.“スキゾな真相追究”をマッチングさせた上質な心理劇だった
♪ 映画「私は確信する」とは?
2018年フランス制作の、実話を基にした実写映画。フランスでは40万人を動員した大ヒット作とのことです。
オープニングはレストランの厨房。手際よく注文をさばいているのは、シングルマザーのノラ。
彼女は親ひとり子ひとりというギリギリの生活のなかで、世間を騒がした“ヴィギエ事件”の調査を続けていた。というのは、ひとり息子の家庭教師が容疑者の娘であり、その容疑の対象である行方不明の母親の娘でもあったから。
その母親が行方不明のまま、殺人事件の裁判第一審が開かれ、父には証拠不十分で無罪判決が下り釈放されていたが、なぜか第二審が開かれることになります。
2010年、改めて殺人罪で被告人席にその父親が座らされることになった――というところから物語は進んでいきます。
♪ フランスを騒がせた“ヴィギエ事件”とは?
冒頭で“実話を基にした”と書いたように、この映画は2000年に起きたスザンヌ・ヴィギエという女性の失踪事件をベースに制作されています。
2000年2月27日、フランス南西部のトゥールーズにあるヴィギエ家から、38歳の3人の子どもの母親であるスザンヌの姿が見えなくなりました。
夫のジャックは、3日後の3月1日に捜索届を提出、3月8日には誘拐・監禁被害届を提出します。
そして約2ヵ月後の5月、警察はジャックの勾留を決め、家宅捜索を行なうという“疑惑の展開”によって、この失踪事件はフランス中の注目を集めるようになったのです。
ようやく第一審が開かれたのが2009年の4月。証拠はおろか遺体さえも見つからないこともあって、陪審員の評議は否決。つまり、無罪が言い渡されました。
映画はこのあたりから始まり、2010年3月の第二審の法廷と、“白いカラスが存在しないことの証明”をするかのような弁護側の苦労を描いていく、というところがメインストーリーです。
なお、キーパーソンであるデュポン=モレッティ弁護士も実在。1987年に無罪を勝ち取ると、この映画が制作された2018年時点で146件の無罪判決という記録をもっているレジェンド。2020年7月からはマクロン新内閣の法務大臣を務めています。
♪ 映画「私は確信する」のポイント
先に断っておきますが、この映画はかなりシリアスな作り方をしているものの、ドキュメンタリーではありません。
シングルマザーという不安定な立場にありながらも、“嘘”によって陥れられようとする知人を見過ごせないというノラを軸に、それぞれの違った思惑がたまたま同調してしまったがために、本来の流れとは違う方向に向かおうとする“残酷な現実”を暗喩として描き出そうとしているように感じました。
アウトロー的なキャラクターの刑事や探偵が走り回って“真実”へと近づいていくのでも、腕に覚えのあるキャラが超法規的な方法で復讐を果たすのでもない、市民目線で“人を裁くということ”を見直させるストーリーになっているところが新鮮でした。
♪ 音楽ライター的「私は確信する」のキモ
ちょうど別件で、バッハの「マタイ受難曲」を調べ直し始めたところだったからなのか、「人は嘘をつく」という預言と映画のテーマがシンクロしているのではないかと思ったりして、妙な気分になっています。
音楽という点では、ほとんど背景に生活音以外のSEがない映画でした。それに気づいたのは1/3ほど過ぎたあたりだったかな。
おそらく、メロディーや歌詞に影響されずにテーマについて考えながら観てほしいという監督の意思によるものだったのではないかと思います。
それだけ重いテーマを、押しつけがましくならないようにと配慮した結果であり、逆に言えば音や音楽がストーリーに与える影響の大きさを考えさせるものでもあるといえるのではないでしょうか。
♪ まとめ
死体すらない殺人事件。思惑だけで右往左往させられる人々──。
悲惨なシーンはないかわりに、非道な現実と向き合わなければならないという“現実の怖さ”を描きながら、エンタテインメントとしても秀逸な作品です。
「法廷ものは会話だけで場面をつないだりするところがウザくて好きになれない」という人もご心配なく。
弁護士だけにスポットが当たる展開じゃないところで、登場人物の生き様というサイドストーリーにも思いをはせることができる演出がなされているからだと思うのですが、そんな推理だけじゃない楽しみ方ができるのが、この作品の良いところなんだと思うのです。
「私は確信する」オフィシャルサイト