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サッカーW杯を10倍楽しむための犯罪学 孫子の兵法、ゾーン・ディフェンス、進撃の巨人、リスク管理

小宮信夫立正大学教授(犯罪学)/社会学博士
(写真:ロイター/アフロ)

サッカー・ワールドカップ(W杯)で日本が初めて逆転勝利を収め、初めて優勝経験国に勝った。しかも、その勢いは続き、優勝経験国に逆転勝利という衝撃が繰り返された。優勝4度を誇るドイツに続き、スペインも撃破し、1次リーグ「死の組」を突破したのだ。

日本は一躍台風の目となったが、その背景には「ロストフの悲劇」の教訓があるように思えてならない。あくまでも、犯罪学者としての視点だが。

『孫子の兵法』はディフェンス重視

「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」という言葉で有名な『孫子の兵法』は、2500年前に書かれた兵法書である。にもかかわらず、武田信玄やナポレオンだけでなく、現代のビジネスマンやスポーツマンにも愛読されている。まさに戦略的思考のバイブルだ。

著者の孫子(孫武)は、「攻め」よりも「守り」を重視する。その理由を孫子は、「勝つべからざるは己に在るも、勝つべきは敵に在り(負けにくいかどうかは自分の努力次第だが、勝ちやすいかどうかは相手の出方次第)」と説明する。つまり、同じ努力をするなら、その成果が出る確率の高い「守り」に傾注すべきというわけだ。

犯罪学においては、犯罪者が抱える原因を取り除こうとする犯罪原因論は「攻め」で、被害に遭いにくい環境を作ろうとする犯罪機会論は「守り」である。

人の性格や境遇は千差万別なので、犯罪の動機や原因も人それぞれだ。そのため、原因除去のための治療法や支援策が、犯罪者のニーズにぴったり合えばいいが、ミスマッチの可能性は高い。

これに対して、犯罪の機会は環境を改善すればするほど減っていく。つまり、努力に比例して確実に犯罪を減らせるのだ。

もし、孫子が犯罪学者だったら、「犯罪機会論は己に在る(自分次第)が、犯罪原因論は敵に在り(相手次第)」と言うに違いない。

「ロストフの悲劇」の教訓

この『孫子の兵法』を、サッカーに当てはめてみると、世界に衝撃を与えた優勝国撃破は、「守り」を重視したことの賜物だと思えてくる。

実際、主将の吉田麻也選手は「かなり長い時間守る形になったが、リードしてブロックをつくれば、スペインもドイツもなかなか崩すのは難しいというのは元々分析であった」と語っている(デイリースポーツ)。

これに対し、「ロストフの悲劇」は、堅守モードにスイッチが入らなかったことが原因のようだ。

「ロストフの悲劇」と言われているのは、ロシアW杯決勝トーナメント1回戦で、当時FIFAランク3位のベルギーに日本は2-0とリードしながら、逆転負けを喫した試合である。

試合を振り返るNHKの番組で、長友佑都選手は「変化がなかったことが勝敗を分けたかなと思っていて、あまりにも考え方がイケイケすぎたというか、攻撃的すぎた」と話している。

西野朗監督も「『これでいいんだ。これでいいんだ』と、そういう指示しか自分が出していないのが、今思えば本当に中途半端な指示だったと思う」と述べている。

クライシスとリスク

「守り」は、スポーツのボールゲームでは、「マンツーマン・ディフェンス」と「ゾーン・ディフェンス」として語られることが多いが、犯罪学でもこの区別は重要だ。

残念ながら、日本の防犯対策ではゾーン・ディフェンスの発想が乏しく、マンツーマン・ディフェンス一辺倒である。

例えば、防犯ブザーや「大声で助けを呼べ」「走って逃げろ」といった護身術は、「犯人と一対一で対決する」というマンツーマン・ディフェンスである。犯罪はすでに始まっていて、絶体絶命の事態、つまりクライシス(危機)に追い込まれている。クライシス・マネジメントの場面なのである。

