栃木が制したBリーグ初年度 各クラブのこれからを左右するものは?
市民クラブが頂点に
代々木第一体育館のチケットは早々に売り切れていた。リンク栃木ブレックスと川崎ブレイブサンダースというカードを考えれば、盛り上がらないはずはなかった。ただ、いざその場に身を置いてみると、予想以上の熱と活気だった。
5月27日、Bリーグ初年度の覇者を決めるチャンピオンシップ決勝が行われた。10144名を数えた観客のうちざっと7割は黄色のウエアに身を包んだブレックスのファン。栃木が初の日本一に輝いた7年前のJBLファイナルも悪くない雰囲気だったが、数と色から伝わる迫力が今回は違った。10年前に大きな母体がない中で立ち上がり、地域に根付いた活動を続けてきた彼らの、大きく成長した姿が見て取れた。
栃木は85-79で一発勝負のファイナルを制し、B1の初代チャンピオンに輝いた。ちなみに1月のオールジャパンを制したのも純クラブチームの千葉ジェッツ。Bリーグ発足前の混乱時代には「企業vs.プロチーム」という対決構図が言い立てられていたが、もはや「企業が上でプロは下」という歪んだ上下関係はない。栃木も千葉も地元住民をアリーナに呼び、丁寧な営業活動で大口小口のスポンサーを募るという”正攻法”で経営規模を大きくしてきたクラブだ。
選手が語る盛り上がりへの喜び
ブレックスの主将を務めたのは田臥勇太。2004年には日本人として初めてNBAの公式戦でプレーしたレジェンドだが、08年からはブレックス一筋で戦ってきた。決勝戦を終えた彼はシーズン中に見なかったような笑顔を浮かべつつ、こんなことを口にしていた。
「あれだけ多くのお客さんに入っていただいて、あの雰囲気の中でやれる。プレイヤーにとしてあんなにうれしいことはない。リーグ自体がすごく可能性を秘めたリーグになる、自分たちも選手としてそういうリーグにしていかなければいけないと、改めて感じたファイナルだった」
同じ代々木第一体育館は昨年9月の開幕2連戦(アルバルク東京×琉球ゴールデンキングス)でも同レベルの集客があった。ただファイナルの1万人はどちらかを応援する、より「試合への参加度が高い」観客だったことは大きな違いだ。報道陣もファイナルは250名が押し寄せ、開幕戦から40%ほど増加していたと聞く。
敗れた川崎ブレイブサンダースの篠山竜青主将も、悔しさを語るより先に喜びと口にしていた。「自分がバスケットボールをやってきてこんなに盛り上がる日が来るとは思わなかった。本当に楽しかった」(篠山)
危機から一気呵成に進んだ改革
日本バスケは11年に及ぶ二大リーグの分裂期間があり、不毛な対立状態が続いていた。2014年11月には国際バスケットボール連盟(FIBA)から日本協会(JBA)が資格停止処分を受けるという深刻な事態に至った。しかし15年1月、後のBリーグ初代チェアマン川淵三郎氏と、FIBAのセントラルボードメンバーであるインゴ・ヴァイス氏が共同議長となって発足したタスクフォース(特別プロジェクトチーム)が、改革を一気呵成に進めた。
新リーグの仕組みは猛スピードで決まっていった。15年4月1日にはBリーグの母体となる社団法人が結成。8月末には1部、2部、3部の割り振りも決められた。振り返れば14年11月から15年8月までの10カ月間に、今に至る道筋は定まった。
短時間で「男子のトップリーグが一つにまとまった」「プロという体裁を整えた」こと自体が、実は驚異的な成功と言っていい。3年前の今頃、現状を予想していた人はほぼ皆無だろう。
一方でBリーグが何十年と続く、地に足がついたリーグになるかどうかという疑問は、開幕の時点で解消されていなかった。実際に今季のB1も開幕第1節、第2節こそ大入り満員が続出していたものの、しばらく中だるみ的な時期もあった。しかしシーズンの終盤に入ると観客数は増加カーブを描き、チャンピオンシップも例えば栃木はホームゲームがすべて完売し、約4千人の観客がブレックスアリーナ宇都宮を埋めていた。
来季以降につながる盛り上がりを見せて、シーズンの初年度を終えることができた。百点満点ということではなくても”合格点”は付けられる初年度だった。
「成り上がり」の起きやすいBリーグ
