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バイク販売台数が9分の1に激減! (バイク歴ウン十年の)私が思うこと

柳原三佳ノンフィクション作家・ジャーナリスト
夏の北海道でピースサイン! ツーリングライダーにとっていくつになっても夢の大地だ(ペイレスイメージズ/アフロ)

『バイク販売低迷、ピークの1割…原付き振るわず』 (8/20 読売新聞)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170820-00050026-yom-bus_all

 という記事を見て、大きなショックを受けた。

 1982年のピーク時に328万5000台だったバイクの国内販売台数は、昨年、なんと33万8000台まで落ち込んだのだ(日本自動車工業会調べ)。

 記事によれば、『「バイクの日」の8月19日、ホンダ、ヤマハ発動機、川崎重工業、スズキの大手4社は東京都内で合同記者会見を開いた。ヤマハ発の柳弘之社長は国内について「特に原付きが厳しい」と危機感をあらわにした。』のだという。

 バイクの販売台数が激減していることはもちろんわかっていた。しかし、まさかピーク時の1割まで落ち込んでいたとは……。  

 記事の中で紹介されていた右肩下がりの折れ線グラフを見て、なんだか無性に悲しくなった。

水冷4気筒GS250FWのテールレンズが割れて嘆く筆者(21歳のころ)
水冷4気筒GS250FWのテールレンズが割れて嘆く筆者(21歳のころ)

バイクが縁で結婚 新婚旅行はツーリング

 実は私、高校時代からバイクにどっぷりはまっていた。

 17歳で原付スクーター(パッソル)に乗り始め、18歳で中型免許取得。19歳のとき、ホンダCB250RSZ-Rを中古で手に入れた。

 夏は信州や北海道へツーリング。たくさんのライダーたちとすれ違いざまにピースサインを交わすたびに、ドキドキした。

 とにかくバイクで旅に出るのが大好きだった。

 1985年、バイクが縁で知り合った夫と結婚。新婚旅行は夫の愛車・SUZUKI 1100刀と、私の愛車・SUZUKI GS250FW(日本初の250cc水冷4気筒として華々しく売り出された幻のモデル)を2台連ねて九州を1周。

 1986年から1990年、まさにバイクブームの真っ最中に、バイク雑誌の編集部員として仕事をしたこともある。

革ツナギに身を包み、大型バイクに乗る夫の背中を追いかけていた頃
革ツナギに身を包み、大型バイクに乗る夫の背中を追いかけていた頃

 

 当時、超難関だった『限定解除』(中型限定免許を解除すること。当時は教習所で大型2輪免許が取れなかった)の試験にも挑戦した。

 身長152センチ、試験車のCB750Fにまたがると足は全く地面に届かなかったが、それでも13回目でなんとか合格。

 せっかくナナハン免許が取れたのだから、と見栄を張って、当時「クラス最速、最軽量」と言われたスズキのGSX-R750にヨシムラの集合管を取り付けて、通勤していた時期もあった。

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 とにかくあの頃のバイク業界は、活気に満ち溢れていた。

 1980年代後半、各メーカーからはニューモデルが続々と発売された。そのたびに、ピカピカの広報車で試乗ツーリングに出かけ、ヘルメットをかぶったまま『後姿限定モデル』をこなし、新車のインプレッション記事もしょっちゅう書いていた。

 雑誌の中は、バイクメーカーだけでなく、ヘルメットやウェアメーカーの広告が満載。

 景気も良かった。

バイク雑誌でニューモデルに乗り、全国各地をツーリング取材(1989年)
バイク雑誌でニューモデルに乗り、全国各地をツーリング取材(1989年)

 それなのに、なぜあれほど華やかだった二輪業界はこれほど急激に衰退し、若者のバイク離れが進んだのか……? 

 そこで、私なりにその理由について、以下に勝手な検証をしてみたい。(順不同)

●3ナイ運動

 なんといってもこの影響は大だ。

 1970年代、暴走族の乱暴な運転や高校生の死亡事故が相次ぎ、警察は取締りを強化した。そして学校も、高校生にバイク免許を取らせない、買わせない、乗らない、という「3ナイ」運動を展開した。

 その結果、多くの青年たちが、バイクに乗りたいと思う時期に、バイクの楽しさを体験する機会を失ってしまった。

●旅ができる魅力的なバイクが少ない

 1990年代、レーサーレプリカブームの到来で、ツーリングに最適なモデルが大幅に減ってしまった。(と言いつつ、ワタシもレーサーレプリカを買っていたのだが……)

 旅好きのライダーたちが乗りたいと思えるようなモデルをなぜもっと作らなかったのか。

 メーカーは今後、利幅の大きいビッグバイクに力を入れるそうだが、ぜひとも魅力ある商品をそろえてほしい。

雑誌の取材で北海道ツーリング。いつも後ろ姿モデルだったけど……(苦笑)
雑誌の取材で北海道ツーリング。いつも後ろ姿モデルだったけど……(苦笑)

