【名古屋市】中村区が豊臣秀吉推しなら、名東区は柴田勝家! 大河ドラマ「豊臣兄弟!」に、名東区も便乗だ
先日、名東区内で出生し織田信長の元で有力武将だった先輩格の柴田勝家は、同じく信長の臣下だった豊臣秀吉にとって、大きな壁となって立ちはだかったに違いないと発信した。(https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/580efc6567e8566da7b0daf3f2d381b12c787c5c)
織田家中で、秀吉と勝家は信長の前では切磋琢磨して向上し合い、互いに武将としての才覚を磨き上げていったのかもしれない。しかし、それは建前上のこと。1577(天正5)年の「手取川の戦い」の際には、勝家を総大将とする上杉謙信討伐軍から秀吉は無断で戦線離脱した。その後に信長が世を去ってからは互いにさらに対立を深め、1582(天正10)年の「賤ケ岳の戦い」で雌雄を決し、勝家は敗れて死に至った。それぞれの人生において勝家と秀吉は憎しみ合い、お互いに「アイツさえいなければ……」と認識する犬猿の仲だったのだろう。
秀吉の人生において、あらゆる場面で存在感の大きかった勝家。2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」放映に備え、観光に生かすために中村区の中村公園に大河ドラマ館の整備が検討されていると伝えられるが、この潮流に名東区も便乗しない手はない。名東区が柴田勝家の出生地であることをPRする一大スポットを私は訪れた。
地下鉄東山線に乗り、東行きの終点である藤が丘駅の駅前に着く。駅を出て西側へと歩き、「藤が丘駅前」の交差点から北方へ目をやると「メモリアルタワー」が立っている。タワーの側面に、甲冑姿の柴田勝家が垣間見えた。
メモリアルタワーは1994(平成6)年3月、藤が丘中央商店街振興組合によって建てられた。朝9時~21時の定時ちょうどに、タワーの側面から妖精が回転して飛び出し楽曲を演奏するからくり時計となっている。5分間ほどの演奏の後、鼓笛隊は再び回転し扉を閉めた。演奏は、柴田勝家の生前の活躍を賛美しているかのように受け止められる。タワーは建てられてから30年もの間、藤が丘のシンボルとして街を見守り続けてきた。
しかし、豊臣秀吉の向こうを張るライバル、難敵としての歴史上の存在感に比べ、まだまだ名東区の柴田勝家を推す努力は物足りないように思われる。2026年の大河ドラマ放映まで時間はある。私は、かつて居住し愛着のある名東区が、地域のPRの格好の機会を逃してしまうのが惜しい。