対照的に、海外では、犯人(犯罪原因論)ではなく、犯行場所(犯罪機会論)に注目しているので、対策は必然的に場所で守る「ゾーン・ディフェンス」になる。それは、絶体絶命の場面を、はるか手前で回避しようというものなので、リスク(危険)と呼ばれるにふさわしい。つまり、これこそが、リスク・マネジメントの手法なのである。

日本では、襲われたらどうするかという「クライシス」と、襲われないためにどうするかという「リスク」の区別が意識されていない。これは奇妙なことで、交通安全にクライシス・マネジメントを当てはめるなら、「車にぶつかったときは柔道の受け身をとれ」ということになってしまう。

サッカーのディフェンス

サッカーでは、この区別が意識されているようだ。

ブロックをつくればゾーン・ディフェンスだし、ブロックを破られバイタルエリアでデュエル(決闘)するとマンツーマン・ディフェンスになる。

日本の防犯対策も、ドイツ戦やスペイン戦の「守り方」を見習ってほしい。ちなみに、地域安全マップは、日本の防犯対策で行われている唯一のゾーン・ディフェンスである。

ディフェンスの方法 出典:『なぜ「あの場所」は犯罪を引き寄せるのか』(青春新書)
ディフェンスの方法 出典:『なぜ「あの場所」は犯罪を引き寄せるのか』(青春新書)

語源的には、「ディフェンス」という言葉を省略したのが「フェンス」だ。フェンスは守りの基本形なのである。そして、家のフェンスを街まで広げたのが「城壁都市」だ。

かつて民族紛争が絶えず、地図が次々に塗り替えられていた海外では、異民族による奇襲侵略(強盗殺人)を防ぐためには、人々が一カ所に集まり、街全体を壁で囲むしかなかった。これが城壁都市だ。城壁都市は、「入りにくく見えやすい場所が安全」とする犯罪機会論のルーツである。

日本には歴史上、城壁都市は一つもないが、『進撃の巨人』に登場しているので、イメージしやすいのではないだろうか。

クロアチアのゾーン・ディフェンス

決勝トーナメント1回戦で、日本が対戦する前回準優勝のクロアチアは、犯罪機会論をしっかり導入している国の一つだ。

最も有名な観光地ドブロブニクは、城壁都市の代表格でもある。テレビドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」のロケ地として有名で、映画「魔女の宅急便」や「紅の豚」のモデルになった街とも言われている。

クロアチアの城壁都市 出典:『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)
クロアチアの城壁都市 出典:『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館)

全長2キロの城壁は、最大で25メートルの高さと6メートルの厚さを誇る。まさに「入りにくく見えやすい場所」だ。街を取り囲む城壁の建設が始まったのは13世紀。オスマン帝国やベネチアの脅威を感じて、市壁の強化は17世紀まで続いた。

この城壁は、公共建築物の4分の3が倒壊し、5000人の死者を出した地震にも耐え抜いたという。海沿いの原子力発電所も、こうした守りがあれば、津波被害を免れるかもしれない。

クロアチアの公園 フェンスでディフェンス(筆者撮影)
クロアチアの公園 フェンスでディフェンス(筆者撮影)

それはともかく、クロアチアの公園も、フェンスによるゾーニング(すみ分け)がしっかりできている。遊具を一カ所に集め、子ども向けエリアと大人向けエリアを明確に分けているのだ。これが、子どもがだまされないためのゾーン・ディフェンスである(子どもの連れ去り事件の8割は、だまされて自分からついていったケース)。

クロアチアのボラード 3バック?(筆者撮影)
クロアチアのボラード 3バック?(筆者撮影)

また、暴走車による「車両突入テロ」を防ぐため、進入路にボラード(車止め)が設置されている。これも、市民を守るゾーン・ディフェンスである。

たかがサッカーと侮るなかれ。ときには、学術書よりも、犯罪機会論を雄弁に語ってくれる。試合を見ながら、防犯対策に思いをはせるのも一興ではないか。

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士

日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページとYouTube チャンネルは「小宮信夫の犯罪学の部屋」。

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