ジャッキー・ロビンソンに続いてデビューした黒人選手たち
例年、4月15日の「ジャッキー・ロビンソン・デー」に、カーティス・グランダーソン(トロント・ブルージェイズ)はカスタマイズしたスパイクを履いてきた。今年のスパイクで称えるのは、ロビンソンにとどまらない。右足は青の基調にロビンソンの顔と背番号「42」、左足は赤の基調にラリー・ドビーの顔と背番号「14」が描いてある。
1947年4月15日、ロビンソンはナ・リーグのブルックリン・ドジャースからメジャーデビューした。同年7月5日、ドビーはア・リーグのクリーブランド・インディアンズからデビューした。今シーズン、グランダーソンのいるブルージェイズは、インディアンズの本拠地プログレッシブ・フィールドで、「ジャッキー・ロビンソン・デー」を迎える。
この年にメジャーデビューした黒人(アフリカン・アメリカン)選手は、ロビンソンとドビーだけではなかった。7月にはドビーに続き、ア・リーグのセントルイス・ブラウンズ(現ボルティモア・オリオールズ)にハンク・トンプソンとウィラード・ブラウンが登場。翌月はダン・バンクヘッドが、ロビンソンのチームメイトになった。
メジャーリーガーとしてのキャリアには差があり、ロビンソンのオールスター・ゲーム選出は6度、ドビーは7度を数えるが、他の3人は皆無だ。ドビーは1962年に中日ドラゴンズでもプレーし、シカゴ・ホワイトソックスでコーチを務めていた1978年には、7月から監督として指揮を執った。3年前に選手兼監督となったフランク・ロビンソンに続き、史上2人目の黒人監督となった。
ただ、バンクヘッドは5人のなかで唯一人の投手だった。また、トンプソンとブラウンはこの年、7月20日のダブルヘッダーを皮切りに、5試合に揃って先発出場した。バンクヘッドのデビューはそれよりも遅く、出場は4試合ともリリーフ。ロビンソンはそのうち3試合に出場したが、2人が初めてスターティング・ラインナップに揃い踏みしたのは1950年のことだ。
ちなみに、黒人選手の起用が最も遅かった球団は、ボストン・レッドソックスだ。1959年7月21日にパンプシー・グリーンがデビューした時、ドビー以外の4人は、すでにメジャーリーグではプレーしていなかった。