Yahoo!ニュース

『変態村』『変態島』『地獄愛』の監督が新作『Inexorable』で問う、“情け容赦のない”愛

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
映像は美しいが、変である。良くできたサイコスリラーでこけおどしは一切無い

原題『Inexorable』とは「冷酷な」とか「容赦ない」という意味だが、これまでの邦題の傾向からすると『変態愛』とかになるのかもしれない。

ファブリス・ドゥ・ヴェルツ監督の過去作のうちいくつかには凄い邦題が付いている。“ああ、あの変態なんとかの監督か”という連想で注目を集めることを狙っているのだろう。

で、新作に変態的な要素、地獄的な要素があるのかというと「ある」と言わざるを得ない。というのも、『Inexorable』は「愛の物語」であり、その愛の形が「普通ではない」からだ。

↑BFI London Film Festivalで使われた、作品の雰囲気が良く出た予告編

■地球を救う愛と、修羅場を生む愛

とはいえ、ねじり曲がった、常人には理解不能の愛か?というと、ギリギリ「狂気」という形容で済ませられるところで止まっている。

だから、見終わって感情移入不可能、ちんぷんかんぷんということはなく、愛というものの怖さが迫ってくる

『Inexorable』の1シーン
『Inexorable』の1シーン

愛は地球を救ったり、あなたに唯一必要なものだったりと一般的には考えられているのだが、実は怖いものでもある。

愛の怖さは、「修羅場」なんて言葉と一緒によく体験談の中に出てくる。

子供の時は愛はただただ美しいものなのだが、大人になると、怖さを身に沁みて知ったなんていう人が意外に身近にいたりするものだ。

聞いてみればいい。その修羅場はどうして起きたのか?と。間違いなく、そこに愛があったからだ。

『Inexorable』の1シーン
『Inexorable』の1シーン

例えば、連続殺人が起こる。

犯人の動機が例えば、「復讐」であれば納得がいく。許されない行為を正当化できるかどうかは別として、理由としては筋が通っているから。“ああ、復讐ね”と思う。

だが、動機が「愛」であればどうなのか?

愛のために殺す?

得体の知れない闇に暗澹たる思いになる(ちなみに、以上はあくまで例であり、『Inexorable』の中では連続殺人なんてものは起きません)。

『Inexorable』の1シーン
『Inexorable』の1シーン

■多くの人に見てほしい真っ当なスリラー

ただ、旧作の邦題が連想させるものと違い、この新作はもの凄く真っ当なスリラーである。

お話は、“一見○○だが実は××”の連続

いかに我われが見た目や先入観に騙されてしまうのかを丁寧に、薄皮を剥がすようにして見せてくれる。

一見、幸せそうな家族だったり、お城で女王然とした妻だったり、理知的で名声のある夫だったり、純粋でいたいけな娘だったり、庶民的で実直そうな若い女だったりが、実はどうなのか? 一皮剥くと、何が隠れているのか?

『Inexorable』の1シーン
『Inexorable』の1シーン

『変態村』『変態島』『地獄愛』の監督の新作と言えば、旧作のファンが喜ぶかもしれない反面、コアではないスリラーファンを遠ざけてしまうかもしれない。

日本で公開されてなるべく多くの人に見てほしい私としては、それは困る。

ファブリス・ドゥ・ヴェルツ監督
ファブリス・ドゥ・ヴェルツ監督

※写真提供はシッチェス映画祭。劇中写真のクレジットはすべてC:Kris Dewitte

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

木村浩嗣の最近の記事