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震災から10年。あるサポーターが東京五輪の宮城会場で再び世界へ感謝のメッセージを掲げる理由

河治良幸スポーツジャーナリスト
写真提供/ちょんまげ隊

新型コロナウイルスの国際的な蔓延を受けて、2020年から1年延期して開催されることになった東京五輪だが、国内でも未だ収束を見せない中で、東京をメインとした首都圏で行われる競技や札幌で予定されるサッカーの試合などが無観客での開催になった。

そもそもコロナ禍で東京五輪そのものの開催意義も問われる中にあって、2011年の東日本大震災から10年が経った宮城県の村井知事は宮城スタジアムで予定される女子サッカーの数試合について有観客で行うことを宣言。反対意見も少なからず出ている状況ながら”復興五輪”の意味も込めて、有観客の方針に変更はないようだ。

その宮城スタジアムで、サッカーのサポーター有志によるある活動が計画されている。2012年に行われたU−20女子W杯の各試合会場で掲げられた、東日本大震災に対する世界からの支援に感謝を多言語で表すメッセージを再び掲げるプランだ。なおTwitterにおいても「 #ThankYouFromJapan #世界に感謝 」のハッシュタグで世界に向けて画像などを展開して行くという。

発起人は「ちょんまげ隊」の”ツンさん”ことツノダヒロカズ氏。2011年の東日本大震災をきっかけに、宮城県をはじめとして被災地支援を行ってきた「ちょんまげ隊」は東北に限らず、北海道胆振東部地震や熊本大地震などの被災地でも支援も行ってきた。

筆者も「ちょんまげ隊」の支援に参加した縁があり、2012年のU−20女子W杯で”ヤングなでしこ”と呼ばれた日本チームの取材もかねて宮城を再訪し、サッカー専門新聞の「エル・ゴラッソ」に国立競技場で「ちょんまげ隊」と現地の日本代表サポーターが8カ国の言語で書かれたメッセージを掲げたことを記事にした。

当時のメッセージをオリンピックの希少な有観客の会場である宮城スタジアムで掲げたい理由をツンさんに聞いた。

国籍を問わず全てのえんしゅに声援と拍手を
国籍を問わず全てのえんしゅに声援と拍手を

ーーそもそも「ちょんまげ隊」をよく知らない読者も多いと思うので、その誕生から復興支援に関わるようになった動機を教えてください。

「ちょんまげ隊」というのは現在サッカーの応援をするのもあるし、被災地に行く「ちょんまげ隊」もあります。なぜそうなったのか・・・2008年の北京五輪から「ちょんまげ隊」を作ったんですけど、その前まで僕は普通に日本代表の青いユニフォームを着て、うちの奥さんとアンダー代表の試合を観るために、チェンマイとか香港とか行く、いわゆる普通のサポーターだったんですよね。

でも他の国を見るとサポーターが、オランダだったら全身オレンジだったり、ノルウェーだとバイキングの角を付けていたり。日本代表のサポーターだけ、当時アディダスのコマーシャルでスタジアムを青に染めろっていうCMがあったんだけど、そういうものが無いなと。それで日本人の分かりやすいアイデンティティで行こうと、ちょんまげ&甲冑の姿で応援するスタイルになったんです。

ーーまあ実際にちょんまげ&甲冑の姿はツンさんだったり、何人かいるぐらいで、あとは一緒に仲良く代表を応援しよう的な感じですよね。もともと隊員みたいな縛りがあるわけでもなく、究極はツンさん一人だけど、大会で日本代表を応援する同志や有志が集まってみたいな。

応援のスタイルという意味で、衝撃を受けたのが”オリンピックおじさん”。あの人に1日ついて回った時があって、野球を観に行ったんです。星野ジャパンの試合を。僕らはサポーターだけど、あの人もコアなサポーターだから、日本をガツガツ応援するのかなと思いきや、スタジアムに着いたら中国の国旗を貼り始めたんです。

何するんだこの人と思って。そうしたら、その次に自分のシールを周りの中国人に配り始めたた。それで日本に対する相手側の敵愾心を取って、そこから日本の国旗を出したわけ。ワールドカップのような世界大会の会場は交流の場でもあるなと。それ以降、僕の中では出るまでは死の物狂いだけど、出ちゃったら世界の交流の場だと思っていて、そう言うのをオリンピックおじさんに教えてもらったのが、ちょんまげ隊のルーツです。だからオリンピックとちょんまげ隊は切っても切り離せないものがある。

オリンピックおじさんとツンさん
オリンピックおじさんとツンさん

ーーそこから復興支援に行った経緯が2011年なわけですね。

2011年に震災があって、ボランティアなんて嘘くさいと思ってたけど、あまりにも東北に物資が足りないと聞いたので、靴屋だからうちの倉庫にある靴を持って行くぐらいできるかなと思って、1回だけのつもりで行ったら子供たちが体育館で寝てるから、また来るよって言うのでずっと行っていて。でも当時はサッカーとかスポーツが感謝とかエールを伝えるコンテンツではないと思っていたところがあって、スポーツは純粋にスポーツだと思っていた。

