『テニスの王子様』で描かれた「1人ダブルス」というすごい技。どうすれば実現できる?
こんにちは、空想科学研究所の柳田理科雄です。マンガやアニメ、特撮番組などを、空想科学の視点から、楽しく考察しています。さて、今回の研究レポートは……。
『テニスの王子様』は、びっくりプレーが次々に繰り広げられる驚異のテニスマンガだが、なかでもオドロキの技が「1人ダブルス」だ。これはもう、ひっくり返るほどすごい。
このワザを見せるのは、青春学園中等部3年・菊丸英二。彼は本来、ダブルス専門の選手だったが、パートナーの大石秀一郎がケガで出場できなくなったため、全国大会にはシングルスの試合に出場して、沖縄代表の比嘉中と対戦した。
序盤はリードしていた菊丸だが、やがて4-4と追いつかれてしまう。すると菊丸は「やっぱ駄目かぁ…シングルじゃ」「ならダブルスでいくよ」と言うなり、いきなり2人に分身した!
作中のナレーションも「会場にいる誰もが目を疑う。そこには信じられない光景があった……」と述べていたが、いやもうホントに信じられません。ネット際で構える前衛の菊丸の後方で、後衛の菊丸がサーブの体勢に入っているのだから。
これは確かに、1人でもダブルスと呼ぶしかない。が、どうすればそんなことができるのか?
◆分身の原理とは?
「分身」といえば、その原点は忍者マンガであろう。
白土三平の『サスケ』で、忍法「影分身」の原理が説明されるとき、例に示されたのは「鳥」。絶え間なく枝を飛び移るシジュウカラが、少年忍者サスケの目には何羽もいるように見えたが、実際には2羽しかいなかった。驚くサスケに、父親は「1秒と同じところにいない だから何匹もいるように見えるのだ」と説明する。
この例から考えると、人間も素早く走り、シジュウカラが枝に止まるようにピタリと止まり、また猛スピードで走ってピタリと止まり……を繰り返せば、「残像」により分身できる……ということだろう。
人間の目に残像が残る時間は、0.1秒といわれる。
すると菊丸も「A地点から超高速でB地点へ走り、折り返して0.1秒以内にA地点に戻る」という運動を繰り返せば、動きが一瞬止まったA地点とB地点での残像が、見る者の網膜に残るはずだ。つまり、菊丸という1人の人間が、同時に2つの地点にいるように見える。
――と、原理を書くのは簡単だが、実行するのはモーレツに大変だ。2つの地点を0.1秒で1往復ということは、1秒間だと10往復もしなければならないのだから。
菊丸が立っていたのは、テニスコートの前衛と後衛の位置。シングルスコートの図面で測ると、距離は10mほどもある。つまり10m離れた地点を1秒に10往復。これを実行するのに必要なスピードは、なんと時速720kmである。
◆一瞬たりとも休めない!
これほどの俊足があれば、普通にシングルスで戦っても充分に勝てると思う。
テニスのサーブの最高速度は時速250kmほどだが、菊丸の走る速度は時速720km。ボールの3倍ほど速く走れるのだ。どんな球にだって追いつけるに違いない。
だが、菊丸は、その奇跡の足をプレーのためではなく、分身のために使ってしまっている。これは、菊丸にとって大きな負担になったことだろう。
たとえば、後衛の菊丸がサーブを打つとしよう。普通だったらボールを投げ上げ、それをラケットで打って相手のコートに入れることに集中すればよい。
だが菊丸にそんなラクをすることは許されない。サーブを打つ彼の前方には、もう1人の自分が存在しなければならないのだ。
ボールを投げ上げるあいだにも前衛までの往復を繰り返し、ラケットを振り下ろすあいだにも前衛までの往復を繰り返し……。サーブというものは、コート内を行ったり来たりしながら打てるのか疑問だが、いずれにしても試合中ずっと、前衛と後衛を往復し続けなければならない。
これを続けた結果、菊丸は試合中にとんでもない距離を走ったはずだ。劇中、試合は接戦となってタイブレークに突入し、分身してからの打ち合いは6ゲーム分に及んだ。
プロテニスの試合で測定したところ、1ゲームあたりの平均所要時間は5分20秒。それが6ゲーム分だと1920秒。この間、彼が時速720kmで走り続けたとすれば、走った距離はトータル384km。フルマラソン9レース分であり、東京から名古屋の先まで走ったのと同じ。あまりに過酷な1人ダブルスだ。
◆大石くん、復帰してあげて
なぜ菊丸は、こんな苦労をしてまでダブルスにこだわったのか。繰り返すが、俊足を活かしてシングルスで戦えば、間違いなく楽勝できたはずなのに……。
そもそもダブルスのメリットといえば、自分が取れないボールをパートナーが拾ってくれることだろう。しかし1人ダブルスでは、自分が取れないボールを拾うのも自分。どう考えても、シングルスで戦ったほうが有利なはずだ。
ひょっとしたら「ダブルスのほうが心強い」というメンタル面での話?
しかし、残像はその場に残るものではなく、見ている人の網膜に残るものだ。相手や観客の目には2人に見えても、菊丸に自分が2人に見えるわけではない。つまり、1人ダブルスと言いながら、自分にとってはやっぱりシングルスの試合。これは悲しい。
ここまで労多くして功少ないワザなのに、菊丸くんの健気なダブルス愛は、もうただごとではない。パートナーの大石くんは早くケガを治して、菊丸くんに普通のダブルスをやらせてあげよう。