【名古屋市】大河ドラマ「豊臣兄弟!」で注目必至! 若き豊臣秀吉に立ちはだかった柴田勝家の生誕地
再来年の2026年に放映が予定されているNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で、主役となる豊臣秀長、その兄である天下人の豊臣秀吉の他に、私が注目しているのが柴田勝家。
秀吉が織田信長に仕えた当初、柴田勝家は秀吉からみて先輩格の上司にあたる。しかし、秀吉が功を挙げ実力を発揮し立身出世を重ねた結果、織田家中では勝家と肩を並べる存在に。勝家としては、知略と策謀に長け着実に功績を重ねる秀吉は、さぞや疎ましく思われる存在だったに違いない。
柴田勝家と豊臣秀吉の不仲が決定的になり対立し合ったのが、1577(天正5)年に起こった「手取川の戦い」。能登国にある七尾城に攻めてきた上杉謙信を防ぐべく、信長は柴田勝家を総大将とする軍を派遣した。ところが、進軍を続けている途中で、以前から勝家と不仲だった秀吉が誰の許可を得ることもなく軍を離れてしまった。勝家の軍は上杉軍に大敗を喫し、秀吉の離脱について信長は激怒した。
その後、1582(天正10)年に「本能寺の変」で信長が明智光秀に討たれてからは、対立していた勝家と秀吉は翌年に「賤ケ岳(しずがたけ)の戦い」で決戦。勝家は秀吉に圧倒され、敗走の後に越前国の北ノ庄城で自害した。
柴田勝家は、秀吉が天下人へと駆け上がる過程において、ライバル、難敵として大きく立ちはだかった。大河ドラマ「豊臣兄弟!」で勝家がどのように描かれるのか、今から期待が膨らむ。
秀吉の生涯を描いた大河ドラマで間違いなく注目されるはずの柴田勝家は、名東区陸前町(当時は尾張国愛知郡上社村)で生まれた。生年は定かではないが1522(大永2)年、1530(享禄3)年が有力といわれ、出生地とされている下社城址(現在は明徳寺)には生誕碑が建てられている。
天下統一へ向けた覇業を織田信長が若い頃から支えた重臣としての色彩が強い柴田勝家。だが、大河ドラマ「豊臣兄弟!」によって、豊臣秀吉の最大のライバルとして描かれる柴田勝家の姿も興味深い。
名称:明徳寺(下社城址)
住所:名東区陸前町1310
アクセス: 市営地下鉄東山線上社駅から徒歩20分ほど