ところが2011年に日本人がびっくりしたのが、他の国のサッカー選手がどんどん日本にエールを送ってくれる映像が届いたこと。震災の規模が大きかったのもあるかもしれないけど、世界中がスポーツの試合などを通してエールを送ってくれたのを見て、ありがたいなと。

その中で2011年の5月3日にベガルタ仙台の試合を観に行ったの。でも最初、俺は観に行くのヤダって言って。ただ当時は怒りまくってたから。物資も足りない、子供たちは床で寝てるのにすごい嫌な思いで。自分は金もないし、たかだか靴を持って行ったり扇風機を持って行く程度しかできなくて、自分の小ささと被害の大きさのギャップでイライラしてた。

それでも現地で一緒に活動していた仲間の人間がベガルタ観に行きましょうと。そんな余裕ないよって僕は言ってたんだけど、まあまあ言わずに、お金を落とすのも支援だからって。それで忘れもしない5月3日に試合を観に行った時に、びっくりしたのはユアスタが満員だったのよ。黄色一色で、みんな泣きながら観ていて。

その前に等々力でベガルタ仙台が試合やって、川崎フロンターレのサポーターが「FORZA SENDAI」を掲げてくれたり、感動的な映像を流したのは記憶してる人も多いと思うけど、その後にユアスタでやった試合が自分の中ではすごい原体験になってる。

ーーアビスパ福岡戦ですね。試合前に大音響の「カウントリーロード」が流れて、1−0で勝利した後に選手とサポーターが一体になっていたのは映像で覚えています。ゴール裏にもハングルとかドイツ語で感謝のメッセージが出ていて。あれをその場で体感していたのはすごいですね。

スポーツってこんなすごいんだって。あの体験があったからこそ「ちょんまげ隊」でも被災地の子供をスタジアムに招待するのを7回ぐらいやっていて、それの究極としてW杯の招待を2回やりました。スポーツが被災地なり困ってる人に与える影響の瞬間を見たので、その象徴的な採点が「ちょんまげ隊」が誕生した北京五輪であり、そこからオリンピックや色んな大会で交流を学び、W杯に被災地の子達を連れて行くこともできた。

そういう経緯もあっての東京五輪だったので「ホスト国プライド」というハッシュタグで何かやろうよとみんなに言ってたけれど、新型コロナウイルスですべて打ち消されて、もうノープランになって諦めていた。でも、村井知事発言があり、僕に私のチケットを使って何かしてくださいという女性がいて、そうしたらやるしかねえだろうなとなり、9年前の写真を見たら、みんなが国立のスタジアムでメッセージを持ってくれているのを見て、すごくホッコリして、これもう1回やるしかないなと。

オリンピックがルーツにあるし、オリンピックおじさんに国際交流のイロハを教えてもらい、そして震災がありボランティアを始め、ユアスタでのスポーツが人を元気付けるというのを目の当たりにして。そうした体験があった中で、あれだけ外国から日本を心配してくれたり、元気付けようとしてくれたり、もちろん募金もそうで、そうしたことに対して何か恩返ししたいなという気持ちがふつふつとあって、そうしたら翌年の2012年にどこかがU−20の女子W杯を開催できないとなって急遽、日本になった。

ーーウズベキスタンですね。

そこで全世界に感謝の横断幕をあげたら、日本人はもらってばっかりじゃなくて、ちゃんと恩返しというかお礼が言えるというのを世界に知ってもらえるな、その国に行かなくてもと。当時8言語ぐらいだと思うけど、横断幕を作って全部の会場で1回ずつはあげてるの。それで国立で掲げた時に「エルゴラッソ」に載せてもらったり、FIFAの目に留まって取り上げられたりしました。

もう1つは中国とか韓国にアレルギーのある人たちがいて、でも20歳以下の選手たちが炎天下の中で走り回るわけだから、しっかりどの選手にも分け隔てなく応援しようという横断幕を1つ作った。すべての選手にエールを送りませんかという。それで僕が国立で一周回った時はお前非国民とか石投げられるのかなと思ったら、スタジアムに来てる人たちは拍手してくれたのを覚えていて、それで泣きそうになった。

そういうスポーツ、スタジアムには競技の感動と興奮だけでなく、交流があって、2011年を機に感謝やエールを伝える場でもあると学んだことを2012年に実践させていただいて、今回はすべて無観客かなと思ったんだけど、被災地である宮城県は東北の元気を伝える意味も込めて、有観客だということを村井知事が言われたので、じゃあ僕らもそれに賛同して横断幕を出そうというのが今回の経緯です。

