「ホルモン」の語源は「放るもん」ではないと何度でも言わなければならない。
内臓のホルモンは「放るもん」由来ではありません
もうタイトルで言いたいことを言ってしまおう。前回「焼肉の歴史」について書いたときに「まことしやかに囁かれ、伝え聞いた話が真実とは限らない」という書き出しから始めた。
飲食の歴史や飲食店における元祖や本家、開祖問題は声の大きな者やキャッチーな説が勝つ。近年その傾向はますます強く、記録に残っていないものについてはそうやって史実が曲げられてきた。既成事実化してしまった者勝ちというところもあって、実に始末が悪い。
「ホルモン=放るもん」説の間違いも同様である。耳当たりがよく、それらしいから、ついこの説が口をついてしまったりもするのかもしれないが、肉食が公に解禁された明治以降、人間が口にできる保存状態の肉が「放るもん=捨てるもの」であったことはないはずだ。
だが、さまざまな識者が過去に何度となく否定してきたのに、「ホルモン=放るもん」説は、いまなお根強く残っている。有識者すらそうした説を口にしたり、時には資料に残してしまったりもする。なぜか。
それは「なんとなくそれらしい」という説得力が持つ強さのなせる業であり、「可能性が否定しきれない」という事象に対する、悪魔の証明(的な論拠)が求められるからだ。それでも論を張る側は、調べ上げた事実を当て続けるしかない。
事実を積み上げれば、「らしい」というぼんやりとしたイメージはほころび始める。根拠の薄い常識の上に紡がれた信仰はいつか正しいものに取って代わられる。天動説より地動説。圧力炊飯よりも常圧炊飯。ピーマンは切らずにまるごと焼く――。
と、最後にちょっぴり話がズレたことにお詫びを申し上げつつ、本題に入りたい。
戦前から大人気だった牛めしにはモツが使われていた
そもそもホルモンという名称が本当に「放るもん」由来だとしたら、明治の文明開化に際した肉食解禁以降、内臓肉は見向きもされなかったはずだ。受け入れられれば価値が生まれる。例外はない。ニーズがあれば必ず対価は生まれる。
そして戦前の時点で牛めしは大人気だった。昭和初期に活躍した喜劇役者、古川緑波はグルメでも知られていたが、自らのエッセイで大正~昭和初期の牛めし屋について何度も触れている。
ロッパは牛めしの具は内臓だとはっきり言っている。「牛肉では絶対にないところの、牛のモツや、皮や」とか「角はさすがに用いなかった」なんて書くくらいなので、細部に渡って記憶も鮮明だ。しかも複数のエッセイにまたがって味つけの記述もブレがない。こういう随筆は信頼できる。
時期としては大正後期から昭和の頃だろう。1903(明治36)年生まれのロッパが残した随筆は、この頃を対象とした作品が多く、「昔」と言っていることからも大正から昭和初期を指しているはずだ。
当時の人気タレントがこれほど礼讃した牛丼である。その具である「牛のモツ」は安価な素材ではあっても、「放るもん」として扱われていたはずがない。
「放るもん」説が浮上したのは1970年代
実際、朝日新聞や読売新聞の過去記事をつぶさに見ても、2000年まで「放るもん」説はおろか「放るもん」という4文字自体、一度も取り上げられていない。読売新聞での初出となる2001年の記事は、滋賀県立大学の教授が「放るもん」説を否定したという記事だ。
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