オールスターで「人種の壁」を破ったのもロビンソンだが、この年は他にもアフリカン・アメリカンが3人出場
ジャッキー・ロビンソンは1947年4月15日にメジャーデビューし、「カラー・バリア(人種の壁)」を破った。この年、ロビンソンは盗塁王を獲得し、新人王に選ばれた。
オールスター・ゲーム初のアフリカン・アメリカンとなったのは、メジャーリーグ3年目の1949年だ。ファン投票で選出され、ナ・リーグの「2番・二塁」として先発出場した。ちなみに、この年は首位打者と盗塁王を獲得し、MVPを受賞した。
1949年のオールスター・ゲームには、ロビンソン以外にも、3人のアフリカン・アメリカンがいた。ファン投票による選出ではなかったものの、ロイ・キャンパネラ、ドン・ニューカム、ラリー・ドビーが選ばれ、3人とも試合に出場した。
キャンパネラは1948年、ニューカムは1949年にデビューし、ブルックリン・ドジャースでロビンソンとともにプレーしていた。ドビーは「ジャッキー・ロビンソンに続いてデビューした黒人選手たち」でも書いたとおり、ロビンソンの約3ヵ月後にクリーブランド・インディアンズからデビューし、ア・リーグの「カラー・バリア」を破った。4人のオールスター・ゲーム選出回数は、最も少ないニューカムでも4度を数え、合計は25度に上る。
アフリカン・アメリカンのオールスター・ゲーム初安打は、1回裏にロビンソンが二塁打で記録した。初本塁打もロビンソンだが、これは1949年ではなく、1952年に打った。初登板と初打点はニューカム。打点は犠牲フライで挙げた。
なお、ニューカムとドビーは1962年に中日ドラゴンズでプレーしたが、オールスター・ゲームには選ばれていない。