ドイツ語によるメッセージ
ドイツ語によるメッセージ

だから正直なところを話すと、最初から横断幕を掲げようと思っていた訳ではなかった。僕もチケット外れてるし。今回ほぼ一斉に無観客の中で、たまたま村井知事の発言があったので、他の会場で何も掲げられないことが分かったから、ここでやるしかないなと。ある女性のご好意があって、唯一チケットが入ったのが宮城の試合で、他は無観客だから。今回はオリンピックの開催に反対の人が数多くいるだろうし、有観客に反対の人も少なからずいるかもしれないけど、僕らは感謝の思いを背負ってるつもりで掲げさせてもらいたい。

21日と24日のチケットが入って2回はチャンスがあるので、テレビ局も1回目で抜かなかったとしても2回目では抜いてくれるかもしれない。これが組織委員会の呼びかけとかでやったらマッチポンプというか、いろんな下心があるんじゃないのとか。そうじゃないってことは一番重要で、”勝手連の草の根のサポーター”がやるので、10年前と同じように。そういう事情を知らなかったら”復興五輪”のために仕込んだって思う人がいると思うけど、2012年、もっと言えば2011年の支援活動から脈々と続いている流れなんです。横断幕も今回のために作った訳じゃなくて、2012年に作ったものをそのまま使うので。

ーーあれから10 年経って、宮城とか東北の傷は癒えていないと言うけれども、阪神淡路の時と同じで、いちいち復興、復興と気にしないでくれっていう声もあったりするじゃないですか。当然すべて復興はしてないんだけど、普段の生活はあるから。でも震災の大きな意味として、その後に起きた災害の受け止められられ方が大きく変わったのは間違いないと思います。

あれだけ大きな震災があって、世界からも関心が向いて、日本のどこかで何か起きた時に当事者意識を持つ人が増えたりとか、募金1つでも変わってきたと思うんだよね。

東日本大震災がなかったら元々ボランティアなんて絶対やらないタイプだったから。あの経験があって、サポーターの仲間と北海道の胆振にも行ってるし、熊本にも行ってるし、日本中の被災地に「ちょんまげ隊」は行かざるを得ない状況ができてるわけです。

イタリア語によるメッセージ
イタリア語によるメッセージ

ーー東日本大震災は本当に痛ましいことだけど、個人的には日本代表の取材中に北海道胆振の地震を札幌で受けて、熊本地震も大分の別府で体感しましたけど、国民の意識が被災地や被災者に向くようになったなというのは実感としてあります。

大事なことは被災地とかまだ言うのっていう人もいるし、でも復興半ばの人もいるし、気にしないでいいよっていう人もいる。それは色々とあるけど、そこで僕らのメッセージが生きてくるというのは、あそこには被災地をどういうという要求のメッセージではなくて、世界に感謝と日本は前に向かって歩いていますというメッセージだから。あの後いろんな災害がある中でも前に進んでますよというメッセージ、感謝を伝えるというのはすごく大事なことだと思う。

大谷選手のお辞儀や長友選手のお辞儀じゃないけど、僕ら日本人には何かしてもらったら感謝を伝えるという習慣があるじゃないですか。それはおじいちゃんから子供まで。そういう意識で海外に伝わるといいのかなと。何かしてくれとか東北まだかわいそうなんだよじゃなくて、シンプルにしていただいたことにオリンピックという機会を通じて、村井知事も言っていたけど、感謝と復興した部分を伝えたいというのは共感できる。その2点だと思います。

ーー宮城や東北ではまだまだ完全じゃないけど復興が進む中で、北海道とか熊本でも大地震があって、台風や暴風雨の被害は毎年のようにある。新型コロナウイルスは国際的な問題で、自然災害ともまた違うけど、この10年間でもこんなに色んなことがあると思わなかった。

思わなかったよ。「ちょんまげ隊」だって、こんなに出番が多いと思わなかった。毎年だからね。復興支援の活動をしない年はここ5年ぐらい無いから。

ーー東日本大震災の前にも、もちろん阪神淡路は非常に大規模ですけど、それ以外にいくつも自然災害はあって、でも起きてたことを今ほど意識をしてなかっただけかなと思います。世界で起きている災害に関しても、そんなに気にはできていなかった。

それはニュースを見ても他人事だと思っていたから。あと10年前の最初の頃に浴びせられた言葉としては「素人が来るんじゃねえよ、ちょんまげのくせに」とネットで叩かれたことがあって。災害イコール僕たちとは関係ないところで、そこは行政なり自衛隊がやることで、民間は何もできないと僕らは思ってたけど、2011年を契機に僕らでもできることがあるとか、現地に行かなくても募金することはできたり、Tシャツを作ってチャリティイベントをしたり、いろんな支援のチャンネルがあるということを僕らは知った。

