夏休みの終わりに子どもを死なせないために「学校の息苦しさこそ変えるべき」
子どもたちが最も多く命を絶つ日
夏が終わるとまた学校が始まる。大阪市の公立小中学校では8月26日から始まった。近年、前倒しで2学期を始めるところが増えたが、かつては夏休みは8月いっぱいまで。2学期と言えば9月1日に始まるものだった。
そして、この日は1年で最も多くの子どもたちが命を絶つ日だ。内閣府が過去約40年間に18歳以下の子どもが自殺した日を調べたところ、9月1日が131人と突出している。ほかに100人を超える日はない。前後の8月31日と9月2日も90人台とかなり多い。夏休みが終わって学校に行かなくちゃいけない。それが子どもを追い詰めていることがうかがえる。
「学校なんて行かなくていいよ」と呼びかける前に、なぜこんなに不登校が増えてるの?
だから例年この時期に「無理して学校に行かなくていいよ」キャンペーンが行われる。もちろん、死ぬほど嫌な学校なんか行く必要はない。
でも「行かなくていいよ」と言っておいて、その先はどうなるのだろう? 誰がケアするの? 結局は家族が支える。それももっぱら母親が。公的機関は放ったらかし。それっておかしくない? 子どもたちが死ぬほど行きたくないと訴える学校こそ変わるべきじゃないの? 学校って子どもたちのためにあるんじゃないの? 文部科学省の統計によると、不登校の小中学生はここ数年増え続けている。この子たちに「学校なんて行かなくていいよ」と呼びかけるだけでは無責任ではないのか?
不登校の子どもの親たちが立ち上がった
この状況に当事者の親たちが声をあげた。不登校保護者会である。きっかけは今年5月に川崎市登戸で起きたスクールバス殺傷事件で、容疑者が「引きこもり」状態だったと報じられたこと。不登校に対する偏見が強まるのではないかと危機感を持った、全国の不登校の子どもを育てる親たちが、ツイッターで緩やかにつながりながら会を立ち上げた。
そのブログに8月、「夏休みの終わりに子どもを死なせないために」という記事が掲載された。
子どもが不登校になっても責めないで 奇妙で息苦しい学校こそ問題
記事はまず不登校の子を持つ保護者たちに、子どものことを理解してあげてほしいと呼びかけている。
「学校へ行くことは、絶対に必要というわけではないのです」
「奇妙で息苦しい風潮が、いまの学校教育には蔓延しています。子どもがある日、急に行けなくなったとしても、責められないほど学校は奇妙でおかしいところです」
そして、子どもを大切に思う気持ちを伝え、決して責めないことが大切だと訴える。
「学校へ行かなくても我が子には価値があることを子どもに伝え続けることがとても大切です」
「実際、行けなくても叱らないことも重要です」
「不登校を経ても夢を叶えて頼もしい大人に育っていく子たちがいます」
「保護者の皆さんには、
とにかく無理に登校させない。
学校行けなくても叱責しない。
夫婦喧嘩を子どもの前でしない。
これらを最低限、徹底していただきたいです」
学校の指導が子どもを死に向かわせていないか?
