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隅田川の花火大会と「タバコ」の関係とは

石田雅彦科学ジャーナリスト
(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 この季節には各地で花火大会が開かれる。東京で最も有名なのは隅田川花火大会だ。この花火大会、江戸期の将軍、徳川吉宗が飢饉や災害の犠牲者を弔い、コレラなどの疫病退散のために始めたといわれているが本当だろうか。実は、近代日本以後に形成された花火へのイメージは、タバコに付随する「神話」形成とよく似た経路をたどっているのである。

花火に慰霊の意味はなかった

 毎年、7月の最終土曜日に開催される隅田川の花火大会だが、2019年は盛況のうちに開催された。テレビの中継で、その様子を鑑賞した人も多いかもしれない。

 隅田川の花火大会が始まったのはいつだろう。大会ホームページによれば「江戸時代の享保17(1732)年の大飢餓で多くの餓死者が出て、更に疫病が流行し国勢に多大な被害と影響を与えました。幕府(8代将軍吉宗)は、翌18(1733)年5月28日(旧暦)犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭を行いました。この時に、両国橋周辺の料理屋が公許(許可)により花火を上げたことが『両国の川開き』の由来とされています」とある。

 だが、このストーリーは、明治以降に少しずつ形作られてきたフィクションのようだ。隅田川で最初に花火が打ち上げられたのは寛永5(1628)年であり、徳川吉宗が始めたという史料はまだ発見されていない(※1)。

 疫病退散のコレラ封じのためというのも時期的にズレている。日本で最初にコレラが記録されているのは文政5(1822)年だが、このときは西日本で流行し、江戸にまで達していない。

 江戸にコレラが蔓延したのは、安政5(1858)年から万延元(1860)年にかけてだ。享保17(1732)年に流行った疫病というのなら明らかに時期が違う。

 享保期前後に江戸で流行したのは、天然痘、麻しん、インフルエンザであったろうが、これらは江戸期を通じて大きな犠牲者を出した疫病であり、特に享保期に目立って流行したわけではない。同様に、享保の大飢饉の慰霊のためというのも、当時の記録にそういった記述がなく裏付けが得られていない(※1)。

 慰霊や鎮魂という意味合いが花火に付加されたのは、どうも江戸時代後期に入ってからのようだ。前述したように、隅田川で花火が打ち上げられたのが江戸期初期からということになれば、その頃は慰霊を目的にしていなかったことになる(※2)。

 花火は火薬を使用するので、日本に伝えられたのは種子島に火縄銃がもたらされた戦国時代頃と推測されている。もちろん、元寇の際、日本人はモンゴル兵が使用する火薬兵器に遭遇したが、それを取り入れようとはしなかった。

 一方、戦国時代の日本人は積極的に火薬を使った火縄銃や狼煙を使用し、黒色火薬自体も盛んに作られるようになる。だが、徳川幕府ができて元和偃武といわれる平和な時代が到来し、火薬は花火となって庶民の娯楽として広がっていった。

どちらも戦国時代に入ってきた

 火薬と花火が日本へ入ってからあるイメージが付加されていく様子は、タバコとよく似ている。タバコは南北アメリカ大陸原産の植物で、新世界が発見されるまで西洋人も日本人を含むアジア人もその存在を知らなかった。

 だが、新大陸の先住民が吸っていたタバコが船員らによって西洋へ持ち込まれると、瞬く間に社会に広がっていく。1543年頃と言われる種子島への鉄砲伝来とともに、日本へもタバコがもたらされた。コロンブスが新大陸に到達したのが1492年だから、わずか50年ほどでタバコは地球を半周回ったことになる。

 タバコが大衆に広まっていくのは、紙巻きタバコ、いわゆるシガレットが出現してからだ。大量生産大量消費の経済活動を象徴するかのように紙巻きタバコの生産量が上がっていった結果、タバコ会社は消費を喚起しなければならなくなった。

 喫煙習慣を大衆に受け入れさせ、大量消費を喚起するため、タバコ会社は政府と組み、あるいは広告会社や映画会社を使ってタバコのイメージアップを図る。

 しかし、日本ではすでにタバコ規制の先達である根本正(ねもとしょう)により1900(明治33)年に未成年喫煙禁止法が成立していた。そこでタバコ会社は、主に成人をターゲットにし、未成年者に対しては喫煙が大人への通過儀礼のようなイメージを与えつつ、喫煙者を増やしていったのだ。

花火と軍人慰霊の関係

 もちろん、花火には習慣性も依存性もないし、そのイメージの変遷には日本人の民族性や信仰心などが深く関与し、自然発生的に醸成されたもので資本や産業側から無理矢理に付加されたものではない。だが、花火に付けられた慰霊の意味合いと戦死したり殉死した軍人に対する鎮魂の間には、意外に深い関係がある(※2)。

 実は、日本でタバコが広まったのも戦争と関係がある。明治政府は、日清戦争や日露戦争の軍費調達のためにタバコを専売制にし、国民に対して喫煙を奨励し、恩賜のタバコに象徴されるようにタバコを兵士に配った。戦場で喫煙を覚えた若い兵士も、市井へ戻ってきた後にその習慣を広めていった。

 花火に付加された鎮魂のイメージには200年くらいの歴史がある。だが、喫煙の習慣は、タバコ税収のために政府が盛り上げ、タバコ会社が広告宣伝によって無理矢理に創り上げたもので、タバコに現在のようなイメージがついたのはせいぜい100年も経っていない。

 隅田川の花火大会が慰霊と悪病退散のために徳川吉宗によって始められたという根拠のはっきりしない由来は、100年くらいの間に信憑性を帯び、大衆の間にあたかも本当のことのように浸透していった。タバコ会社が数十年かけて醸成し、広めてきたストレス解消に役立つとか喫煙には文化があるといったタバコにまつわる「神話」と同じように。

※1:福澤徹三、「享保一八年隅田川川開開始説の形成過程」、すみだ郷土文化資料館編『隅田川花火の三九〇年』、すみだ郷土文化資料館、2018

※2:丸山泰明、「鎮魂の花火の民俗学」、日本学報、第35巻、25-45、2016

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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