その1つとして感謝を伝える支援というのもあるというのが2011年きっかけかなと。もちろん阪神淡路で学んでいる人はいただろうけど、僕らに浸透したのは2011年なのかなと。ましてや、あの頃は今ほどなかったJリーグのクラブ数が今は都道府県の数より多いから。

そうしたJリーグのクラブやサポーターを通じてできる活動も増えた。2年前の千葉の台風被害の時も横浜F・マリノスのサポーターが来てくれたり、胆振東部地震で炊き出しに行った時も地元の北海道コンサドーレ札幌サポーターが協力してくれたりとか、本当にサッカーのサポーター無くして僕の支援は無いので。Jリーグには感謝してます。

ーーこの前の熱海の土砂災害も、それまでだったらもちろんニュースでは報じていただろうし、地元や周辺の人は関心を持ったと思うけど、全国のJリーグの会見で監督がお見舞いの声を出したり、日本代表の森保一監督がそういうメッセージを出すようになってるのは東日本大震災があったことが大きいのかなと思います。今は当たり前のように他人事ではない意識を持つようになっているというのはその影響が大きい。

そこから横断幕の話につなげると、支援は現地に行くだけじゃなくて、Jリーグの監督の言葉もそうだろうし、意識が変わったということだよね、現地に行けなくても募金活動はもちろん、そこでエールや感謝、いろんな活動ができる。今回はほとんどの会場が無観客になった中でもできることがあるというのを表現したいなと。

ーーそういう流れもあって今回やろうとしているのは?

そこにいるチームだけじゃなくて、世界が中継で観るから、2012年に掲げた感謝の横断幕をもう一回掲げることが僕は継続という観点で大きいと思っていて、コロナ禍でも意味があるんじゃないかと。今色んな声がある中でも、それをテレビで観た人たちが「お、試合会場で感謝のメッセージ出してるよ、さすがオリンピックだな、復興五輪だな」と思っていただけたら嬉しいなと。

スイス女子代表とちょんまげ隊
スイス女子代表とちょんまげ隊

ーー2012年のUー20女子W杯って、なでしこジャパンが世界一になった翌年で期待があったにしても、ある意味ああいう状況でなければ注目されなかったと思うので。被災から立ち直るということと、横断幕もそうだけど、スピーつを通して伝えるということが付いたから、おそらく予想されたU-20女子W杯よりも注目を集めることになったと思うんですよね。

それは震災後にヨーロッパや南米の選手たちがエールを送ってくれたり、W杯の予選で行くようなアジアの国でも日本のために募金してくれたのは映像でも見たし、そういうことをスタジアムの場でうやるんじゃないという人もいるかもしれないけど、2011年のあの時に僕らは知ったんですよということだよね。それを2012年にお返しとして実現したことがあって、それが今もう1回コロナ禍で、いろんな賛否両論があって。僕は賛否の否があるのはいいと思っているんですよ。

ーーオリンピックというのは少なからず利権も絡んでくるし、そんな綺麗事だけの世界でないことは誰でも知ってると思います。それでも五輪やW杯を一度でも現地で経験した人なら分かると思うけど、そこには色んな出会いや交流、経験があって、未来に繋がるものですよね。東京五輪だって、本来であれば海外の選手たちが来たら、代表チームの受け入れ先で地元の子供と交流プランをしてとか、そこで直接触れた子供が何か感じて将来につなげて行くみたいなソフトなつながりのチャンスまで大きく崩れてしまったわけで。

世界中の大会を観に行っていれば、色んな形で現地観戦の素晴らしさを知るわけだけど、もしかしたら現地観戦をした日本人の方が多いと思っていて、もともとテレビで観ればいいという人もいるかもしれないけど、現地に行くといろんな交流とかテレビに映らない感動がある。横断幕なんてテレビに映ったらいいけど、映らなくたってそこにいる人に何か伝わるのが横断幕だと思う。でも世界で広まるといいので、できたら「 #ThankYouFromJapan #世界に感謝 」で拡散のご協力お願いします。

スポーツジャーナリスト

タグマのウェブマガジン【サッカーの羅針盤】 https://www.targma.jp/kawaji/ を運営。 『エル・ゴラッソ』の創刊に携わり、現在は日本代表を担当。セガのサッカーゲーム『WCCF』選手カードデータを製作協力。著書は『ジャイアントキリングはキセキじゃない』(東邦出版)『勝負のスイッチ』(白夜書房)、『サッカーの見方が180度変わる データ進化論』(ソル・メディア)『解説者のコトバを知れば サッカーの観かたが解る』(内外出版社)など。プレー分析を軸にワールドサッカーの潮流を見守る。NHK『ミラクルボディー』の「スペイン代表 世界最強の”天才脳”」監修。

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