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江川対原の対決から45年。神宮大会優勝の明大が発揮した、凡事の徹底から生まれる力

上原伸一ノンフィクションライター
明治大学と國學院大の対戦になった明治神宮大会「大学の部」の決勝(筆者撮影)

神宮が沸いた大スター同士の対決

かつて明治神宮大会は、むろん真剣勝負であるも、どこか花試合的な趣があった。象徴的なのが、1977年第8回大会の「大学の部」、その決勝だ。法政大学と東海大学との対戦となったこの試合、法大には東京六大学リーグ通算47勝(史上2位)の大エースで、この年のドラフトの超目玉であった江川卓(元巨人、当時4年)が。東海大学には甲子園を沸かせたスーパースター・原辰徳(巨人監督、当時1年)がいた。

その頃も大学野球の中心は「東京六大学」。今以上の人気も誇っていたが(当時は多くの学生がスタンドを埋めていた)、注目度が低かった首都リーグを盛り上げていたのが原である。1年春から活躍した原は、当時の主戦場であった川崎球場に多くの女性ファンとメディアを呼び込んだ。

江川対原-。誰もが知る千両役者同士の対決は、世間の関心をも集めた。テレビ中継もされたほどである。神宮球場は開放されなかった外野席の一部のエリアを除き、満員となった。

現在は、第4回大会から始まった「高校の部」の人気が高く、「大学の部」が始まると客席がやや寂しくなる傾向があるが、1970年代、神宮大会での立場は違った。

両者の激突はファンが待ち望む展開になった。原は江川からホームランを打ったのだ。まるで「江川さん、『大学野球の主役』は僕が引き継ぎます」と言わんばかりの一発に、観衆も視聴者もどよめいたのは言うまでもない。

一方、江川は自らダメ押しの本塁打を放つなど、バットでも貢献。法大は5対3で東海大を下し、神宮大会連覇を果たした。江川は試合後の整列の際、ウイニングボールを原へ。洒落た演出で『大学野球の主役』を原に託した。

目に見えない力が勝負を分けた

あれから45年。神宮大会「大学の部」は、回を重ねるごとに「秋の大学日本一」を決める大会という認識が高まり、真剣勝負の色合いも濃くなっている。地方の大学にとっては、春の「全日本大学野球選手権大会」同様に、校名を知らしめる絶好の機会でもある。

優勝は今年の第51回大会を含めると、東都が16回、東京六大学が15回と、この2連盟が大きくリードしているが、地方大学の躍進も目覚ましく、実力差は小さくなっている。

こうした中、勝ち抜くには、「個」の力だけでなく、プラスアルファの力が必要になる。その大切さを示したのが、今年の優勝校である明治大学だった。

國學院大學との決勝。先発の村田賢一(3年、春日部共栄)という「個」は持ち味を発揮する。いつもの打たせて取る投球で、奪三振は4ながら5安打無四球の内容で、國學院大にホームを許さなかった。

しかし、一番に先のドラフトで中日から2位指名を受けた主将の村松開人(4年、静岡)を、三番には再来年の「ドラ1」候補の呼び声が高い宗山塁(2年、広陵)を、そして四番には来年のドラフト候補である上田希由翔(きゅうと、3年、愛知産大三河)を擁す強力打線は1点しか奪えず、最後までどちらに転ぶかわからない展開になった。

そういう時に決め手になるのが、当たり前のことを当たり前にやり切る力だ。最終回の守り、2死1塁の場面だった。打球は1、2塁間を抜けるかに思われたが、これをセカンドの村松が好捕。すかさず1塁のベースカバーに入っていた村田に送球し、ゲームセットになった。

村田のスタートが一瞬でも遅れていたら、セーフになっていただろう。それくらい難しい投内連係だった。村松は「1塁に村田がいると信じて送球した」と話していたが、この信頼関係を裏打ちしているのが、日々の積み重ねである。田中武宏監督は「投内連係ができない(ただ投げるだけの)投手はリーグ戦には出さない」ときっぱりと言う。自然に体が動くまで反復練習をした結果である。

3回に決勝打となる適時打を放った捕手の蓑尾海斗(みのお・かいと、4年、日南学園)も凡事徹底を欠かさない。内野ゴロで1塁をバックアップする時は、防具を付けているのに、打者走者に負けないくらいの勢いで走る。蓑尾の値千金の一打も強振ではなく、しぶとく右方向を狙ったチーム打撃だった。打球が1、2塁間を抜けたのも、日頃の献身的な姿勢があったからでは…そう思わずにはいられなかった。

春、秋連覇し、神宮大会で6年ぶり7度目の優勝を飾った明大は、甲子園で活躍した選手も多く、分厚い選手層を誇る。「今年のレギュラーから抜けるのは、村松と蓑尾くらい。3連覇に死角なしでは」という声が早くも聞こえてくる。

ただ、好選手がいるだけでは勝てない。実際、高校時代に有名だった選手が集まっていても優勝に届かないチームはある。明大が強いのは、甲子園で活躍した選手もプライドを捨て、チームのために凡事を徹底していることにありそうだ。

「個」と「個」のぶつかり合いは見ていて面白く、そのわかりやすい構図は多くの人を惹きつける。だが、時代は変わり、野球も多角的に掘り下げるようになっている。特にアマチュア野球の場合、「個」の技術を磨くとともに、それ以外のことに目を向けるのが、ますます大事になっていきそうだ。

ノンフィクションライター

Shinichi Uehara/1962年東京生まれ。外資系スポーツメーカーに8年間在籍後、PR代理店を経て、2001年からフリーランスのライターになる。これまで活動のメインとする野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の「週刊ベースボール」、「大学野球」、「高校野球マガジン」などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞「4years.」、「NumberWeb」、「スポーツナビ」、「現代ビジネス」などに寄稿している。

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