今季のB1は昨季まで旧NBL8クラブ、旧bjリーグ10クラブという構成だった。しかし今季のチャンピオンシップに勝ち残った8チームを見ると、旧NBLが6クラブ、旧bjが2クラブと勢力図が逆転する。NBLに所属していた川崎(旧東芝)、シーホース三河(旧アイシン)、アルバルク東京(旧トヨタ自動車)と言った”企業系”の3チームが、4強にも残った。そういう古い勢力図がある程度は残っていることも事実だし、レギュラーシーズン終了後には実力や資金面に関する「都市部と地方の格差」を強調する発信も目立った。
しかし栃木は旧JBLを、2部も含めて参入3年目で制した。千葉も2011年の発足の新興チームながら経営規模は既にB1最大規模。今季はカップ戦日本一に輝いている。バスケは選手の数が少なく、年間予算も「多くて10億円」という規模。Jリーグに比べるとざっと五分の一程度で、他競技他業種に比べて「新興勢力が成り上がりやすい」状況にある。
旧bj、地方という括りで見ても例えば沖縄の琉球ゴールデンキングスには栃木や千葉と同等以上のポテンシャルがある。現時点でもホームゲームは毎試合のように3000人以上の満席状態で試合をしており、沖縄市の新アリーナ(1万人収容)が2020年度に完成すれば収入も更に増えるだろう。15-16シーズンのbjリーグ王者である彼らも、Bリーグ初年度は西地区の2位にとどまった。しかし今後はサラリーキャップの制約なく人材を獲得し、チーム作りを進められる。
大河正明チェアマンも「旧NBL、旧bjという言い方は今季限りにしたい」と口にしていたが、そういう”見られ方”は徐々に解消していくのだろう。
地方クラブが持つ強みと可能性
またBリーグの取材現場を見ていると”地方の優位”を感じることも多かった。例えば首都圏だと有力チームでもメディアが少ない。顕著な差はTVカメラの数で、レギュラーシーズンはUHF局やケーブル局の応援番組くらいしか取材に来ていなかった。プロ野球、Jリーグと他に注目するべき存在がある以上、キー局はなかなかバスケにまで目が向かない。
対して仙台、秋田、新潟、富山などでは地方局のTVカメラが3台、4台と入る。アナウンサーや記者が現場に来て、夕方や翌朝のニュースで試合結果も報じられていた。
年間予算がJ1のトップクラブのように50億、60億という規模になれば、小さい経済圏では支えられなくなるかもしれない。しかし今のB1ならJ2の下位クラブと同程度の7億円程度の年間予算があれば、優勝を狙うチームを編成することができる。貧困なアリーナ事情は解消が急務だし、バスケの認知度はサッカーや野球ほど高くはない。しかしバスケは所属選手数がサッカーの半分以下で、試合数は2倍近く確保できる。しかも参入障壁は低いとなれば、オーナー目線で見たときに魅力が高い。
北海道や仙台のようにプロ野球、Jリーグと競合する地域は三番手としての難しさがあるだろう。しかしジェッツは千葉ロッテマリーンズ、ジェフ千葉に比べて後発だが、そんな地域をしっかり開拓しつつある。
クラブの「格差」を産む要素は経営者
プロ野球やJリーグに比べて経営陣が若く、ベンチャーマインドのある創業者タイプが多いことは、Bリーグのアドバンテージだ。ジェッツの島田慎二社長、琉球の木村達郎社長のように経営者の成功モデルも現にある。
一方でそういう人材が全国にすぐ湧いて出てくるわけではない。マネジメントの人材こそは選手やコーチングスタッフよりも希少で、当面は経営者の力量がクラブ間の”格差”を産む最大の要素になるだろう。
各クラブにとって目下の課題はシンプルだ。それはお客とスポンサーを増やして、お金と”熱”を集める。同時に優れた現場の才能を集めて「成績と集客の好循環」を作っていく。今季のB1でそれに成功したクラブが栃木と千葉だった。
一つ目線を上げてリーグやバスケ界という俯瞰した立場から見ると、そういった活力をスポイルせず、そのまま引き出すことが成功のカギになる。例えば戦力均衡、格差是正といった問題意識を持つ方もいるだろうが、「先行するチームを抑える」という手法でそれを達成しようとするのは得策でない。
伝統と経営規模では野球やサッカーが先を行くが、若さと活気はバスケが勝っている。そういった強みをそのまま活かすことが、Bリーグ発展の道だろう。