記事は続いて、学校の先生たちに、子どもたちを追い詰めないように求めている。
「夏休みの宿題提出を絶対に無理強いしないで下さい」
「『学校に行かなかったらお前の人生は終わり』などという決めつけもやめて下さい」
「『学校来てない奴に行ける高校なんてない』という誤情報を流さないで下さい。不登校でも進学出来る高校、大学はあります」
「内申で子どもをコントロールしようとしないで下さい」
「学校の日頃の指導が子どもを死に向かわせていないか、丁寧に考え直して頂きたいのです」
不登校保護者「ぽんこ」さんの思い
不登校保護者会に参加している大阪の女性にお会いした。ツイッター上でのアカウント名は「ぽんこ」さん。小学3年生の息子は自閉スペクトラム症(人との関係が苦手で強いこだわりを持つのが特徴の発達障害の一つ)で、1年生のころから不登校だという。
「子どもが不登校になった時、私だけではどうにもならないと思っていろんな人に話を聞きました。役所とかお医者さんとか学校の先生にも。でも一番心の支えになったのは『昔子どもが不登校だった』というお母さんや『自分も不登校だった』という当事者のお話ですね。だから私もこうした会の活動を通してできる限り自分の体験をほかの人に伝えたいと思っています」
「初めは『学校のせいで子供の学習権利が奪われた』怒りでいっぱいでした。マジでふざけんなよって。でも、子どもの家庭での学習が軌道に乗って、次第に落ち着いてきたら『先生も大変だよなあ…』という気持ちに変わりました。業務量が過剰で、過酷な仕事を頑張ってくれていますよね」
「役所の心理士の方や精神科医にも支えられてきました。知識とプロの技術はパニックの闇を払う光ですね。混乱したままでいても何もいいことがないので、自分が冷静で朗らかな気持ちを取り戻すことだと思います」
不登校は問題行動ではない。やむにやまれぬ行動だ
不登校保護者会は7月、児童精神科の専門医を招いて勉強会を開いた。東京慈恵会医科大学准教授の井上祐紀さん。児童精神医学の分野で、主にADHD(注意欠陥多動性障害)の幼児、思春期、青年期の子どもたちを診察し、研究を重ねてきた。井上さんは、不登校を問題行動の一環ととらえる教育界の風潮にそもそも問題があると指摘する。
「不登校を問題行動として見ると、原因がその子の中にしかないことになります。その延長上に引きこもりへの偏見があるんです」
「不登校は健康問題としての側面があるんです。その子がきつい症状を抱えているんです。そのきつさを避けるためのやむにやまれぬ行動が不登校なんです」
「発達障害がある子は不安症状が強いから教室に入れないことがある。これは健康問題なのに問題行動と捉えるから指導が強圧的になる。だからますます学校に行きたくなくなる。悪循環です」
「今、学校現場で最も軽視されているのが子どもの健康です。例えば好きな時間に水を飲めない、トイレに行けない。これは健康に悪いですよ。多くの学校では子どもたちは授業中に自由に水分補給ができない。これでは、子どもの健康より集団の規律の方が優先されることになる。学校というのは発達障害などの何もない子どもが頑張ってかろうじて適応できるという社会なんです」
「すべての子どもが力をうまく発揮できるような配慮が足りていない。いじめへの対処もそうです。子どもファーストで考えるべきなんです。不登校は子どもの問題ではない。学校の問題として責任を認めないといけない。その子はどういうところがきつくて学校に来られないのか、その子に合う環境は何かを考えてあげることが必要です」
自己満足な放送企画はいらない
全国の不登校の小中学生は14万4000人。自殺する児童生徒は年間250人。こんなに多くの子どもが学校に行けず、多くの子どもが自殺するって、異常事態ではないか?
不登校保護者会のブログは、最後にマスコミの報道姿勢に疑問を投げかける。
「傾聴だけの企画やぼんやりした喋り場を提供してガス抜きして『なんかいい雰囲気』になって終わり、支援に繋がらない自己満足な放送企画は要らないです」
「『死にたいと思うくらいなら図書館、動物園、水族館へ逃げていいよ』の後がおそろしく過酷であり、逃げた後を自己責任と見捨てている社会を変えなければ何も変わりません。このままでは、死にたい子、心中を企図する家庭、子どもを殺してしまう家庭が減るわけありません」
「息苦しい子どもを排除する学校自体を変えないと死にたい子は減らないです」
「学校の息苦しさの本質をえぐり出し改善を求めるのが、報道機関の役目なのではないでしょうか」
「毎年十万人以上の不登校者と、多くの自殺者を出している学校制度そのものを、客観的な根拠(エビデンス)に基づいて根本的に見直すべき責任が、政府にあります。そして報道機関には、こうした責任を、客観的なエビデンスに基づいて追及してほしいものです」
そして今年も9月1日がやってくる
学校なんて行きたくないなら行かなくていい。でもそれだけじゃだめだ。学校が変わらなければ。子どもたちが行きたくなるような、真に子どものための学校に。そんな学校に変えるのは、教師、教委、保護者、政治、報道。
そう、私たち大人の責務だ。
【執筆・相澤冬樹】