●バイク価格が高額になった

 販売台数が落ち込むと、1台当たりの開発費も高くなる。つまり新車の販売価格が値上がりし、バイクの割安感がなくなった。

 結果的にこれまで原付を移動の足にしていた人たちまでもが、安価な軽自動車や維持費の安い電動アシスト自転車に流れ始めた。

 ちなみに、私が初めて乗ったヤマハのパッソル(1980年代)は、新車価格が約6万円だったが、原付はその後、徐々に高額化する。

 原付の新車より、中古の軽自動車の方が安いという状況になれば、4人で乗れて、雨風がしのげ、クーラーもついているクルマのほうが快適だと判断するユーザーが増えるのも無理はないだろう。

●バイクの駐車場がない

 特に都心部にはバイク用の駐車場がほとんどない。

 クルマ用のパーキングメーターを利用することはできるが、停められるのはあくまでも1台のみ。どれだけスペースが空いていてもバイクを2台以上停めると違反になる。

 少しの間、歩道などに停め、駐車違反で捕まるライダーも多い。

 最近ようやく高速道路のパーキングに二輪用の駐スペースが設置されたが、もっと早くに二輪用の駐車場を充実させるべきだった。

ドイツには一般道のいたるところにバイク用の駐車場が設置されている(撮影は20年前)
ドイツには一般道のいたるところにバイク用の駐車場が設置されている(撮影は20年前)
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●ヘルメットをかぶりたくない人が多い

 通勤や通学の足代わりにバイクを使っている人の中には、ヘルメットは邪魔なものと思う人もいるようだ。髪は乱れるし、メイクも落ちる、というのがその理由だ。

 実はドイツでは、「ヘルメットをかぶらない方が安全」という奇想天外なコンセプトで開発されたバイクが法的に認可を得ている。

BMWが開発したC1(1999年フランクフルトのモーターショーで筆者試乗)
BMWが開発したC1(1999年フランクフルトのモーターショーで筆者試乗)

 私はドイツのフランクフルトで開催されたモーターショー(1999)でこのバイク(BMWのC1)を取材し、開発者から直接話を聞いたのだが、

「ヘルメットはそれ自体に重量があるため、衝突や転倒時にはかえって首に負担がかかる。頭部の安全を確保するならむしろかぶらない方が安全だ」

 と言うのだ。

身体はシートベルトで固定「ヘルメットをかぶらない方が安全」というのがコンセプトだ
身体はシートベルトで固定「ヘルメットをかぶらない方が安全」というのがコンセプトだ

 そのためこのバイクは、ロールバー上のシェルで完全に体を保護する仕組みになっていた(とはいえ、ドイツでもそれほどヒットしなかったようだが……)。

 いずれにせよ、日本でも、もっと早くにこうしたコンセプトのバイクを開発し、車両の特性に応じて法律を変えるような努力も必要だったのではないか。

●バイクの高速料金が高い

 バイクの二人乗りが2005年に解禁されたのはよかったが、バイクの高速料金が今も軽自動車と同じというのはどうしても不公平感がある。

 たとえば、バイクの高速料金が軽自動車の3分の1くらいまで下がれば、バイクで旅をしたいと思う人がもっと増えるはず。

●温暖化で夏が暑すぎる

 これは自然現象なので仕方がない。でも、「あまりにも暑すぎてバイクなんて乗ってられない」という人は多いだろう。

 本田技研は今、小型機・ホンダジェットの売り上げが好調とのことだが、バイクのことも忘れず、熱中症の心配なく涼しく乗れるバイクなども開発してほしいものだ(涙)。

 というわけで、いろいろ勝手な見解を並べてしまったが、バイク市場がこのまま消えてしまうのはあまりに悲しすぎる。

 高速道路料金の値下げについては、国会でも動きが出ているようだが、とにかくあの手この手で、なんとか復活を遂げてほしいと、切に願っている。

ドイツ・アウトバーンでツーリング。高速代はタダ、基本的に速度制限もなしだ
ドイツ・アウトバーンでツーリング。高速代はタダ、基本的に速度制限もなしだ
ノンフィクション作家・ジャーナリスト

交通事故、冤罪、死因究明制度等をテーマに執筆。著書に「真冬の虹 コロナ禍の交通事故被害者たち」「開成をつくった男、佐野鼎」「コレラを防いだ男 関寛斉」「私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群」「コレラを防いだ男 関寛斎」「自動車保険の落とし穴」「柴犬マイちゃんへの手紙」「泥だらけのカルテ」「焼かれる前に語れ」「家族のもとへ、あなたを帰す」「交通事故被害者は二度泣かされる」「遺品 あなたを失った代わりに」「死因究明」「裁判官を信じるな」など多数。「巻子の言霊~愛と命を紡いだある夫婦の物語」はNHKで、「示談交渉人裏ファイル」はTBSでドラマ化。書道師範。趣味が高じて自宅に古民家を移築。

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